ポンポンダリアの独り言

毎日、何気なく生活する中で感じた事を気の向くまま、思うがままに投稿して見ようと思いました。

第31回春日部祭り

2012年04月30日 | Weblog

4月29日(日)春日部市のイベント「春日部祭り」が賑々しく行われました。
決められた駐車場がありますがすぐ満車となるので早めに家をでました。

         

11時15分にパレードが始まりました。天候もよく半袖でもいい気温です。
春日部駅から藤通りを大沼までをイベント会場にあてられております。両サイドの歩道にはびっしりと食べ物の業者が入って準備に余念がなく忙しそうです。又バザーをはじめ素人の売り場もあってお店が出ると同時に買う人もいて時間と共に人の列は多くなり始めてきました。

 
               

春日部を象徴する“藤”の花はいい香りを漂わせていましたが、藤棚の下の方に垂れ下がるまでにはいっていませんが花の開きも良かったようです。

         

学校、幼稚園・・・と団体のパレードが延々と続きました。パレードしている人達はそれぞれ思い思いのコスチュームでの行進です。歩きながらの演奏もあって出演者は玉の汗が噴き出ていて見ていて気の毒なほどでした。
駆け寄って汗を拭いてあげたい衝動にかられましたが、そうも行かず同情しての見物でした。

         

1時間ほどのパレードが終わると格スクールやサークルのパフォーマンスが元気一杯に披露されて楽しみました。

         

         婦人団体の春日部音頭と和太鼓のコラボです。  

         

空手の形を一生懸命、力強く“エイ!ヤァ~~!”と頑張って見せてくれました。女の子も結構参加していたのには驚きでした。昔と違って今は何にでも挑戦が出来ていい時代です。

         

お祭りの終盤では“ヨサコイ”踊りのオンパレードです。4ブロックでは思い〃の衣装でのヨサコイで観衆も飛び入りで入ってくださ~~いと呼びかけてクライマックスにふさわしいのりのりの踊りで観衆と一つになってゆくようでした。いや~~まったく楽しい一日でした。

                     (似顔絵)

     
          
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蛇足ながら春日部祭りの時には必ずと言っていいほど“似顔絵や”さんが参加しています。1枚千円也! 時間的に早かったせいか、誰も似顔絵を書いてもらう人が椅子に座っていなかったので久しぶりに書いてもらう気分になりました。 
若く書いてねと言いましたが・・・どうでしょうか顔に刻まれたシワは一本なく・・・・11年前とどうでしょうかなんだか下膨れしているようで・・・本人とすれば一寸不満足な気分でした。一番乗りなので右端には藤の花があしらわれました。しかし・・・私としては、こんなに唇は大きくないと思うのですが・・・絵描きさんも年をとったのかな と思いました。
おまけ付きの藤祭りでした。  ハハハ・・・・・・


茂林寺

2012年04月21日 | Weblog

館林にある「茂林寺」はブンブく茶釜として知られています。
私の所からは車で約1時間30分位なので面白いたぬきに会いに行くことがあります。お雛様の時はたぬきに着物を着せてあったのですが、もうすぐ五月の節句が近づいて来ているので、それらしき扮装でもしているかなぁ~と思い行ってみる事にしました。

             

    
 茂林寺の入り口付近には、この様なたぬきの置物を売るお店があります。
 

            
                       茂林寺の入り口の門

      

      

      門をくぐると両サイドにたぬきたちがお出迎えしてくれます。

           
            門をくぐリ右に向くと“いらっしゃい”の笑顔

           
         ひょうきんな格好に思わずニヤとしてしまいます。

          

立派な山門をくぐるとブンブく茶釜と称する茶釜が置いてある本堂があります。

茂林寺のHPにはブンブく茶釜のいわれが記してありましたのでそのまま使わせていただきます。

                          

寺伝によると、開山大林正通に従って、伊香保から館林に来た守鶴は、代々の住職に仕えました。
 元亀元年(1570)、七世月舟正初の代に茂林寺で千人法会が催された際、大勢の来客を賄う湯釜が必要となりました。その時、守鶴は一夜のうちに、どこからか一つの茶釜を持ってきて、茶堂に備えました。ところが、この茶釜は不思議なことにいくら湯を汲んでも尽きることがありませんでした。守鶴は、自らこの茶釜を、福を分け与える「紫金銅分福茶釜」と名付け、この茶釜の湯で喉を潤す者は、開運出世・寿命長久等、八つの功徳に授かると言いました。
 その後、守鶴は十世天南正青の代に、熟睡していて手足に毛が生え、尾が付いた狢(狸の説もある)の正体を現わしてしまいます。これ以上、当寺にはいられないと悟った守鶴は、名残を惜しみ、人々に源平屋島の合戦と釈迦の説法の二場面を再現して見せます。
 人々が感涙にむせぶ中、守鶴は狢の姿となり、飛び去りました。時は天正十五年(一五八七)二月二十八日。守鵜が開山大林正通と小庵を結んでから百六十一年の月日が経っていました。
 後にこの寺伝は、明治・大正期の作家、巌谷小波氏によってお伽噺「文福茶釜」として出版され、茶釜から顔や手足を出して綱渡りする狸の姿が、広く世に知られる事になりました。

