先日、MIFさんとドングリ談義になった。
私 「もうドングリの季節だねー」
M 「あっそう」
私 「ドングリ、拾わなきゃ」
M 「オレはドングリに思い入れないぞ」
私 「ドングリ拾うお仕事があれば応募するのになぁ」
まぁ、そんな仕事無いだろう。
あるとすれば、ボランティアでドングリを拾って植生にいかしたり、クマの餌として集めるくらい(これは実在のボランティア活動)。
私は子どもの頃に身近にあったドングリはカシだったので小さなドングリ。
実家の敷地にはクヌギもあったが、急斜面だったので子どもでは分け入ることができなかった。
だから、当時60歳くらいの祖父にお願いして拾ってきてもらったりした。
少し遠くの公園にはマテバシイがあったが、これは争奪戦になるので手にすることはなかった。
時代は過ぎて、8年ほど前からご近所街路樹にマテバシイが植えられてから、毎年マテバシイが楽しみだ。
拾うにしても使い道は無い。
だから拾って手にして、ニタニタ笑い、そっと元に戻すだけ。
他人からみたら完全におかしな人だ。
それでもいい。
今年もドングリの季節になったと確認して、季節を感じる。
なぜドングリほこんなにも私をワクワクさせてくれるのだろう。
あの小さな粒は無限の可能性を感じされてくれる。
なんて素晴らしいのだろう。
その種をまいてみたり、工作の材料にしたり、シマリスならマテバシイを食べるし、楽しみの弾丸と言えそうだ。
明日、ドングリを拾ってこようかな。
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makoto
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