くうあり

自分なりの気付きを綴るブログ  

神田英雄先生の最後の講義 ~お前は俺が親で幸せだったかい?~

2013-02-06 06:04:19 | 神田英雄先生
※最後の講義……私にとって最後の講義、の意味です。


神田先生は発達心理学者で、著書の分かりやすさやその温かい人柄で各地でご活躍でした。
日本中の親と保育士を元気にするべく飛び回っておられた先生です。
残念ながら 2010年3月6日にまだ50代の若さでお亡くなりになりました。

学生時代からとても人気の先生でゼミの倍率も高く、私は講義を受けるだけだったのですが
保育士1年目の時にすごく保育に悩んだ時、神田先生の卒業生用ホームページに
「保育で悩んだら、ここに書きこんでみんなで分かち合おう」と書いてあるのを見て
「本気で泣き言言っていいですか?」って相談したのがきっかけで
メールでのやりとりが始まり、私の勤めていた園にも何度も講師として来てくださいました。
鬱になってやめますと連絡した時も、結婚する時も、出産した時も
いつも祝福して支えてくださった恩師です。

今回紹介する講義は、2009年9月、下の子妊娠中にたまたま新聞広告で見つけ、家の近所で開催された講演会でした。
私にとって、これが神田先生にお会いできた最後の機会でした。
この時、「どっちのお腹が大きいかな?(笑)」って言いながら撮った写真が宝物です。

では、講義の資料とメモを元に内容を紹介します。茶色字が先生の話されたことを自分なりに拾ったメモです。

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「乳幼児期の子供たちの今と未来」

はじめに 

今日お話したいこと。
我が子が大学に入ったら、「ちょっとでも成績良くあってほしい」というあがきが消えた。
残るのは「お前は俺が親で幸せだったかい?」ということだけ。あがきが原因で叱ってばかりだったら振り返った時
辛い。今幸せな時間を毎日積み上げていくことが大切。何でも「いいよ、いいよ」で育てたら育たないけど……。
競争社会で、(人と比べてしまうことも多いため 何もしてなくても、隣の子が習い事を始めただけでも)ただでさえ焦る。
 「焦らない」ということを意識する。いいところだけを認めていくように意識すると、育児でおかしくならないのでは。

1、自我の誕生と拡大をどうするか

  (1)自我の二つの側面(自我とは自分を意識する子どもの働き)

a「独立した個人」としての自立を確かめ、自らの誇りが育つ という側面
     自分は大切にされている、大切な自分 という意識がもてたら安心。
      

    b自分が「独立した個人」として周囲から認められ尊重されているか、ということ
     に常にアンテナを張っている側面〈ハリネズミ〉
     自分ってダメなやつ。認められていない。〈自己評価が低い上に人の目を気にする〉苦しい子どもが増えている。

    ※一歳半のフシ 母と自分は一心同体でなく違う存在だと自我が芽生え始めることで、「イヤイヤ」が始まる。
            親の指示に従ったら親の領域に逆戻り。(一心同体◎→自立○。親の領域から飛び出す)
            今までは親と一心同体だったので、母が泣けば悲しくなって一緒に泣いてしまうが
            1歳半ごろから自立した個人として生きようとすることから、
             大人を守ろうとするかっこよさも出てくる。それを十分に認めて惚れていい。

   (2)1、2歳児の発達の到達点として、3歳児を展望する。
     
      虐待でもされていなければ、子どものアンテナにはほめられたり、認められたりという経験の方が100倍多      い。
      世界中の人が自分を素敵だと思ってる、という素敵な勘違いをしてる 明るい3歳児になったら
       子育ては大成功。

2、上記b の特徴による 1~2歳児の「難しさ」と対応 
    
    a自立を始める1歳児はどのようなしかたで自立したいのか?
     
