3月27日~29日の2泊3日の京都への旅を、孫の春休みに合わせて行にってきました。我が故郷青春を過ごした都
親の姿は残念乍ら見たくとも見られない事態になってしまいましたが京都に行くと我が母親の懐に身を委ねている感覚が甦るのです
孫の希望でどこで知ったか鳥居の沢山ある所に行きたいという事で京都駅から近鉄に乗り途中京阪電車に乗り換えて伏見へと行きました。
伏見稲荷大社
鳥居の先に立つ朱塗りの楼門は天正17年(1589)豊臣秀吉が寄進したそうです。
相変わらず朱塗りの鳥居が目立ちました。なんでもお稲荷さんと名が付く神社は全国に30,000社あるとか・・・お稲荷さんとして親しまれ、特に商売繁盛の神様として慕われているようです。
今回はお恥ずかしくもこの鳥居を潜って「お山めぐり」なるものがあることを知りました。
“へ~~ぇ
姉貴は何年京都にいたんだよ~
と久しぶりに私の弟に逢えて一緒に付き合ってくれたのでしたが私がこのお山の事を知らなかったことに驚いたようです。お山めぐりは約4k歩くのです。平坦な道のりならいいのですが…何しろお山です。
孫に聞くまでもないのですが一応登りますか・・・!?“登るよ~”の返事でLet Go
参道にある鳥居はなんと数千本あるようです。この鳥居には寄付された方の名前が書かれていました。大汗をかきながら一歩々と進んで行きました。孫たちは途中で逢ったお兄さんが走って登ってゆくのを見て挑戦の気持ちが動いた様で真似をして走り出しました
バスケをしているので足を鍛えるのに丁度いいと思いましたがお兄さんの様にはゆかなかったのです。息切れ! 残念でした
途中に鳥居を奉納されている場所がありました。ちょっと伏見稲荷のホームページを見ると鳥居の奉納するときの値段がありました。鳥居の号数によってお値段が違っていてなんと5号から¥17.500~10号¥1.302.000とありました。ワ驚きました
信じる者は惜しくないのですね
10号をお願いする人の顔を見たいと心の中で思いました。
お稲荷さんの帰り際に“ギョ、ギョ!”ひょっとして・・・すずめ”の焼鳥
間違いなくスズメの焼鳥でした。いまだに存在しているのですね。昔私も食べた記憶があります。空き地にカスミを張ってスズメを取るのも見たことがありました。現在は家が立ち並んで空き地がなくなっているのにどこで取っているのでしょうね!?
3月28日
孫たちは大阪のお友達を訪ねて行きました。その間私は弟の車でかっての学び舎を見たくなり御所の前にある「平安女学院」を尋ねました。
かつて私は京都市北区大宮釈迦谷という閑静な所に住み両親の勧めでこの学校に籍を置き中学・高校・短大とエスカレーター式で8年間通った学校です。右の写真は明治館といってまさしく明治に建てられた校舎なのです。家から学校まで約15kを自転車通学をした事もありました。わが青春の学び舎です。
新校舎もたって少し様変わりをした中庭から見る校舎ですが中学の頃アーム型の窓のあるギャラリーから飛び降りた人がいました。かってはその所に鉄策が切り取られたものが残っていてその所にスカートが引っ掛かり運悪く着地点よりずれて落ちました。一時は頭を打ったのでどうなることかと心配をしたのですが・・・学校に復帰してからはなんと頭がさえて成績が上がったと奇跡的な事を思い出し、私も落ちたかったと当時浅はかな思いをした事も甦りました。
平安神宮
明治28年(1895)平安遷都1100年を記念して創建され、桓武天皇と孝明天皇
を祭神とされている。この由緒ある神宮で私は結婚式を挙げた事をなぜかおぼろ
げに思い出しました
琵琶湖疎水に桜が風情をかもし出し平安神宮の大鳥居が見えています。
明治19年(1868)に開かれた京都市で最初の都市公園で知られています「丸山公園」があります。桜の名所で、とりわけ園内中央にある“祇園枝垂桜”がとくに有名です。
相変わらず観光客でにぎわっていて丁度良い花見頃でしたが今一今日は雲行きが気になりました。でも再び見る事が出来て感無量でした。
え外人さんが着物姿
とても様になっていてシャナリ々と公園内を歩く姿にビックリ
呼び止めて写真を撮らせてくださいとお願いをすると躊躇なくOK
他にも若い人の着物姿が多くみられ流石
京都だと思いましたが、なんでも着物をリースして、そして着せてもらって一日闊歩出来るというビジネスがあるのだそうです。商魂たくましいねぇ
最近ではほとんどの人は着物を着ることはなく西陣織物業者も経営が難しいと聞いたことがあります。その背景にこの様な新商売があるのでしょうね
知恩院に向かう途中でやはり着物姿で人力車に身を委ねている女性2人を、なんと引手は女性
京女の芯の強さかぁビックリ
いや違う。芯の強さはこういった風には京女は出さないはずなんだけれど…やはり世の中が変わっていくように昔の京女ではなくなって、いっているのかなぁ
でも引手の人、本人に聞いたわけでもありませんがきっと他県の人で学生アルバイトで引手を担っているようにも思いました。さてその真相は
え!何々、ご座の上で語り合う二人は何してるのでしょう!?腰に寝袋のような物を巻いて・・・
“ねぇそこのお二人さん、お花見ですか?”
