兄から電話がありました。
兄「お前さぁ、摘果の手伝いできる?」
私「できるもなにも、この前やったし、去年も手伝ったよ。なぁに?明日来てくれって話?」
兄「いや、来週以降だけど」
私「だってこの前、そーゆー話になってたじゃん。元々そのつもりだったし。大丈夫、心配しないで」
なんだろうなぁ、なんで遠慮がちに農作業の手伝いを頼むンだろうなぁ。
もう一昨年の暮れから農作業の手伝いしているし、農作業の手伝いを断ったことないのに。
やれることは何でも手伝うと言っているのだから、私の言葉を信じてくれよ、兄ちゃん。
心配性の兄は、ホントに損な気性をしているよなぁ、と思わずにはいられません。
その心配性が、がんという病気を引き寄せたストレスだと思うンだけれどなぁ。
兄は、子どもの頃から2歳年下の私に「僕さぁ、◯◯は××だと思うンだけと、makotoちゃんはどう思う?」とか「makotoちゃんはどうしてそんなに勝手に何でも決めちゃうの?僕の話も聞いて」と何度言われたことやら。
私は兄には兄の人生があるのだから、自分の思う通りに生きていけばいいのに、と常々思っています。
一方で兄にそれができるのなら、がんになるほどのストレスを抱えることもなかったろうに。
フレイルと認知機能低下の父がこの先、様々な機能が低下することはあっても回復はしません。
家族経営の農業だと、本日が1番若い日であり、みんな等しく毎日老化に向かってGOです。
もちろん私も明日は今日よりも1日分老化しています。
私は、兄に「やれることは協力する」と言ってあるのだから、遠慮なく言って欲しいンだよなぁ。兄ちゃん、1人で抱え込むなよな。
と、ボヤいてしまうのです。