262『岡山の今昔』岡山人(20~21世紀、渡辺和子)
渡辺和子(1927~2016)は、北海道旭川市の生まれ。父親は、日本陸軍中将で旭川第7師団長だった渡辺錠太郎である。
1936年(昭和11年)の2・26事件の時の父親は、陸軍教育総監の要職にあった。自宅で軽機関銃を据え付けられての銃弾をうけ、6、7人が寝間に入ってきて「突いたり、切ったり、最後とどめを刺されて」(「NHK映像ファイル・あの人に会いたい」での本人の述懐)、死亡している。その父親の死場を、1メートル位の至近距離にいて、9歳で目の当たりにした経験を持つ。
18歳となり、キリスト教のカトリックの洗礼を受けた。戦後も宗教者としての道を歩いて、大いに精進したのだろう。1963年(昭和38年)に36歳という若さでノートルダム清心女子大学の学長に就任する。
彼女は英語に堪能で、1984年(昭和59年)にマザー・テレサ(死後にローマ・カトリック教会から「聖人」に認定された)が来日した際には、通訳を務めた。
後にノートルダム清心学園の理事長・名誉学長に就任した彼女の著書に「置かれた場所で咲きなさい」がある、その柔和な人となりとともに、静かなるブームを呼ぶ。
それにしても、「置かれた場所で咲きなさい」とは、どういうことを意味しているのだろうか。人生、堪えに堪え、受け身で終始するうちに、花が咲くことにつながるのであろうか。こんな風に、説明がなされている。
「時間の使い方は、そのままいのちの使い方。置かれたところこそが、今のあなたの居場所なのです。「こんなはずじゃなかった」と思う時にも、その状況の中で「咲く」努力をしてほしいのです。」
とはいうものの、それがうまくいかないこともあるだろう。それというのは、「どうしても咲けない時もあります。雨風が強い時、日照り続きで咲けない日、そんな時には無理に咲かなくてもいい。その代わりに、根を下へ下へと降ろして、根を張るのです。次に咲く花が、より大きく、美しいものとなるために。」(渡辺和子「置かれた場所で咲きなさい」)
渡辺は、また、同じキリスト者である作家、三浦綾子の次の言葉を引いている、
「月や花は、人が美しいと言おうが言うまいが、美しい。同じく、みにくいものも、誉められようが誉められまいが、みにくいのだ。」(三浦綾子「愛すること信ずること」)
その上で、自分の価値は、他人との比較によってさだまるのではなく、「自分は自分として生きる。オンリーワンとして生きる」のが、価値ある生き方だという。
そういう意味では、自分をかけがいのない独立した人格として見いだし、肯定し、そのことを拠り所として生きていく、それでこそ、人生は有意義なものになる、と言いたいのだろう。
ここまで読んで、なるほどと思われる面もあろうが、大抵の読者は納得までには至らないのではないだろうかと見えて、続けて、こうある。
「今という瞬間は、今を先立つわたしの歴史の集大成であると同時に、今をどう生きるかが次の自分を決定するということです。人生は点のつながりとして一つの線であって、遊離した今というものはなく、過去とつながり、そして未来とつながっているわけです。
お気に入り詳細を見る 神様は私たちの「願ったもの」よりも、幸せを増すのに「必要なもの」を与えてくださいます。それは必ずしも自分が欲しくないものかもしれません。しかしすべて必要なものなのだと、感謝して謙虚に受け入れることが大切です。」
ここには、マザー・テレサとの違いは、あまり感じられない。というのも、テレサは、現実を直視して、たじろがない人であった。「私たちは世界を変えようとは思いません」(DVD『マザー・テレサの世界』)といい、私たちの目の前で苦しんでいる人を、死を前にしてあらがうすべを持たないような境遇にある人を、出来うる限り救いたい、というのが、全てであるような生き方をしていた。はたして、渡辺の到達した境地も、あるいは、そのような彼女の生き方と脈々とつながっていたのかもしれない。
(続く)
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