双子の姉を愛した男。双子の妹を愛した男。旅先の事故から一人帰国したのは姉か、妹か?愛すれば愛するほど君が誰だか分からない。
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2014年三浦春馬さんご出演の中国との合作映画を見ました。
行定勲監督も、結局姉妹のどちらが帰ってきたのかを明らかにしていないようです。
それこそ白黒はっきりつかない中で、何を感じるか。自分は何が大切だと感じたか。
そういうものを問われる映画でありました。
ここからネタバレになると思いますのでご了承よろしくお願いします。先入観無しで見たい方はここで画面を閉じられることをオススメします。
私の中では、生きて帰ってきたのは妹のルーメイだったと感じました。
何をもって自分を自分だと言えるのか。つまりアイデンティティです。
姉妹の事故前に4人で出かけた時、
妹のルーメイとその彼は、姉ルオランの彼、リョウ(三浦春馬さん)をどこかバカにしていると感じました。
妹と彼氏は、モデルとか、映画監督とか、見栄えのする肩書きを自分のアイデンティティとしていたような。
だから妹ルーメイの彼は、事故後帰国したルーメイをルオランじゃないかと疑うことになったのではないかと。
事故前だって、ルーメイの彼は、姉のルオランが人だかりに囲まれているのを見てルーメイだと思い込んで車に乗せてプレゼントを渡していました。
上面に見えるもので相手を見ていると、心の底の本質の部分は見えていないのではないか。
果たして私は、本質の部分を見ているだろうか。表面的に優しくしてくれた、とか、何かをくれたとか、くれなかったとかそんなことで人を判断していないだろうか。
姉ルオランは妹のルーメイが、人生で自分のやりたい事を全部奪ってしまうと泣いてリョウに訴えました。子供の頃ルーメイにブランコを強く押されて怖かったから飛び降りて頭を怪我して血がたくさん出たと。
でも、一人帰ってきたはずの妹のルーメイが、子どもの頃ルオランに強く押されてブランコから落ちたとリョウに言い、頭の傷跡を見せます。
リョウも私も混乱(°▽°)
私は想像するに、姉ルオランも意志が強く子どもの頃はそこそこやり返していたのではないか?
双子ゆえ同じ理由で同じ場所に傷跡を作っていた?
もしくは、別でできた傷を姉にやられたと嘘を言っているうちに嘘だかほんとだか、自分が誰だか分からなくなってしまったのでしょうか?
姉妹の旅行中に教会に寄り、姉のルオランは、リョウからもらった時計を置いて、代わりにそこにあった十字架のネックレスを持っていきました。
これは今を生きるという決意だったのでは。リョウが亡くなった昔の彼女が忘れられずにあの世に届く五分前にいつも時計を合わせていたのです。
十字架のネックレスは、客船の事故の時に泳げない妹ルーメイが助かるようにとルオランが首にかけてくれたと説明されました。
映画の最後の方に、一人残った女性は当時の旅行先の教会に行き、ルオランが生前置いた時計と十字架のネックレスを交換して、リョウのところに時計を置いて去っていきます。
私はこれを解釈するに、やっぱり生き残ったのは妹のルーメイだろうなと思いました。
時計はルーメイにとっては姉の形見。パートナーと別れて傷心でリョウに「一人にしないで」と泣いて寄り掛かったけれど、結局姉からリョウを奪うことをせず、姉の形見の時計をリョウの元に置いて立ち去ったと解釈すると、双子の姉妹はお互いに複雑な感情を持ちながらもお互いに対する思いやりや愛情は失くしてなかったのではないかと感じました。
劇中に出てくる詩に、
人は他人なんか愛していない、他人の中に見える自分を愛している
というようなものがありました。
逆にとれば、自分を確かに愛して信じていれば、他人を愛して信じることができるのでは。
寂しさで人に寄りかかって愛や言葉を欲しがるのは違うんだなと。
人の幸せを心から願えるような確固たる自分、愛ある自分を見つけたいと思いました。
もしくは、愛されている自分を信じたいものだと思いました。
亡くなったパートナーのことを想うリョウを演じるのが、実際に亡くなってしまった三浦春馬さんということが、なんとも言えません。
ご冥福をお祈りします。
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