                           

         
             ひゃ~~!なんて! デカ

以前に来た時に噂のブンブく茶釜を見たのですが・・・・それらしきものが置いてありましたが・・・・まゆつば物と私は思いましたが、清い心の人はきっと信じられるのでしょうね
どう見えるのか一度見にいかれては如何でしょうか見に行く価値はあるかもあなたの目で確かめて下さいね

     

結局期待した五月節句の衣装はありませんでした。ひょっとすると五月になってから着せるのかもわかりません。
館林の市役所やいたるところに“狸”の置物が立っています。市役所近辺の川にはギネスブックに載ったと言われる鯉幟がぎっしりと泳いでいます。もう少し川が綺麗だといいと思いますが一寸残念です。
又茂林寺の側には「芝桜」が綺麗な所があります。今日はまだ芝桜は咲き揃ってないという事で又の期に見に来ようと思いました。

   

 

 

 

 

 

 


京都観光その2

2012年04月14日 | Weblog

4月4日

昨日の低気圧は各地で被害を出したと朝のテレビで被害の模様をうつし出していました。今朝のお天気は薄曇でしたが、もう大丈夫の様です。
ホテルにてバイキングの朝食です。孫たちは大喜びでした。初めての体験です。大人達の行列に混じって好きなもの、初挑戦のもの・・・などをピックアップして楽しみました。

NHK朝ドラを見てから今日の第一の目的である「今宮神社」の“あぶりもち”
を食べに行くことです。
   
                「今宮神社」表口

 

私の夫は一時大阪勤務となり、私の実家が京都なのでそこに身を寄せていました。実家からこの今宮神社が近くて1年生になった娘を連れてここに“あぶりもち”を食べに来ていた事を覚えていました。それから埼玉に戻っても実家に帰省するたびに“あぶりもち”を食べに来ていたので懐かしく絶対に来たい場所ナンバーワンだったのです。

     
                 (今宮神社の本殿)

この神社では京都の春の祭りの先がけとなる “やすらい祭り”が4月第2日曜日に行われます。この日が好天気に恵まれるとその年の京都の祭りはすべて晴れると言われていました。京都の三大祭の一つです。

           
                (やすらい祭りの)装束

 >や~すらい花よ~・・・・<と歌いながら踊りながら西陣の町を練り歩くのを思い出します。孫たちは境内にある大きな記念スタンプを押していました。ハンコの意味がそれぞれあるようです。よくここにきていたのに、こんな記念スタンプがあっただなんて・・・知りませんでした。

     

境内から外に出る小さな赤い太鼓橋を渡るとすぐ“あぶりもち”やさんです。さ~楽しみにしていた”あぶりもち”のお久しぶりのご対面で~~す。

 
         「一和」という“あぶりもち”屋さんの風景です

        
                    (あぶりもち)

千利休が茶菓子の変わりに用いたとも伝えられています。又疫病除けとして古くから重宝されていると教えていただきました。
一皿(500円)細かく裂いた竹串にお餅をつけそのお餅に黄な粉をまぶして炭火で焼き、白味噌だれで食べるのです。

       

店先から一歩敷居をまたいで入った所で竹串にお餅をちぎってはくっつける作業をしていました。昔からの光景です。なんだか非衛生的にも思いますが伝統的に同じ事を繰り返して来ているので、この方が近代化にするよりもなじんでいるように思えました。

      
                (炭火であぶるお餅)

先代の女将はもう既に亡くなっていました。備長炭の堅炭でこのようにしてあぶって焦げ目をつけます。このお店に置いたある調度品は古の変わりない物で昔とちっとも変わってないように思えました。お味も同じです
娘と昔のままね!変わってないねぇ~~と懐かしみました。
二皿をたいらげて、孫の父親にお土産を包んでもらいました。

       

なんと今時「竹の皮」です。昔は何でもこの竹の皮が品物の包み紙になったものでした。この皮の縁から細く裂いて紐を作り品物を竹の皮で巻いたものを縛るのに使用されてきました。子供の頃この裂くのが面白くてよく遊んだものでした。 今はこれに変わる紙が発達して竹の皮も使われなくなりました。ここで再びお目にかかれるなんてとても嬉しく思いました。

関西でしかあまり見られない“鱧”を求めに四条にある「錦市場」へと足を伸ばしました。

            
                     (錦市場)

プロの料理人だけを相手に取引する店もあるようですが、京都ならではの鮮度の食材が並べられている「京都のお台所」と言われている所です。
京都は近くに海がないので、鮮魚は一塩降って運んでくると言われています。その為しめ鯖の“鯖寿司” が古くから有名で、お祭りになるとよく鯖寿司をご馳走として食べました。
この中に鱧を専門にしているお店が何軒かあって、特に夏場が最盛期で「洗い」にしたり「蒲焼」にしたりして販売しています。蒲焼を持って帰るのに買いました。20㎝ぐらいのもので\800ぐらいです。

