◻️125の6『岡山の今昔』宇野線沿線、旧下津井電鉄線の経緯

2020-01-24 22:44:36 | Weblog
125の6『岡山の今昔』宇野線沿線、旧下津井電鉄線の経緯

 宇野線というのは、岡山を出発して、まずは大元、備前西市、妹尾(せのお)へと行く。岡山を出ると山陽本線オーバークロス、高架で岡山市街を進む。駅間はそんなに長くないし、途中茶屋町まで走行する宇野線が一部単線とある。沿線は住宅のみならず工場も目につく。これから、だんだんと工業地としての瀬戸内海に近づいていく予感が漂う。

 妹尾からは、備中箕島(びっちゅうみのしま)、早島へと行く。早島は、外に出てきて田園も広がる。「ござ」の早島の看板が目に留まるのだという。

 そんな早島からは、久々原、さらに茶屋町とやってくる。高架になり、街になって茶屋町に停車する。宇野線は、この茶屋町が分岐点だ。すなわち、岡山から茶屋町までは宇野線、そこから本四備讃線に入って瀬戸大橋を渡り、四国に入って坂出で予讃線に入る訳だ。

 ちなみに、早島駅から西へ向かうこと少しの処には、瀬戸中央自動車道の早島インターチェンジがあり、概ね田園地帯の南北をつなぐ。
 もう一つ、この茶屋町は、1972年(昭和47年)までは、下津井電鉄の線路の起点であった。児島半島の西南端に位置し、讃岐に近い下津井港は、かねてからの名港であり、1910年(明治43年)に、当時の国鉄が宇野線を開通させると、これに対抗してか、1914年(大正3年)に敷設された。
 さても、往時の下津井電鉄は、茶屋町から下津井までの21キロメートルの路程にて、軌間は762ミリメートル、動力としては直流600ボルトの電化であった。それが、茶屋町から児島までの14.5キロメートルが、1972年(昭和47年)に廃止される。残る児島から下津井までの路線、6.5キロメートル分も、1990(平成2)年末限りで廃止され、ついに全線が廃止となる。およそこうなったのには、色々あろうが、この間の、モータリゼーションの普及に押されたのが大きいと聞く。

 話を戻して、茶屋町からほどなくして本四備讃線(この線路上での次の駅は植松)と別れて東へ向かう。それからは、彦崎、備前片岡、迫川、常山、八浜、備前田井へと行き、列車はさらに進んで終着駅の宇野へと滑り込む。
 
 ところで、「JR宇野みなと線アートプロジェクト」というのがあって、それは、宇野線全8駅のうち宇野駅寄りの4駅の常山駅、八浜駅、備前田井駅、宇野駅の間で展開される。それぞれの駅によりテーマなりデザインが異なり、なかでも、常山駅周辺の「田んぼ」に期間限定で登場する「田んぼアート」は、外国の作家が指揮して描くらしい。
 ちなみに、宇野の駅舎は、「瀬戸内国際芸術祭2016」の作品とのこと。さらに、宇野駅から宇野港にかけての極めつけは、何といっても漂流物によるオブジェ「宇野のチヌ」(淀川テクニック作)なのであろう。続いての、舟のいかりやスクリューに不要になった鉄材などを組み合わせての「舟底の記憶」なども、精一杯の自己主張に余念がないようだ。したがって、観賞の方法も、車中からも、サイクリングからも、はたまたテクテク歩きながら、それらの野外アート作品を自由自在に楽しんだら宜しいのではないか。

(続く)

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