ポンポンダリアの独り言

毎日、何気なく生活する中で感じた事を気の向くまま、思うがままに投稿して見ようと思いました。

久喜市のラベンダー&本多静六記念館

2014年06月27日 | Weblog

6月22日は私の誕生日です。
絵手紙を画きたくて習っています。誕生日月には絵手紙の仲間から必ず絵手紙で祝ってもらえるのです。

  

     

     
            今年も心のこもった絵手紙が沢山に届いていました

又この時期はラベンダーが咲く事を思い出していつも見に行く久喜市の菖蒲町に様子を見に行きました。

 

         
              小さな〝蜂”達がラベンダーの香りを楽しんでいます。

私も梅雨の合間の晴れとラベンダーの香りを楽しみました。特設会場ではラベンダーの切り花を一束\500で即売もしていました。
リボンで編み込んだラベンダーを枕元に置くとその香りによって安眠出来たり、精神的な安定剤にもなるというキャッチフレーズと共に販売員がお客さんを呼び込んでいました。

      

               

   ラベンダーばかりではなく他の美しい花も咲いていて楽しませてくれます。

     
    この道路の向こう側には菖蒲が咲く場所もあるのですが今ではもう菖蒲の
    花は見られませんでした。

     
                    ↑ 菖蒲総合支所

涼しい所で一度休憩を取りたくて菖蒲総合支所に行ってみました。実はトイレにも行く目的もあったのです…"(-""-)"

         
           え 秋でもないのに・・・銀杏の木が有りました。

「何なのですか!?この木は
〈本多静六に関係する〝首かけイチョウ”です〉と係りの人の説明です。

「アァ…そうなんですか・・・
〈今丁度この館内5Fに於いて本多静六記念館の開催中なので宜しければ観て行ってください〉
「ハイわかりました」と知ったかぶりして返事をしました。実は〝誰”なのか記憶にはまったくありませんでした。

         
                        【本多静六】

                

本多静六(1866~1952)日本では最初の林学博士。また「日本の公園の父」としても知られている。久喜市出身の郷土の偉人として、又 埼玉県を代表する偉人の一人として現在でも多くの人に尊敬さていると説明がありました。

へぇ~~!初めて耳にする人物です。ひょっとして私だけが知らないのか・・・!?
あ~ら皆様はご存じだったのかしら それとも私の様に知らなかった??・・・

   

日比谷公園にこの〝首かけイチョウ”が今も生き続けているのだそうです。何気なく公園の中を散策しているのですが昔からある公園で誰が作ったか?なんて全然知りませんでした。今日は公園や鉄道の防風林等を作った人「本多静六」であることを学びました。

明治神宮の森は本多静六が中心となって、もともと森がほとんどない場所に静六は10万本の木々を植えて森を作り「天然更新」と言う木々が持つ自然の力で成長し続ける盛で100年かけて自然の森と同じ姿になるように作られているのだそうです。

首かけイチョウとは、もともと公園近くの道にそのイチョウは立っていたが道路拡張の際に、この木は邪魔で移植も出来そうにないという理由で、切り倒される予定でしたが〝静六”はめったにない大木なので、自分の首をかけて(失敗したら日比谷公園の設計の仕事を辞める覚悟)でもこの木を守て見せると、切り倒すことに反対した。気を守る事をあきらめなかった静六は、この木を公園内への移植に成功した。

と言う歴史があったようです。凄いですね!!今も生き続けているそうです。
今度日比谷公園に行った時はその木に会いたいと思いました。

   
本多静六の生い立ちは貧しかったが頭がよく、又努力して成功を導いた人の様です。努力して多くの財産を築いたが、贅沢をせず質素な生活を送り、勉強をしたい子供たちが学校へ通えるようにほとんどの財産を寄付し、奨学金せいどなどをつくりました。

「人生は努力であり、努力は幸福を生む」(人生即ち努力努力すなわち幸福)と言う静六の言葉があるそうです。

             静六は昭和7年(1952)85歳で没

やる人はやる!何か一つでも自分で出来ることないか・・・と考えた日となりました。
爪の垢でも煎じて飲みたい気分でもありました。
凡人には難しいです。

 

  
                  

   

 

 

 


母をテーマーにした人形に逢いに

2014年06月22日 | Weblog

 