          
                    (鱧の蒲焼)  

帰宅してなつかしの味を食しましたが・・・・・何故かしょっぱく・・・この様な味ではなかったように思いました。日持ちするように塩分を多く降ってあるのか?と思うぐらいに食感が違い少々がっかりでした。 こんなはずではなかった

さて、最終目的は「京都タワー」です。地上100mにある展望台からは京都の眺望が360度楽しめました。天候がよければ大阪まで見えるようですが、生憎と曇り空となってしまい東山三十六峰のなだらかな稜線がうっすらとしか見えませんでした。

          
                (京都タワーから見る
京の街)

写真で見える左側のお寺は「東本願寺」です。観光バスが連なっています。真っ直ぐ北に延びている道路は「烏丸通」昔は地上に市電が走っていましたが今は地下にもぐってしまいました。碁盤の目の京都はわかりやすく、一条、二条、三条、四条・・と数えていくので覚えやすいです。
もうすっかり様変わりしていて昔の様子は消えてなくなり京都に住んでいたにもかかわらず御のぼりさんのようで、地名はわかっていてもはじめて見る様な家のたたずまいであって面影はありませんでした。時代の移り変わりなのでしょうね。古いものは消えてなくなる・・・・・一寸寂しくもありましたが神社仏閣は依然として同じ場所にあって威厳を保っているようでした。

                           


京都観光

2012年04月09日 | Weblog

4月3日 寒冷前線による台風並みの風雨があると予想されている中、一ヶ月半前から予約している事なので新幹線が止まらない限り予定決行で11時に東京駅を出発しました。
今回は孫達が春休みなので孫中心の観光です。孫たちは大阪方面にそのまま行ってしまい私だけが九条にある「新都ホテル」に直行です。新幹線を降りたときから空は真っ黒で時々稲光が走りました。
一応出かけるつもりで傘を持って京都駅の界隈を散策を始めましが・・・・・暴風と横殴りの雨に見舞われて足止め状態となって何処へも出られずその日はあっけなく終わってしまいました。

       

2日目右京区にある太秦の映画村見学です。
時代劇に必要な家や小物たたずまいが並んでいました。

        
                   「からくり忍者屋敷」

長女は興味があって入場しましたが次女は怖がって入りません。その間その子のお付き合いでみやげ物売り場を入ったり出たり。一緒に見に行ってくれればいいものを

             
           武家娘に扮した女性が写真に応じてくれます。

         
         にわかに池の水が動き中から怪獣が煙を吐いて出現

         
              黒装束の忍者??綱渡り~~!! 

          

♪合羽~からげて~三度傘・・・♪なんて歌いながら出てくるようなセットです。

         

時間でチャンバラのパフォーマンスがあって希望とあらばそのチャンバラをさせてくれるサービスもあります。

         
             衣装を着た男の子はチャンバラを体験

もう広い映画村はこのようにあちこちで何かをやっていて一部始終を見ると一日があっという間に過ぎていきます。小学生にとっては今一興味がなく又何をしたいわけでもなく、実行が伴わず足が痛いと言い出したのでこれ幸いにして映画村を出ました。  

      

        
                  北野天満宮

映画村の帰りには来た時とは違った電車に乗り、北野白梅町で下車をしました。そこには“菅原道真公”を祭る「北野天満宮」です。
天神=学業の神様であり梅の花でも知られています。
 孫が一緒なのでこれから孫にも学業を頑張ってもらわなくてはならないので是非にお参りしたいと思っていました。 天神様のお守りも奮発して買い求めました。

         

         
                    菅公御歌
        “美しや紅の色なる梅の花 あこが顔にもつけたくぞある”

梅は紅梅共、境内に咲いていて観賞できました。今まで知りませんでしたが案内書を見ると“とうりゃんせ”のわらべ歌で知られていますが、古くは「雷神」と結びつき神鳴さまとおそれられ、稲妻・稲光の語から雨をつかさどる「火雷天神」として豊年を祈る神様の様でもある。と書いてありました。

この天神様は毎月25日が縁日で「天神市」とか「北野市」などと呼ばれて多くの店が境内で所狭しと市を開いていました。私も京都にいる時はよく母に連れられて見物に来たことを覚えています。 
蛇足的なお話ですが、市の立つもう一つのお寺「弘法様」があります。この市は毎月19日を決まりとしています。天神さんと弘法さんは仲が悪く・・・?天神さんがお天気ならば弘法さんの市の日は雨模様となったようです。その逆もありで、平均して結果的に天候がその様になった様で誠しやかく語り継がれて来たようです。 

梅は咲いていたのですが・・・桜はまだ膨らんでいませんでした。(つづく)