うちからいつも見えている山を車で登ってみたら、そこには一面、みかんの段々畑がひろがっていた。
みかんはまだ青かった。 そうだ、そういえば冬、こたつでむいて食べるみかん、熊本産だったかも。
いつも見ている山がなんという山なのかも知らなかった。
でも「金峰山オレンジロード」と書いてあったから、たぶん金峰山なんだと思う。
そして驚いたことに、その峠を越えたらこんどは海が見えてきた。 島原湾だ。
うちの近くの山の裏に海があるのを初めて知った。
今後はこの山をみるたびに、その向こうの海まで見えるようになる。
海の向こうに見えているのは、島原半島、そして雲仙岳。確かに見える。
「確かに」というのは、太平洋岸で育った私は子供の頃、友達と港から海を眺めて、
「アメリカが見える!」「ほんとだ、アメリカが見えるー!」
という会話を交わした記憶が鮮明に残っているから。
ほんとうにアメリカが見えたのか、その頃はほんとに、見えていたのかもしれないね。
それはたぶん知多半島では、というつっこみは、純真な少女に対して無粋というものです。
さて、山をおりると漁村があった。
湾の内には漁船がたくさんとまっていて、海の見える丘の上に小さな神社があった。
河内という場所らしく、半島の先端に「河内温泉」という小さな温泉の看板があった。
熊本に引っ越してきて1ヶ月半ほど経った。
ひとつ角を曲がるたび、ひとつ坂を登るたび、知らない土地では毎日が冒険のようだ。
少なくとも、自分の住んでる場所の周りがどういうことになっているのか、
ざっと全体像を把握することは必要である気がする。
どこに川があって、どこに海があるのかといった、基本的なことも、自分でいってみて初めて、
「なるほど」と体で覚えていく感じがする。
そういうわけだからけして、たんに毎日遊び歩いているわけではないのよ。
ということにしておきましょう。
夏の空は劇的だ。声なき咆哮が聴こえるような、赤く染まり始めた入道雲。
空の咆哮が聴こえたかように、鳥たちの群れがいっせいに海の方から向かってきて、山へと帰っていった。
有明海に沈む夕陽を見たい。
金冠日食でも待つかのように、眩しさに目を凝らして、なんでもない一日の太陽が沈むその時を待った。
この日の日没は19時2分。もう少しで太陽が海に・・・ん?でもあのまま下がると、たぶん海じゃないよね。
金峰山からみる夕陽は、海じゃなくて、島原半島に沈んでいきました。
再び山越えをして熊本市内に戻る。といっても山の向こうまで30分くらいだ。
帰路、なんのためだろうか、みかんの段々畑に灯りが灯っていて幻想的だった。
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