鬱陶しい梅雨空のある日の朝、テレビの画面に老婆の人形がリアルな格好で映っていました。表情が豊かで思わず微笑みたくなってしまいました。    

    
      「母の思い出」           「寒さが友達」         「スケボー婆ちゃん」

          【〝人形が語る母の姿”がテーマーで、横浜人形の家F3企画展示室にて
           
6/1~7/13まで行われているとの説明がされました。】

以前にもTVで日常な生活ぶりの人形の紹介を目にした事がありましたが、今回の人形はいずれ己の姿もこの様になって行く事なのでとても興味が湧き、その人形達に会いに行きたくなりました。1人で見に行くのももったいないと思ったので、友達を誘って日程を調節して6月18日に決定しました。

横浜には何度も行った事がありますが〝人形の家”があるとは知りませんでした。昔のお話で童謡にもなった「赤い靴」もこの港の見える丘、山下公園が発祥の地であることも記憶にありました。

   ♪♬♪
        〝赤い靴履いてた女の子、偉人さんに連れられて行っちゃた~!”
         とよく歌いました。懐かしく思い出しました。               ♪♬♪

JR京浜東北・根岸線→石川町 で下車。この場所を調べた時、石川町駅より1分と有りましたが何故か1分ではそれらしき建物は出てこず、降り出した雨で折りたたみ傘を開いて横浜のブテックを冷かしながら人形の家を探しました。
蛇足ながら不動産会社の広告には実質時間よりも少なめの時間、徒歩何分とチラシ広告に提示してあることがあった事を思い出しました。

         
       〒231‐0023 横浜市中区山下町18  
10分程歩いてやっと探し当てました。

   

              
                       世界の人形達が集まるエントランス

入場料¥400を支払って館内に入りました。知っている人形、知っていない人形と様々なお人形が所狭しと陳列されていました。流石人形の家です。

                 いよいよ本命 「福田朝子」先生作品の部屋

     
     子育てはかあさん(ちょっと昔は子沢山)           桃栗三年柿八年

母の姿ばかりではない子供もテーマーになった作品もありました。微笑ましいどこにでもある母の姿は偉大だと思いました。誰にでもいる母親その存在は大きくその懐は安心できる場所だと思います。自分の今はいない母親を懐かしくその匂いまで思い起こしました。

       
                           福田朝子先生 

なんと!なんと!偶然にも当のご本人がいらっしゃいました。 ラッキーでした。私と一つ違いの年齢で急に親近感を覚えて取材中にもかかわらずあつかましくも声をかけてしまいました。
快く「どうぞご一緒に」と言われ、オバタリアンの図々しさ丸出しで友達と共にその席に留まってしまいました。

どういったプロセスで今日に至ったかをお話をされていました。お人形を如何にリアルに表情を出すか❓や展示する時の苦労 etc. とにかくお裁縫が好きである事、制作時間は家庭のリズムをくずさずに行いPM9:00から約4時間を使われるそうです。

好きこそものの上手なれとは良く言ったものだと思いました。 いくらお好きでも根が詰まるお仕事ですがもう400体も制作されたとの事で、只々感心するのみでした。活躍の場も海外にも進出されているとか・・・
関心のしっぱなしで、それに比べて私は…"(-""-)" なんて比べること自体があつかましくありますが趣味を多く持ちながら何をやってもいい加減で中途半端何一つ目が出ていません  
深いため息をついて先生とお別れしました。

          

夢中で観賞をしていたのでお昼もとっくに過ぎ、お腹が減っているのも忘れていて・・・( ^)o(^ )外に出ると急に空腹を覚え、どこでお昼にしようかと思いあぐね標識で何方に行くかを相談しましたが横浜っ子は中華街にはゆかず他の美味しい所のアンテナを張るようですが、我々では心当たりはありません。
仕方なく人形の家の近隣にを見つけ、手っ取り早くそのレストランになだれ込みました。

        
                                山下公園

それぞれのお腹を満たした私達は山下公園でまだバラが咲いているのを見つけ腹ごなしに公園を見て歩こうと思いましたが、丁度、遊覧船が出るアナウンスを聞き、それも良かろうと、横浜駅まで\700のクルーズを楽しみました。

   

                    

     

                 

お天気がもう少し晴れていたなら良かったのですがこの様な薄曇りで今一でした。人形の家さがしの時は雨に降られて携帯用傘を広げましたがその時のみの雨で助かりました。入梅時期で致し方ないです。

絵手紙を趣味とする者達が集まって見分を広めました。私は刺激が有りすぎたようです。人は人!と思いながらもその人は出来る腕を持っている。私にも何か出来る腕がないものかと思う一日になりました。
あ・・あ・・!   

