♦️467『自然と人間の歴史・世界篇』ジンバブエ

2018-10-21 21:08:30 | Weblog

467『自然と人間の歴史・世界篇』ジンバブエ

 ジンバブエ(1980年4月18日に独立、旧宗主国はイギリス)は、アフリカ大陸の南部に位置する。首都はハラレ。内陸国であり、モザンビーク、ザンビア、ボツワナ、南アフリカ共和国に隣接する。世界遺産のビクトリア湖の滝など、観光地としても有名だ。

 11世紀に遡ると、ショナ族によるマプングブウェ王国の成立がある。13世紀からは、モノモタバ王国(通称ジンバブエ王国)が繁栄する。ジンバブエとは、「石の家」を意味するらしい。これを伝えるのが、グレート・ジンバブエ遺跡であって、壮大な「石の家」として1986年のユネスコ世界遺産に登録される。王宮の跡や宗教儀式の場所、それに自然石の間を不整形の石を積み上げた壁などが残っているという。
 1890年代には、セシル・ローズの率いる英国南アフリカ会社による、モノモタバ王国に対する占領がなされる。このあたりへのイギリス人の入植も進んでいく。
 1923年、白人の住民たちが、イギリスの自治植民地としての南ローデシア(現在のジンバブエ)をつくる。1924年には、イギリスの直轄植民地(現在のザンビア)が設立する。これにいたる前には、1922年のイギリス南アフリカ会社の経営の行き詰まりが介在していた。

同社が、これを理由にローデシアの経営の放棄を決めたのに対し、イギリス政府は南アフリカ連邦への統合を望むのだが。1923年、英国の自治植民地として南ローデシアが発足する。一般的には、この頃のことを「旧イギリス領ローデシア」と呼んで区別している。
 そして、第二次世界大戦後に、この地域の白人中心社会の独立は持ち越される。南ローデシアの白人政権は、北ローデシアの銅とニヤサランド(現在のマラウィ)の豊富な労働力に着目する。そして、この流れで3植民地の連邦化を行うことを志向する。自分たちの夢をもたせてくれるのは、互いにタッグを組み、現地民を支配することだとする。そして迎えた1953年、白人たちはローデシア・ニヤサランドを結成する。
 1963年には、アフリカ諸国に独立の大波が起こって、連邦制が解体を余儀なくされる。これに伴い、南ローデシアの白人至上主義者たちは、イギリスにかけあい、独立を認めるよう交渉に入る。イギリス政府は、これを認める上での条件として、多数支配への漸次的移行をいうのだが、あくまで白人による少数支配にこだわる白人政権はこれを拒絶する。そしそういうことで、両者の話し合いは膠着状態となり、1965年11月のローデシア共和国の一方的独立宣言の日から1979年12月までの間は、一方的に独立宣言した入植者の白人強硬派の支配下にあった。
 それでも、歴史は進んでいく。そんな中でも、1968年には国連安全保障理事会による、対ローデシア経済制裁決議が採択される。1970年代、ムガべらが指導する黒人解放団体によるゲリラ活動が白人政権を脅かすようになっていく。1979年、イギリスが乗り出しての、独立に向けての平和的解決合意を署名するにいたる。これを「ランカスターハウス制憲協定」と呼ぶ。

そして迎えた1980年には、ジンバブエ共和国としてイギリスから独立を果たし、黒人のムガベが新国家の首相に就任する。ここにいたって、ようやく黒人と白人が共存する建前の国家になった訳だ。
 1987年には、ムガベが大統領に就任し、以後、19909年、1996年、2002年へと回を重ねていく。2008年3月の総選挙(大統領選挙、上院・下院選挙、地方選挙)が実施される。2008年6月、大統領決選投票の末にムガベ大統領が五選を果たす。白人の農園を強制的に収用して黒人に与える土地改革を進め、欧米と対立する。

 経済制裁もあって国内経済は混乱し、中央銀行は紙幣を濫発。これが影響して2008年には、インフレ率が一時2憶3千万%以上になったというから、驚きだ。2009年、経済崩壊による超インフレーションによりジンバブエドルに代わり、米ドルなど外貨使用を全面許可するにいたる。

2013年7月、ムガベ大統領は六選され、長期独裁政権の悪弊が目立つようになっていく。2015年には、ジンバブエドルが廃止される。2017年に入って、大統領の有力後継候補の副大統領を解任したものの、国軍司令官がこれに反発する。11月、ムガベ大統領は辞任に追い込まれ、ムナンガグワが大統領に就任する。
 2017年現在の人口は、約1600万人、タバコや綿花などの農業が盛んだ。プラチナや金、ダイヤモンドなどの鉱物資源が豊富である。
(続く)

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○322『自然と人間の歴史・日本篇』昭和(戦前)の文化(文学、宮沢賢治)

2018-10-21 19:16:06 | Weblog

322『自然と人間の歴史・日本篇』昭和(戦前)の文化(文学、宮沢賢治)

