自然が自然のままに創りだす様々な現象のなかには、
人が創造できないような「美」の世界が存在することがある。
薔薇の花などに生まれる朝露、
緑の雑草や枯れ草に生じる霜の結晶、
蝶や昆虫の文様などなど・・・・・・
散紅葉の世界にも人には創造できない「美」の世界がある。
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同じ木の枝では生じなかったであろう、赤、黄、緑とその中間の色が、
水面の上に落ちて水流に揺らめく様は、何時まで見ていても飽きない。
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揺らめく木漏れ日を受けつつ輝く様も面白い。
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普段はさして魅力のない大岩も、散紅葉で飾られると、
被写体として格段の魅力を放つ。
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だが・・・・
毎年このような光景が出現するわけでもなく、
美しい散紅葉の出現のためには、台風などで葉が痛んでいない事、
紅葉終期直前に葉を落とすための少し荒れた天候がある事、
更に、散紅葉を運ぶほどの小川の水量もまた必要条件なのである。
水面を埋め尽くした散紅葉もいいが、
やはり美しさのためには適当な空間である「間(ま)」があったほうが面白い。
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水の流れの殆どない小川を埋め尽くした散紅葉。
このままプリントするだけで秋限定の包装紙にに使えそうである。
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咲き遅れて花の終期を迎えた額紫陽花を飾る散紅葉が、何気に華やかである。
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今日の記事で使用した写真は、
2012年12月に「21世紀の森と広場」で撮影したものだが、
それ以降このような光景にはまだ出会っていない。