♦️683『自然と人間の歴史・世界篇』スーマイル島原発事故(アメリカ、1979)

2018-10-08 21:39:33 | Weblog

683『自然と人間の歴史・世界篇』スーマイル島原発事故(アメリカ、1979)

 

   アメリカのペンシルバニア州スリーマイル島に立地する原子力発電所で、1979年3月28日、大規模な事故が起きた。同原発の2号炉の炉心がメルトダウン(溶融)した。同原発を所有する米電力大手エクセロンが、1974年に運転開始していた。

 この事故の主な原因は、一口に「原子炉冷却材喪失事故」に分類されるとはいうものの、いくつもの要因が複合的に絡み合った原発事故として知られる。

 具体的には、(1))補助給水系の出口弁を閉じた状態で稼働していた。(2)1次系の圧力が低下しても、加圧器逃がし弁が閉じなかった。(3)オペレータがECCSを早期に停止した。(4)格納容器が完全に隔離されていなかった。そのため、高放射性の水が外部に漏れた。(5)水位計の誤った表示をもとにECCSを作動させた。(6)1次冷却水ポンプを不用意に停止した。

 だが、この2号機が廃炉となったのち、事故の後処理で燃料の取り出しを終えたのは、やっと1990年であったという。それほどに、原発はいったん事故が起きると、それからは途方もないマイナスの日々が続くものだといえよう。

 

(続く)

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♦️206の1の4『自然と人間の歴史・世界篇』対外進出におけるイギリスとフランスの抗争(17~18世紀、七年戦争など)

2018-10-08 10:09:27 | Weblog

206の1の4『自然と人間の歴史・世界篇』対外進出におけるイギリスとフランスの抗争(17~18世紀、七年戦争など)

 イギリスとフランスとは、1689年から1815年の間に、大まかに海外展開に絡んで7回も戦った。彼らの植民地に絡んでの戦争の最初は、1689~1697年のウィリアム王戦争(ファルツ継承戦争)であった。

 その次の1702~1713年には、スペイン継承戦争(アン女王戦争)があった。こちらは、イギリスがカナダでインディアン勢力と組んで戦うフランス軍を破り、アカディアを占領した。ユトレヒト条約でハドソン湾岸、ニューファンドランド島そしてアカディアを獲得した。それでもフランスは、セント・ローレンス川沿いに要塞を築く、またインドでは原住民の中に勢力を得、セポイと呼ばれる原住民の軍を編成する。

 1744~1748年のオーストリア継承戦争(ジョージ戦争)では、フランスは1746年にマドラスを奪取した。

 1755(1756とも)~1763年の七年戦争(フランス人(フレンチ)およびインディアン戦争)では、イギリスは宰相の大ピットが植民地戦争を指揮して、イギリスに有利に展開した。カナダにおいては、イギリス軍はルイスバーグ、ナイアガラなどのフランス側要塞を落とした。その勢いで1759年にケベック、翌年にはモントリオールを占領した。かたやインドでは、カーナティック戦争を繰り広げる。1757年のプラッシーの戦いで、イギリスはフランス軍を破り、ベンガル地方を制圧した。1761年にはポンディシェリを占領した。

 こうしてイギリスは、カナダとインドの両地域でフランス軍が勝利をおさめたことで、1763年のパリ条約(イギリスとフランスそしてスペインが前年の1762年に結んだフォンテーヌブロー仮条約を継承)では、イギリスは有利な結果を得る。すなわちイギリスは、カナダ、ミシシッピ川以東のルイジアナ(以西のルイジアナはスペインへ)、西インド諸島の一部を獲得する。インドでは、フランスが土着の勢力と政治的同盟を結ばない保証をとりつけた。

 これら両国の植民地争奪にかかわる力関係の変化については、イギリスの工業力のフランスに比べての優位があったのは、想像に難くない。

(続く)
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