 宮澤賢治(1896~1933)は、詩人であり、児童文学・童話の作家であった。生前は「ほぼ無名」とのことで、なかなかに世に作家として出られなかった、不遇の時があった。時代が下るにつれ、国民作家としてのみならず、日本と世界にますます多くの読者を獲得しつつある点で、希有の作家だと言えよう。
 1896年に岩手県の花巻に生まれた。家は、周囲の中では比較的裕福であった。1918年に盛岡高等農林学校卒業してからは、しばらく家業に従事した。その中で、日蓮宗の熱心な信者となり、布教のため上京したりもしている。

文学活動は青年期の早くからで、『どんぐりと山猫』(1921)、『かしはばやしの夜』(同年)など童話数編から書き始める。

それからは、故郷での農業の指導者となって働きながら、油が乗ったように作家活動に取り組んでいく。そう彼は東北の土に親しみ、農民たちの暮らしに心を砕いた技術者でもあった。彼の代表作は死後に世に出たものが多い。

その一つ、『銀河鉄道の夜』は、宇宙旅行にも似た幻想的な話だ。例えば、今では星が多く生まれる場所だと考えられている「石炭袋」について、主人公にこう語らせている。

「「あ、あすこ石炭袋だよ。そらの孔だよ」カムパネルラが少しそっちを避けるやうにしながら天の川のひととこを指しました。ジョバンニはそっちを見てまるでぎくっとしてしまひました。天の川の一とこに大きなまっくらな孔がどほんとあいているのです。その底がどれほど深いかその奥に何があるかいくら眼をこすってのぞいてもなんにも見えずただ眼がしんしんと痛むのでした。」(ちくま文庫、「宮沢賢治全集」第7巻「銀河鉄道の夜」)

もう一か所、銀河鉄道に乗って天の川を旅してきた主人公が夢から目覚めるシーンには、こうある。
 「両方から腕(うで)を組んだように赤い腕木をつらねて立っていました。
「カムパネルラ、僕たち一緒に行こうねえ。」ジョバンニが斯(こ)う云いながらふりかえって見ましたらそのいままでカムパネルラの座(すわ)っていた席にもうカムパネルラの形は見えずただ黒いびろうどばかりひかっていました。ジョバンニはまるで鉄砲丸(てっぽうだま)のように立ちあがりました。

そして誰(たれ)にも聞えないように窓の外へからだを乗り出して力いっぱいはげしく胸をうって叫びそれからもう咽喉(のど)いっぱい泣きだしました。もうそこらが一ぺんにまっくらになったように思いました。
 ジョバンニは眼をひらきました。もとの丘(おか)の草の中につかれてねむっていたのでした。胸は何だかおかしく熱(ほて)り頬(ほほ)にはつめたい涙がながれていました。
 ジョバンニはばねのようにはね起きました。町はすっかりさっきの通りに下でたくさんの灯を綴(つづ)ってはいましたがその光はなんだかさっきよりは熱したという風でした。そしてたったいま夢(ゆめ)であるいた天の川もやっぱりさっきの通りに白くぼんやりかかりまっ黒な南の地平線の上では殊(こと)にけむったようになってその右には蠍座(さそりざ)の赤い星がうつくしくきらめき、そらぜんたいの位置はそんなに変ってもいないようでした。」

そのモチーフとしては、やはり宇宙空間にまで視野を広げた中での人間の心のあり方なのだろうか。それはともかく、日本はおろか、世界の中でも実に多くの人々が、この青くにじんだ陰影さえ感じられる文章に、人を引きつけてやまない宇宙の神秘を感じさせる。
 1933年に賢治が死んだ時には多くの未発表作品があり、その中からは畢生(ひっせい)の詩『雨ニモ負ケズ』が見つかっており、熱心な在野の法華経信仰者としても、つとに知られる。
 戦前から活躍していた詩人の草野心平は、宮澤のことをこう評している。
 「現在の日本詩壇に天才がいるとしたなら、私は名誉ある「天才」は宮澤賢治だと言ひたい。世界の一流詩人に伍しても彼は断然異常な光を放っている。」(『詩神』(1926年8月号)

(続く)

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○○321『自然と人間の歴史・日本篇』昭和(戦前)の文化(文学、小林多喜二)

2018-10-21 19:14:08 | Weblog

321『自然と人間の歴史・日本篇』昭和(戦前)の文化(文学、小林多喜二)