 このブログに母のお人形の写真を添付致しましたがこれは 福田朝子先生のHPからのお写真を使わせて頂きました。 自己承諾で使用させて頂きました。失礼いたしました。悪しからずお許し下さい

 


軽井沢バスツアー

2014年06月13日 | Weblog

5月28日(水)

「医療生協さいたま」によるゆっくり、ゆったり、軽井沢散策のバスツアーに参加を申し込んだ私は朝6時30分集合場所である″まつば堂”目当てに行きました。昔は春日部駅西口に確かにその名前の酒屋さんとしてあったと記憶していましたが・・・・?現在、あまりその辺りには車で素通りするのみとなり、気にも留めていませんでした。
とにかく時間には待ち合わせ場所である〝まつば堂”を探す為に一番乗りで行きました。

     
           テェ いつの間にか目新しく改築された 〝まつば堂”見つけ

そのうちに、リュックを背負った人が集まって来ていました。今回の医療生協のバスツアーでは、初めての参加です。医療生協に携わっている人達は面識があるのでしょうが、私はノータッチなのでどなた様もわかりません。時間が進むとだんだんと人が集まって来て点呼が始まりました。
その中には思いがけず顔見知りの人もいて内心気持ちが楽になりました。しかし集合場所であった〝まつば堂”は昔の面影はビビットもなく、ビルに改装されて、見違えるものになっていました。 

                      6時50分 出発    ツアー

   
               羽生SA  8時50分着 休憩

                   
                           横川SA  10時30分着 休憩

       
             「クレヨン しんちゃん」 
 春日部を代表するマンガ絵のバスにて進行中

  
                  軽井沢 11時15分 着
 

      
これからこの軽井沢銀座を散策する為に12時30分までの自由時間となりました。

        
軽井沢銀座の通りにあるお店は何故か・・・あまり活気がありません。この場所にニュジーランドに咲く〝マヌカ”と言う花で取れるマヌカハニーが売っていたのにはビックリでした。お値段もやはり高いです。過去にニュージーランドに行った時折に初めて知った蜂蜜で、日本で買うと高い!よと言われ、思い切って現地で買った事を思い出しました。

   
            「軽井沢写真館」と看板があって一世紀前の様な写真も飾ってありました。
            ここいらでは老舗で有名なのかもわかりません。

        

あれこのテニスコートは、在りし日の、皇太子殿下と美智子様の出会いのテニスコートなのでしょうか
一世をふうびしたあのニュースから50年たちました あの時は若かった私はまだ京都に在住していて学生でした。
あれから…50年今は何時ボケるかと心配する状況となりました。月日の経つのは早いものです・・・なんて〝綾小路きみまろ”が劇場で中高年のお客様を笑いの渦に引き込むかのような口調になってまいました。
  

  
               テニスコートのすぐそばには「諏訪神社」が有りました。

 

 

            
      諏訪神社の鳥居をくぐった所に二匹の獅子の像が有り社を守っているのでしょうか 
                  この獅子に関してのいわれがあるのでしょうね!?

 

       
                   本日の昼食の会場となるプリンスホテルです。

      
食事の前にプリンスホテル前の庭園での記念撮影です。私は写真を撮りたくないので…物陰に隠れてその様子をガラス越しに収めました。後ほど、私は写真に写っていなくても写真は届きました。

         
                      バイキングの昼食 

バイキングは私一人だけでゆっくりと味わいたいので、顔見知りの彼女とはバスの中でお隣同士で席を共にしたので昼食では彼女のお知り合いもいるのでしょうから別に席をわざと離し、バイキングをすぐに取りに行ける場所を選びました。

   

      
             

食後は帰りの時間まで緑の木々の合間を散策しました。近くにはアウトレットの会場もあったので、足を延ばして見に行きました。別に買いたいものはなく目の保養・・・・とでも申しましょうか、どの様な物が陳列されているかを見ただけでした。軽井沢だからと言って特徴のあるものはなくな~~んだ!と言った感じでた。

             
            最近その土地のマンホールのデザインが気になる様になり記念にパチリ!

 

     

お天気に恵まれゆっくりゆったりと軽井沢を散策できて満足です。45名の参加者全員事故もなく帰宅の途に就くことが出来ました。帰り、羽生のSAはなんと〝鬼平江戸処”と銘打って江戸情緒の家が並んでいました。
色々と珍しい事をやって特徴あるSAにしてお客の足を止める商法だと思いました。
工夫する事は良い事ですね。16時30分鬼平江戸処を出発しました。
帰宅のバスの中ではハーモニカの伴奏で昔懐かしい歌を歌いながら又唾液に関してのお話など医療に関するお話もあって有意義でした。 流石医療生協ならではのバスツアーだと思いました。