犬とハナウタ

山歩きブログだった「山とハナウタ」改め「犬とハナウタ」として再スタート。雑種犬ゆめとの暮らしや日々のことなど。

知覧特攻平和会館(鹿児島県)

2013-02-14 | 九州の観光地

先日、鹿児島に行った際に訪れた知覧特攻平和会館のことを書く。

「特攻隊」や「カミカゼ」のことは、日本人なら誰でも知っていることだと思う。

日本が世界唯一の被爆国であることを知っているのと同じように。

ただ、正直自分としては普段そんなに深く意識していたわけでもなく、

夫が戦闘機及び空母のことに詳しいので、たぶんこの祈念館に行きたいに違いないなと思っていたら、

やっぱり行きたそうだったので、ついていったという感じだった。

駐車場に入る時には私はあくびすらしていた。

 

でも会館を出る時には、どーんと心に漬物石を乗せられたように重い気持ちになっていた。

広島の原爆資料館に行ったことがあるひとなら、資料館を出た時の重い気持ちがわかるだろうと思う。

ただ、原爆資料館と違うのは、「英霊」とされる若者たちの写真がどれも美しく、若く、活き活きとしていて、

まるで映画スターの写真をみているかのような錯覚に陥りそうになるところだ。

特攻隊(特別攻撃隊)とは、第二次世界大戦末期、爆弾、爆薬等を搭載した軍用機、高速艇、潜水艇等の各種兵器を、

敵艦船などの目標に、乗組員ごと体当たり、自爆させることで攻撃する、「戦死を前提とする「必死」の特別作戦部隊であった。

掲げられている1036名の若者たちの美しい写真。彼らは全員、死んだ。殆どが、10代20代のまだ若い男の子たちである。

これらの写真は、これから自分が死ににいく、とわかっている少年たちの顔なのだ。

 

よく「必死でがんばる」とか言うけれど、文字通り「必死」とはこのことなのだと、どきんとした。

帰りの分の燃料はない。飛びたったら最後、それがほんとうに最期なのだ。

私達が「必死でやった」とか軽々しく言えたものではないと思った。

だけど、「必死」という言葉があるとして、それが特攻隊のようなことをさすものであるべきでは、絶対にないと思う。

資料館には、少年たちが母や愛するひとにあててかいた遺書や手紙がたくさん展示されている。

涙を流し、嗚咽に震え、死の恐怖と愛国心の葛藤の狭間で揺れ、でも最後に思うのは誰の手紙でも、両親や、妻、子供の幸せ、

そして後に残るひとたちへの願いと祈りをこめ、旅たちへの決意を結んでいるように思われた。

手拭のしみ、墨のかすれから、自分と同じように、確かに生きていたひとの気配を生々しく感じた。

確かに生きていた、でも彼らは一人残らず、普通ではない死に方をして死んだ。

下の写真は、突撃前日の、10代の少年たちだ。翌日、彼らは全員、敵艦に体当たりして亡くなった。

スライド上映のナレーションでは、「彼らの表情は、とても明日突撃するとは思えない朗らかなものです。

自分たちが国を、家族を守るのだ、という使命感と決意を持っていたのかもしれません」

正確には記憶していないが、こういった感じのことを言っていた。

でも私は違うとおもった。

彼らのこの笑顔の源はきっと、この小さな子犬。

明日死にに行く、という絶望の深淵において、小さな命の温もりを抱いていること、その喜びはきっと私達にはわからない。

本当のところは彼らに聞いてみなければ知り得ないけれど、私はそんな気がした。

17歳や18歳の彼らにはまだ、後に残していく妻や子供がいないかもしれない。

明日、自分は死ぬけれど、この子犬は明日も、明後日も生きていて、ぐんぐん成長して大きくなるだろう。

日本もきっとよくなるだろう。

わからないけど、そんな温もりを感じたのじゃないかと思った。

多く展示されている写真の中に、女性たちの集合写真があって、「健気な銃後の女性たち」とタイトルがつけてあった。

「わからないでもない書き方」ではあるけど、実際にはものすごい違和感だった。

健気な、ってさ。好きで夫や恋人を戦地に送り出しているわけじゃないじゃないか。

「お国に逆らわないで、おとなしく犠牲になる」 ことを健気というなら、健気なんだろう。

だけど、勝手なこと言うなこのやろぅ と思うよね、今なら。

昨日、北朝鮮が3度目の核実験をした。

プルトニウムだのウランだの、という言葉には、日本人として体の奥底から不安を感じる。

原爆のことが頭をよぎるからだ。昔みた原爆資料館、あんなふうに自分も焼けただれるかもしれない、という実際的な恐怖。

そして、特攻隊の頃の日本も、いまの北朝鮮みたいだったに違いない。

北朝鮮を非難しつつ、なんとなく舌触りが悪いのはそのせいなんじゃないか。

尖閣諸島しかり、北方領土しかり、日本の周辺が不穏な空気に包まれている。

「まさか戦争にはならないだろう」とは思ってる。

私達は、戦争や「特攻隊」の歴史を二度と繰り返してはならない、と云い聞かせられて育ってきた。

だけど、日本に再び核が落とされたら。自分の家族が、子供が犠牲になったら。

それでも「戦争はいけないし」 と黙って平和を訴え続けるのか。

自分の夫が、恋人が、父が、出征するような事態に、仮になったとしたら女はどうするか。

いや、いまは女も強いから、女も出征させられるだろうね。

私達の世代は、結婚しなかったり、子供なしが多いので、きっと戦力に数えられる。

物資もない、燃料もない、だけど闘わなきゃ日本が、家族がやられる、となったら、

「よし、俺に(私に)任せとけ」と言わない自信があるのか。

バブル世代とゆとり世代に挟まれた、「ゆとりない世代」の私の世代は、

期待されればものすごく従順にがんばるひとたちが多いと思うので、十分に気をつける必要がある。

日本から戦争をしかけることはまずないだろう。

だけど、攻撃されたらどうするのか、その明確な答えは実はないのではないのか、と

当たり前の不安に気づいて、しばしおののく。

 

(知覧特攻平和会館内は撮影厳禁のため、掲載した写真は同館パンフレットより抜粋させていただきました)


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