 昭和初期のプロレタリア文学の作品に、小林多喜二(こばやしたきじ、1903~1933)の24歳の時の中編小説『蟹工船』(1929年(昭和4年)刊)があり、その冒頭部分にこうある。
 「「おい地獄さ行(え)ぐんだで!」
 二人はデッキの手すりに寄りかかって、蝸牛(かたつむり)が背のびをしたように延びて、海を抱(かか)え込んでいる函館(はこだて)の街を見ていた。・・・・・漁夫は指元まで吸いつくした煙草(たばこ)を唾(つば)と一緒に捨てた。巻煙草はおどけたように、色々にひっくりかえって、高い船腹(サイド)をすれずれに落ちて行った。彼は身体(からだ)一杯酒臭かった。
 赤い太鼓腹を巾(はば)広く浮かばしている汽船や、積荷最中らしく海の中から片袖(かたそで)をグイと引っ張られてでもいるように、思いッ切り片側に傾いているのや、黄色い、太い煙突、大きな鈴のようなヴイ、南京虫(ナンキンむし)のように船と船の間をせわしく縫っているランチ、寒々とざわめいている油煙やパン屑(くず)や腐った果物の浮いている何か特別な織物のような波……。風の工合で煙が波とすれずれになびいて、ムッとする石炭の匂いを送った。ウインチのガラガラという音が、時々波を伝って直接(じか)に響いてきた。」(「小林多喜二全集」)
 また、船内で上演された無声映画に、会社側の弁士が立って講釈をする場面のさわりには、こうある。
 「日本の方は、貧乏な一人の少年が「納豆売り」「夕刊売り」などから「靴磨き」をやり、工場に入り、模範職工になり、取り立てられて、一大富豪になる映画だった。」
 この作品に描かれているのは、カムチャッカの海上を蟹を求めて動き回る蟹工船と、その船に乗って蟹を獲り、船の上で加工し缶詰にしている労働者たちである。この作品は葉山嘉樹(はやまよしき)の『海に生くる人々』とともに、労働者にとっての現実がどういうものであるかに焦点を当てた。彼らがどのようにして生きる道を見出していくかを、迅速なタッチで描き出そうと努めた。小林はこの作品の後、当時非合法だった共産党に入る。その後は思想的にも深みを増していくのだが、やがて治安維持法により無実の罪を着せられ検挙され、1933年特高警察の拷問で殺される。おそらくは、最期まで「転向」などといわれる退路の一切を断って、自分が選び取った一筋の道にあくまでも忠実であったのだろう。

(続く)

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〇551の1『自然と人間の歴史・日本篇』ベーシックインカム(BI)(そのあらまし)

2018-10-21 10:06:46 | Weblog

551の1『自然と人間の歴史・日本篇』ベーシックインカム(BI)(そのあらまし)

 日本の憲法は、全ての国民に健康で文化的な最低限度の生活を保障しているかのように見える。ところが、従来の国の解釈では、これは努力目標であって、実際的に個々の国民の生活を一律に保障するものではないことになっている。

ところが、最近ベーシックインカムという言葉が世の中に広く知られるようになった。そもそもの出所は、旧くはトーマス・モアの「ユートピア」あたりにあって、西洋諸国では人々にかなりの知遇を得ているという。

 その特徴としては、これまでの最低生活保障制度という範疇ながら、雇用の状況や収入、資産の如何にかかわらず、政府が全ての国民を対象に、最低限の生活に必要なお金を無償で与えるというものだ。

 現代風なベーシックインカムの起源は二つあるという。一つは、『社会信用論』を著したC.H.ダグラスが提唱したものだ。これは、貨幣発行益を財源とし、「国民配当」という形で政府が発行紙幣を国民全員に配るというもの。

  もう一つは、経済学者のミルトン・フリードマンが提示した構想で、「負の所得税」と呼ばれる。これは、「一定の額に所得が達しない人は、むしろお金がもらえる」という。例えば、所得税税率を一律25%、社会的合意で最低保証する所得を100万円としよう。すると、「所得×0.25-100万円」が個々人の収める税金になる。この場合、所得が400万円以上の人は納税を免れない。けれども、400万円未満の人は税額がマイナスになってしまう。例えば所得が240万円の人は、「240万円×0.25-100円=-40万円」であることから40万円の給付が受けられよう。それを元の所得に足しての再分配後の所得は、280万円に上がるだろう。所得が全然ない人にいたっては、丸ごと100万円の給付が受けられることになるだろう。

  この「負の所得税」構想とベーシックインカムとの違いは、ベーシックインカムは税金を払った後に一定額が自分のところに返ってくるのに対し、「負の所得税」は、その差し引きを最初にしてしまうということであって、損得では変わらない。

 そこで現下の賛成論から紹介しよう。まずは、個々の収入、資産などを調べる必要がなく、各人による申請に基づく審査も原則的には必要でない。したがって、行政コストが大幅に減らせるという。この考えでは、裕福な者に対しても、そうでない者と同様一律な支給をするというのは、「おかしい」とはならないらしい。

 とはいえ、この制度をわが国で導入するには、既存の制度との調整が必要だ。そこで、大方は、ゆくゆくは年金や生活保護などを一本化して、この中に社会保障関係を統合していくというプランを掲げる。この点には、「小さな政府」論者も興味を示しているようだ。

 これに対し、多様な立場から反対論が色々と出されているようだ。一つは、財政負担が大きく、賄いきれないという。「財政危機が叫ばれて久しいのに」である。また、お金の「ばらまき」になるともいう。さらに、一律の額で支給されることから、「貧富の差の拡大」の是正につながらない」との声がある。労働・賃金との関連では、「賃金の引き下げにつながりかねない」とか、「Society5.0での人減らし合理化をたやすくする」との警戒論も出されている。

 それから、反対論ではないが、「社会実験している例はあるが、導入した国はまだなく、うまくいくかどうかわからない」との声も聴かれる。

(続く)

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