“いえ、花見用の席を確保してるんですよ・・・”
“今夜のお花見なの?”
“いえ、三日後なんすよ”
“はぁ?三日後?それは大変ですね。学生さんですか?”
“そうです。毎年のお花見は後輩である1年生が席取りのお役目なのですよ。”
先輩、後輩の間はこのような事がよくあります。後輩のつらい所でしょうか
と言っても若いころはあまり「つらい」とは感じないのでしょうね。かえって楽しくもあるのではないでしょうか良いですね~青春は
知恩院の三門
一般の寺院は“山門”と書きますが、知恩院の門は“三門”と書くのだそうです。
「空門 (くうもん)」・「無相門 (むそうもん)」・「無題門 (むだいもん)」
という悟りに通ずる三つの解脱の境地を表す門、即ち 「三解脱門」
を意味するので三門と書くのだそうです
三門は 高さ24m幅50mあり、現存する我が国最大の楼門で
屋根瓦は7万枚にもなるようです。
此処は知恩院“三門”のなかにはいった所からの眺めです。
三門を見下ろすと、このような風景です。
この場所からもう少し行った所には大晦日に16人がかりでつかれる除夜の鐘があります。
大鐘楼の釣鐘は重さ約70トン
ら
またまた大発見!私はこれを見るのは初めてです!?除夜の鐘を聞きながらゆく年、くる年を何年も見つめて来たことか・・・! 108つの煩悩をこの鐘の音とともに拭い去ってきて今日に至っている自分がある。圧巻の鐘を見つめて感無量でした
今日はこの辺でホテルに戻る事にしました。孫たちはまだ大阪から戻ってない様なので、弟と別れて一人夜の京の町をぶらり歩いたみました。
京都タワー
今日一日あちこちと歩きましたが、元住んでいた場所にも行ってみました。知る住人はいないと思っていましたがなんとビックリ自分が住んでいた家は建て替えられて何も面影は残っていませんでしたが、お隣さんのお家は昔のまんま
で、思い切って呼び鈴を押してみました。なんとその家の娘さんが出てきて、「あ!高木さん
(旧姓)」と名前を言ってくれました。
すぐわかったそうで…なんとうれしい事 積もる話をお家に上がらせてもらって語り合いました。母の親戚の人にも逢えました。訪ねてみるものですね
大収穫
大丸にて夜のお食事です。薄い色のうどんの汁の美味しい事
3月29日
3時18分の新幹線を乗るまで時間つぶしに又金閣寺を見に行きました。相変わらず観光客でごった返していました。
次は今宮神社です。また々“あぶりもち”を食べに行くのです。バスの一日乗車券(500円)を買っておきました。
今宮神社
4月14日には京都三奇祭りの一つ“やすらい祭り”があります。
願い事成就を占う「重軽石」=おもかるいし
という神占いが有ります。
彼女は何を占ってのでしょうか
なんと今日は大安なのでしょうか。何組もこの神社に式服を着たカップルが記念写真を撮っていました。なんでも前撮りとか。打掛はやはり花嫁にうってつけのものだと思います。絵になりますね私もかつては・・・こんな時があったのですね。遠い昔々の事です。
今度は孫達の花嫁姿を見るまでは・・・元気でいたいと神仏に願い事をする心境になりました。
細く切った竹串にお餅をちぎって刺し炭火で焼いて味噌だれを付けて食べます。
一皿 ¥500 約16本です。たかが餅されど餅 美味しいんですよね
近鉄ホテル フロント
今回宿泊した「近鉄ホテル」駅ビル内にあって位置的には便利でしたが、ビジネスホテルの様な感じで部屋はコンパクトでした。。エレベーターの2Fの文字が有りません。何故??2F部分は電車が通っているようです。え~意味わかんないとは孫の言葉です。
全体にお天気はあまりよくありませんでしたが,今回はいろ々な思い出づくりが出来ました。
「故郷は遠きにありて思うもの」私には故郷が有って幸せだと思うようになりました。