      親から自立したばかりだから不安でたまらない。近くで見守っていてほしい。その中で自立したい。
      できないのに、自分でやる!ときかない時もあれば できるのに「できない」と言うこともある。
       自分を見ていてほしい、という自立の裏側の姿。そこを満たしながら、自立を焦り過ぎないこと。

    b「あなたを尊重している」ということを伝えるために
     
      ・「要求」を受け入れることと、「思い」を尊重することの違い                    
 
      ・「2歳半を過ぎたら、とにかく一旦はわかった!と言おう」というスローガン
        例えば、大人がお皿を洗っているときに「遊んで」と言われたら。
        大人は洗ってしまいたいから、「後で!」「ちょっと待って」と言いがちだが
        子どもは、要求を聞いてもらえなかった思う以上に、自分の意志が尊重されなかったと思ってしまう。
        そこで……「いいよ!遊ぼうね!じゃあ大急ぎで洗っちゃうね。」と楽しい雰囲気で演技。
        子どもは「分かった!」と納得して切り替えの早い子になる。
        (2歳半前にこれをすると、言葉を受け取る力が未発達なため、言葉通りにすぐ遊んでくれると
         思ってしまう。)   

      「貸して」「イヤ」は当たり前。「貸して」はあんたの領域に侵入するよ というサインと受け取る。
       自分を尊重してほしいという思いが強いほど「いや」は激しくなる。
       大人の対応として……「終わったら貸してね。後で、貸してね。」と声をかけ、
                   今遊んでる自分を尊重してくれたと思えるようにする。

    c子どもを受け止めるとは?
      -その場の対応でなく、その子の長い成長を保障するために
       友達のおもちゃを取ったときの我が子へ 「面白そうだもんね」と一旦は受け止める。
       最終的にはいけないことだよ、と伝えるが。

       その子の過去と現在を知って、未来を共有すること。
       アルバムを見ながら、過去を共有する。お風呂に入ってほっとした時間に、
       今日や昨日やずっと前の楽しかった思い出話をする。

       人が人を理解して受け入れることが大切。自分を知ってもらってる、分かってもらってるという
        思いが強くなると、叱られてる時も、認められてる自分を失くさずにいられる。

3、保育制度の今 

   待機児童を減らせばいいという問題ではない。
    子どもの未来を見据えて、親がかしこくなって、質のいい保育を選ぶこと。


【事例1】5歳児
 夏野菜の栽培をすることになり、I君はきゅうりの種を蒔いたが水やりを忘れがちである。
意識できるように保育室の傍に鉢を移動したが先端から枯れ始めた。それでもきゅうりがなると信じているI君に「きゅうりなかなかならないねー」と声をかけた。「お水忘れたから……」「僕、食べたかった……」
 Iくんのこれまでの育ちからこのままではと思い、こっそり双葉を植えておいた方が良いと判断した。
 ある朝、「あー!出てる!先生!芽が出たー!」I君の大声が園庭に響いた。
「僕、種蒔いた時二つ埋めたもん!」
「よかったじゃー枯れてないじゃー」
クラスの友達も喜んでくれた。
I君は祭りの行事中でも「水くれるの忘れたー」と法被のまま走っていくほどだった。
「Iくん、つるが伸びてるよー」S君がI君を呼んだ。I君は紐をもらいにくると棒を見つけてきてS君に手伝ってもらいながら支柱を立てていた。
10月、花が咲き小さな実がついた。時期外れのきゅうりは6センチほどだったが収獲することができた。友達に「~して遊ぼう!」と声をかけたり、廃材のロボット作りでもI君の力が発揮されてきた。
シイタケのホダ木を起こそうとした時もI君が「木なら探検山探しに行こう」と皆に声をかけた。竹が倒れていると「これでいいにする?」のMさんの判断に「緑の竹は強いけど、黒いし、ひびがいってるからだめ!」と自信をもって答え友だちを驚かせた。


責任を取らせ「枯れちゃった」という経験をさせる→打撃、失敗
保育士がカバーして、悲しい思いをさせたくない。→感動、成功
 
 ・周りの子と比べて、あなただめじゃんと焦って伝えたくなるけれど、比べないで良さを認めることで育っていく。

【事例2】
悲しみ
                      石垣りん

私は六十五歳です。

このあいだ転んで
右の手首を骨折しました

なおっても元のようにはならない
と病院で言われ
腕をさすって泣きました。
お父さんお母さんごめんなさい。

二人とも、とっくに死んで いませんが
二人にもらった身体です。
今も私は子供です。
おばあさんではありません。

(北村薫『詩歌の待ち伏せ 上』文芸春秋社2002より重引)

両親が大切にしてくれた身体、
両親が大切にしてくれた私、という思い。
「悲しみ」という題名だが、両親が心の中に生きている。
そういう子育てができたら幸せなんじゃないか。
 「お前は俺が親で幸せだったかい」

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