♦️891『自然と人間の歴史・世界篇』イギリスのEU離脱の国民投票とその後

2018-10-24 19:09:39 | Weblog

891『自然と人間の歴史・世界篇』イギリスのEU離脱の国民投票とその後

 イギリスのEU離脱の是非を問うイギリスの2015年6月の国民投票の結果は、離脱に賛成が51.9%、残留が48.1%と、小差で離脱が決まった。国民投票の提案者のキャメロン首相は引責辞任し、7月にはメイが保守党の党首となり、後継首相に就任する。

 果たして10月になると、メイ首相は、2017年3月末までにEUからの離脱交渉に入ると明言する。2017年1月には、メイ首相が「EU離脱」の方針を表明する。3月22日、ロンドンの国会議事堂周辺でテロが起こり、40人以上が死傷する。同月の29日には、イギリスはEUからの離脱をEU本部に正式に通知した。

4月18日、メイ首相は総選挙の前倒し実施を表明する。5月22日、イギリス中部マンチェスターのコンサート会場で自爆テロが起こり、80人以上の死傷者が出る。6月3日には、ロンドン橋付近でテロが起き、50人以上の死傷者が出る。

続く6月8日の総選挙の結果では、与党・保守党が過半数割れとなる。保守党内では、経済への打撃を懸念して一定の譲歩を求める声が出ている。6月14日、ロンドンの高層公営住宅で大規模な火災が発生し、死者・行方不明者79人。

 6月19日には、EUとの離脱交渉が開始される。年が明けての2018年、保守党政府の中では、離脱交渉が進まぬことへの不満が増していく。10月3日の保守党大会でメイ首相は、離脱後においては低技能移民労働者の流入を制限する方針を打ち出す。これは、EU域内で認められてきた「人の移動の自由」を打ち切ることを意味しよう。

 続いての同党の党大会では、離脱後も貿易ではEUルールを受け入れるとする政府方針にも、これではEU支配から抜けられず「詐欺だ」との批判が出たという。一方、同党内には親EU派もいて、彼らはEU残留も視野に入れた国民投票の再実施を求めているという。

 2018年9月20日はEU非公式首脳会議の最終日であった。その翌日の記者会見でEU首脳会議のトゥスク常任議長は、イギリスの提案を「うまくいかない」とし、話がまとまらなかったことが明らかになった。イギリスがEUから離脱する予定の2019年3月までに埋めなければならない溝はかなり大きい。

 現時点での双方の主張は、次の二つで大きく食い違っているという。一つは、イギリスは離脱後モノに限ってはEUルールに従うことにしたい。一方、人の移動の自由は認めず、移民の流入も制限したい意向だ。それから日本など第三国とは、EUとの関係にとらわれず自由貿易協定を結ぶ考えだ。

 しかし、EUにしてみれば、そうなれば「人、モノ、サービス、資本の移動の自由」を不可分とする基本理念に反する。いわゆる「いいとこ取り」されるのは受け入れがたい。

 二つ目には、イギリス領の北アイルランドと、EUに加盟するアイルランドの間の国境管理が問題となっている。イギリス・EUはイギリス離脱後に厳しい国境管理を復活させないことでは一致しているものの、アイルランドが一つの島であるところへ離脱後の人やモノの流れをどう管理しているかの折り合いがついていないのだ。

 

(続く)

☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