504の3『自然と人間の歴史・日本篇』日本国憲法と天皇制(2019)
今さらと思われる人が多くおられるかも知れぬが、現行憲法は、天皇地位と権能につき、こう規定している。
「1 天皇は,日本国の象徴であり日本国民統合の象徴であって、この地位は、主権の存する日本国民の総意に基づく(第1条)。
2 皇位は,世襲のものであって、国会の議決した皇室典範の定めるところにより,これを継承する。」(第2条)
「1 天皇は、日本国憲法の定める国事行為のみを行い、国政に関する権能を有しない。」(第4条第1項)。
「2 天皇の国事行為(第6条・第7条・第4条第2項)
(1)国会の指名に基づいて、内閣総理大臣を任命すること。
(2)内閣の指名に基づいて,最高裁判所の長たる裁判官を任命すること。
(3)憲法改正、法律、政令及び条約を公布すること。
(4)国会を召集すること。
(5)衆議院を解散すること。
(6)国会議員の総選挙の施行を公示すること。
(7)国務大臣及び法律の定めるその他の官吏の任免並びに全権委任状及び大使及び公使の信任状を認証すること。
(8)大赦、特赦、減刑、刑の執行の免除及び復権を認証すること。
(9)栄典を授与すること。
(10)批准書及び法律の定めるその他の外交文書を認証すること。
(11)外国の大使及び公使を接受すること。
(12)儀式を行うこと。
(13)国事行為を委任すること。」
「3 天皇の国事行為には,内閣の助言と承認を必要とし,内閣が,その責任を負う。」(第3条)
また、信教の自由について、憲法は、こう述べている。
「1 信教の自由は、何人に対してもこれを保障する。いかなる宗教団体も、国から特権を受け、又は政治上の権力を行使してはならない。
2 何人も、宗教上の行為、祝典、儀式又は行事に参加することを強制されない。
3 国及びその機関は、宗教教育その他いかなる宗教的活動もしてはならない。」(第20条)
これらの中で柱をなすのは、まずは、「日本国民並びに天皇は、人間として同等な(equal)存在」であることだ。そして「この地位は、主権の存する日本国民の総意に基づく」(憲法第1条)というのであるから、国民が主語で、その総意として「象徴としての天皇」の地位を定めたことになっている。したがって、我が国は、「立憲君主制」ではなく、国民主権制を敷いているのであり、その逆ではない、といえるだろう。
これに関連して一ついえば、最近の新聞、テレビなどでの報道において、天皇個人としてのことを「陛下」と言い習わそうとする風潮があるのではないか。しかし、この用法には、賛成できない。なぜというに、この名称(中国語の発音としては「ビーズー」)は、元はといえば、中国の紀元前の王朝・漢(ハン)の時代には既に使われていたものだ。
これの趣旨としては、「陛」は階段(ただし、大王、皇帝しか昇れない)をいい、「陛下」は階段の下にいる者からの視点をいう。かの国の古代王朝では、しかも、臣下たる者は、天子たる皇帝に直接奏上することはなく、階段の下にいる護衛の者を通して行うのが正式であった。あわせるに、皇帝には天と地を結ぶ資格がある。なお、その際、彼は、「天壇」に昇り、事を行う。それらのことから、この語が皇帝の尊称となった。しかして、「殿下」も天子の敬称であるが、これも階段の下というのが原義である。
そこで私たちの国なのだが、建国の時、残念ながら、自らの固有の文字をを持たなかった。そこで、当時の中国の文字をもらって(無料)、物事を書き記すことになる。のちの「かな」や「カタカナ」は、漢字を元に我が国で作った。この点、先達たちに敬意を表すとともに、漢字をくれた中国にも感謝すべきなのであろう。
しかして、この国において、7世紀に至り「皇帝」と同等の君主の名称として「天皇」が語られるようになるとともに、その「座」に座る彼又は彼女のことを、臣下、人民からは「陛下」と呼ばせることとなる。
もっとも、こうしたことは、他の古代国家においてもかなり広く見られたことであって、文化人類学者のジャレド・ダイヤモンドは、こう述べている。
「初期の国家には、国教があり、様式が統一された寺院があった。多くの場合、国王は神聖視され、さまざまな特別待遇を受けていた。たとえばアラスカやインカでは、皇帝が輿(こし)にかつがれて移動する道を、奴隷が先導し掃き清めていた。日本語には、天皇に対してだけ使用される第二人称があった。初期の国家の王は、国教の長に君臨していることまあったし、その座を高僧にまかせていることもあった。」(ジャレド・ダイヤモンド著、楡井浩一訳「文明崩壊ー滅亡と存続の命運を分けるもの」下巻、草思社、2005)
(続く)
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