makoの喜怒哀楽

俳句は自分史・転記は禁じます

もう、限界

2014-04-23 | 日記

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

二日も籠ってPC三昧していたらかえって身体が変に感じた

そんな中でも健康なのはやはりお口だけ

誰?

お喋りのほうじゃなくってよ、

食べることよ^^

ふふ、綺麗でしょ!

お恵姐さんにいただいたものなんです、ちょっと甘味が欲しいときに丁度いいのよね^^

makoのツボを押さえているでしょ、これをいただきながら編集長になっていました

これを残そうと思ったのは私の後の子らへのメッセージの為

最近は小学校の低学年で「俳句」の授業が取り入れられているとか

美しい日本語と四季折々の美しい日本に馴染むことは、今後、もっと必要なのではないでしょうか

 

編集にあたっては、ホント時間がかかります

思ってたより愉しいけど、一日かかっても3枚しかできません

先ず、「歳時記」の中に書かれている「季語」の持つ意味を書くことから始まります

それからmakoの入選句にふさわしい画像を探します

付かず離れずの画像を探すのにも時間がかかります

上記にチラッと見えている猫の画像は、「あめんぼう」の句に用いたものです

句の中に出てくる人物は「父」そして季語は「あめんぼう」

なのに、どうして画像は猫なの?

上の画像には猫の足が見えていませんけど、猫の足は大地に踏ん張っているように感じました

この猫ちゃんは野良ちゃんで、どうも、集団のボスのような感じでした

そして私の入選句はこうです

『踏ん張って生きてきた父あめんぼう』  大牧 広 選

母亡き後、残された私たち3弟妹を無骨な手で育て上げてきた父の姿に重ねて詠んだ句です

あめんぼうは自由自在に水面を渡り歩いているかのように見えますが

水面をよくよく観察すると、あめんぼうの足が乗っかっているところだけ凹んでいるように見えるのです

それがmakoには「踏ん張っている」かのように見えたのです

流されそうになるのをピョンピョン前に飛んで進んで行かなければなりません

 

実は、先日、諸戸苑に行った時、小流れに「あめんぼうが」いて写真を撮ってきていたのです

よくよく見ると、恋の季節のあめんぼうさんでした

私は乱視ですからファインダー覗いていても1匹なのか2匹なのかよく見えていません

被写体が小さいほど判りませんけど、月などは二重に見えて、人のネクタイも2本に見えたりします

恋の季節のあめんぼんぼうじゃねぇ~・・・この句には合わないと思ったもので

それで他の画像をと探していたのが野良ちゃんの画像でした

 

ま、そんな風にして画像探しから始まり、季語の説明をいれ、「句意」を入れ、なんてしていると

時間のたつのが早い早い

それにソフトのパターンもmako流に編集しているから実際プリントアウトしてみて

あ、しまった~、ここ、消してなかった~なんてことが多々あり、何て用紙の無駄使いをしていることか

 

そんなこんなで昨日も一日を費やしてしまった

今日?

今日は快晴!

カメラが私を外へお誘いあそばしていらっしゃいます

はいはい、お共いたしますよ~ん^^♪