211の41『岡山の今昔』岡山人(20世紀、小山祐士)
小山祐士(こやま ゆうし、1906~ 1982)は、劇作家・脚本家だ。 広島県福山市笠岡町生まれ。
誠之館中学校に入る。1931年(昭和6年)には、慶應義塾大学法学部を卒業する。
1932年(昭和7年)には、仲間とともに同人誌「戯作「を創刊する。1933年(昭和8年)には、戯曲「十二月」を発表する。そして、築地座で上演を行う。
1934年(同9年)には、「瀬戸内海の子供ら」で劇作家としての地位を確立する。
この作品は、チェーホフに学び、陰影の濃い台詞を福山地方の方言で描く手法で、先の戦争期、瀬戸内の鬱屈した青春を描く。
1937年(昭和12年)には、文学座の創立に脚本家として参加する。1942年(昭和17年)にはNHK嘱託となり放送劇も書く。
戦後は、1956年(昭和31年)に、「二人だけの舞踏会」を発表する。叙情的作風に、原爆や公害問題を織り込む作風で活動。原爆の傷跡を描く。他にも、大久野島の毒ガス製造問題を告発する
1962年(昭和37年)には、「泰山木の木の下で」を発表する。 1965年(昭和40年)には、「日本の幽霊」を発表する。戦争や原爆の惨禍にみまわれた人々を描く。
(続く)
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小山祐士(こやま ゆうし、1906~ 1982)は、劇作家・脚本家だ。 広島県福山市笠岡町生まれ。
誠之館中学校に入る。1931年(昭和6年)には、慶應義塾大学法学部を卒業する。
1932年(昭和7年)には、仲間とともに同人誌「戯作「を創刊する。1933年(昭和8年)には、戯曲「十二月」を発表する。そして、築地座で上演を行う。
1934年(同9年)には、「瀬戸内海の子供ら」で劇作家としての地位を確立する。
この作品は、チェーホフに学び、陰影の濃い台詞を福山地方の方言で描く手法で、先の戦争期、瀬戸内の鬱屈した青春を描く。
1937年(昭和12年)には、文学座の創立に脚本家として参加する。1942年(昭和17年)にはNHK嘱託となり放送劇も書く。
戦後は、1956年(昭和31年)に、「二人だけの舞踏会」を発表する。叙情的作風に、原爆や公害問題を織り込む作風で活動。原爆の傷跡を描く。他にも、大久野島の毒ガス製造問題を告発する
1962年(昭和37年)には、「泰山木の木の下で」を発表する。 1965年(昭和40年)には、「日本の幽霊」を発表する。戦争や原爆の惨禍にみまわれた人々を描く。
(続く)
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