♦️140の2『自然と人間の歴史・世界篇』中世における貨幣とその役割
ところが、それからの歩みも、決して平坦なものではなかったらしい。例えば、11世紀頃のヨーロッパで、貨幣の流通がうくいっていなかったことがある。
「これまで述べてきたところから、私どもは前記封建社会の交通、交換がすこぶる不規則で間歇的(かんけつてき)だったこと、スペインのサラセン人からえた金貨が、ヨーロッパの地金とともに東方に流出して、ヨーロッパの慢性的な赤字経済の原因になっていたことを知った。
このような事情からして当時のヨーロッパには、純然たる自然経済ではないにしても、慢性的な貨幣飢饉の状態があったといってよい。したがって当時の貨幣制度なるものもはなはだ貧弱で、サラセン人の地中海制覇以来は粗悪な銀貨しか通用しなくなっていた。
通貨の種類としてはリーヴル(ソリズス、シリング)、スウ、ドニエ(ペニー、デナリウス)の三種が一般に用いられたが、実際に通用していたのは主にドニエ貨だけで、スウやリーヴルはドニエの倍数(10倍と100倍)として、価格算定の単位でしかない場合が多かった。
貧弱な通貨制度をいっそう貧弱にしたのは正確な度量衡の制度も器具もなかったことで、幾百という鋳貨権所有者が重量、形状、、品位いずれも不統一な貨幣をつくりだし、その結果「悪貨が良貨を駆逐する」現象をたえずひき起こしたのであった。そのため貨幣の価値はさらに低下していった。」(堀米庸三「世界の歴史3・中世ヨーロッパ」中公文庫、1974)
(続く)
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