今日訪れた、宮城県図書館では、5月13日の再開時~6月12日までの特別展、
『東日本大震災を関東以西の新聞はどう伝えているか』
が開催されていました。
3月11日、自宅マンションにいた私は、
今まで経験したことのない、立っていられない程の揺れに、
とっさにキッチンを離れ、リビングの薄型テレビにしがみついていました。
ガラスの砕ける音、家具が倒れる音、ポットや炊飯ジャーが飛んでいき、
家じゅうの引き出しという引き出し、扉という扉が開き、
物が倒れ、中の物が散乱しました。
数分間続いた揺れの後、家の中の様子は一変。
割れた皿、倒れた家具、クローゼットから飛び出した物の間をかきわけながら、
泳ぐようにして玄関から外に出ました。
マンションの外では同じように、着の身着のまま飛び出してきた、
他室の奥さんが泣いていました。
リビングの全面ガラスが割れた部屋もありました。
大きな揺れはその後も数分を置かずに続き、
しかも雪の舞う寒い日でした。
恐ろしさで足の震えが止まらないのをなんとか抑え、
部屋に戻ってしたことは、
登山用のザックに、当座必要と思われる物々を詰め込み、
せっせと車に積み込む作業。
このまま揺れが収まらなければ、家には入れなくなるかもしれないと
思っていたのかもしれませんが、
混乱状態だったので、よく覚えていません。
その後、ボランティアをしている犬たちのことが気がかりで、
玄関に夫への書きおきを残し、車に乗って、犬舎に向かいました。
通常、20分ほどの距離が大渋滞で、1時間もかかりました。
途中、道路が隆起していたり、陥没していたりしました。
車中のラジオは淡々と、地震発生の事実、
川や沿岸部には近付かないように、と繰り返し伝えていました。
それから数日間、ライフラインは断絶し、
一晩中、ラジオをつけっぱなしで夜を過ごしました。
大きな余震が続き、眠ることもままならない感じでしたが。
ラジオで聞いた、「仙台市若林区で、200人~300人の遺体を発見」
という言葉が信じられなくて、「なんで!?」と思ったのを覚えています。
200人~300人の遺体??
確かに大きな揺れだったけど、そんなに大勢の死者が出るとは、
いったいどういう状況なのか??
頭の中が???マークでいっぱいに。
新聞もテレビもない状況。
まさか沿岸部ではあんなことになっているとは、まったく知るよしもなかった。
実際には、沿岸部を中心に、2万人近い方々が犠牲になったのでした。
宮城県図書館の特別展では、被災地以外の各県で、
地震や津波の被害を大きく伝えている、その日の夕刊や号外を見ることが出来ました。
図書館に展示はありませんでしたが、
私が三重で見た、確か12日の中日スポーツの見出し、
「大津波、仙台のみこまれた!」
が衝撃的でした。
仙台の自宅マンションでは、停電後の不具合で、
電気復旧後もしばらくテレビがつかなかったので、
津波の映像をちゃんと観たのも、三重の実家に避難してからでした。
まだ余震が収まらない中、飛び乗った車の中で、
もし、あの惨状をただ報道として、
ワイドショーみたいに、リアルに伝えられていたら、
パニックになっていたかもしれません。
そもそも、車に乗ったり出来なかったかもしれませんが。
私の記憶が確かであれば、ですが、
地震直後に聞いていたラジオでは、津波が押し寄せる様子など、
詳しい描写はいっさいしていませんでした。
ただ、淡々と、「川や海に近づくな」と繰り返していました。
また、「上空からの映像では、今も川沿いを走っている車が見られます。
すぐに川から離れてください」
というようなことを、冷静な声で伝えていました。
私もそれを聞いて、川には近づくまい、と感じたのは覚えています。
事実を伝えてもらうことが、どれだけ命を助けるかわからない。
もう非難され尽くされている感がある放射線問題、
にも関わらず、まったく信頼や安心を得ることがいまだ出来ない状態で、
いま、なにが重要なのか。
安全のためにどう動けばいいのか。
人々の安全を考えるなら、くだらない責任の押し付け合いはやめて、
もっとシンプルに、必要な事実を伝えてもらいたいと思います。
読み直すたびに気持ちが伝わってきます。
ほんとうに、
そこで経験した人でないとわからないこと
たくさんありますよね。
「いま、なにが重要なのか。
安全のためにどう動けばいいのか。
人々の安全を考えるなら、くだらない責任の 押し付け合いはやめて、もっとシンプルに、 必要な事実を伝えてもらいたいと思います」
きのこさんの言われるとおりです。
今なお、苦しんでいる人たち
そしてぺットたちの悲痛な叫びに
耳を傾けてほしいです。
さっきテレビで宮城が出ました。
大雨、冠水、強風・・・
ほんと大丈夫ですか?
気をつけてくださいね。