223の4『自然と人間の歴史・世界篇』数学難題への挑戦(ベルヌーイ、オイラー、フーリエなど)
レオンハルト・オイラー(1707~1783)は、スイス生まれの天才数学者、物理学者、天文学者だ。
その計算に長けた頭脳は、幼少期には、本人も気がついていたようだ。そのことを紹介するものとして、今から約300年前に大問題になった分数のたし算があって、スイスの一地域の名前をとって「バーゼルの問題」と呼ばれる。
その計算に長けた頭脳は、幼少期には、本人も気がついていたようだ。そのことを紹介するものとして、今から約300年前に大問題になった分数のたし算があって、スイスの一地域の名前をとって「バーゼルの問題」と呼ばれる。
ちなみに、前者の問題というのは、自然数の逆数の和を求めるのであって、正解は「無限大」だという。スイスの数学者ヤコブ・ベルヌーイが「推論術」の中で取取り上げていることから、「ベルヌーイの公式」としているものの、日本の和算家、関孝和(せきたかかず、1642~1708)もこの理屈をほぼ同時期に発見していたという。
一方、後者の問題は自然数の平方の逆数の和を求めるのであって、こちらでのオイラーは、sin x のマクローリン展開を利用して解く方法を編み出した。まずは sin x を展開して、その両辺を x で割ると、左辺はちょうど x = ±nπ(n は正の整数)のとき 0 であるから、右辺を形式的に因数分解できるという。そのことをとっかりに、オイラーは、πの2乗を6で除したものがこの無限級数の解であることを突き止める。
その時(1735年、28歳)にいわく、「いますべての期待に反して、私はバーゼルの問題の値についてエレガントな表示を求めることかできた。それは円周に依存している。(中略)私は、この級数の和を6倍したものが直径1の円の平方に等しいことを発見した」とある。
なお、この問題の解を日本の和算家、関孝和の弟子の建部賢弘(1664~1739)も発見しているというのであって、しかもその年は1722年というから、驚きだ(桜井進「夢中になる!江戸の数学」集英社文庫、2012)。
それからも、特に数学での功績が大きく、1748年に「無限解析入門」を発表してからは、前人未到の場所、空間に人々を導いていく。
いわゆる虚数単位を用いての(複素数の世界を切り開いたり、「ケーニヒスベルクの橋の問題」を解決したり、「フェルマーの最終定理」の突破口を開くなど、それら以外にも、多面体の定理、現代のコンピュータでよく使われるアルゴリズム的な計算方法もオイラーが考え出したものだという。
いわゆる虚数単位を用いての(複素数の世界を切り開いたり、「ケーニヒスベルクの橋の問題」を解決したり、「フェルマーの最終定理」の突破口を開くなど、それら以外にも、多面体の定理、現代のコンピュータでよく使われるアルゴリズム的な計算方法もオイラーが考え出したものだという。
そんな中でのオイラーの公式とは、1740年頃に本人により証明された等式であり、次に示される。
eの(ix)乗=cosx+isinx
これの左辺は、ネイピア数 (自然対数を底とする複素指数関数)で、iは虚数、右辺の cos、sin は三角関数(正弦、余弦)を表す。
eの(ix)乗=cosx+isinx
これの左辺は、ネイピア数 (自然対数を底とする複素指数関数)で、iは虚数、右辺の cos、sin は三角関数(正弦、余弦)を表す。
いわく、「対数関数と指数関数を考えてきたあとでは、sin(サイン)、cos(コサイン)を伴っている円孤(えんこ)のことに考察を移す時となった。これは単に超越量のいっそう一般の部類に属しているからというだけでなくて、これらは複素数を用いるときは、対数関数や指数関数から生じている量となるからである。これは以下で述べることで明らかとなるだろう。」(オイラー「無限解析入門」)
変わったところでは、フリードリヒ2世のベルリン・アカデミーに籍をおいて精力的に活動していた時の話であろうか、1735年頃、過労のあまり右目を失明したというのだが、それでも悲観することなく数学の研究をやめなかった、とあるのは、凄すぎる話だ。
🔺🔺🔺
ジョゼフ・フーリエ(1768~1830)は、フランスの数学者、物理学者だ。
初め地方の陸軍学校に入学する。 1794年に創設されたエコール・ノルマル・シュペリュール (高等師範学校) の第1期生となり、翌年には同校の教師となる。
1795年にエコール・ポリテクニクが開設されたので、講師陣に加わる。 1798年にナポレオンのエジプト遠征に従う。任務としては、司政官を務め、工学上の助言を行う。
1801年には、フランスに帰り、イゼールの知事に任命される、これを1814年まで務める傍ら、研究を続ける。 1815年には、セーヌの統計局長に任命される。
主な業績とされるのは、熱伝導率の研究であって、1807年から 22年にかけての研究で、主著の「熱の解析的理論」において、次のような前提の下、固体中の熱伝導が無限級数 (現在のフーリエ級数 ) で表わされることを示す。
「熱の性質については、不確かな仮説しかおくことができないが、その結果が取り出されるような数学法則の教えることは、すべての仮説から独立している。それらは一般の現象から共通に見出され、そして正確な実験によって確かめられる基本的事実の注意深い検証だけを必要としている。したがってまず最初に、観察の一般的帰結を明示し、計算すべき正確な定義を与えて、計算の基礎とすべき原理を打ち出すことが肝要である。」(フーリエ「熱の解析的理論」)
もっとも、志賀浩二氏の「無限のなかの数学」(岩波新書、1995)において引用されている砂川重信氏の「熱・統計力学の考え方」(岩波書店)によると、「フーリエの準拠した熱理論は古典的なカロリック説」とのことであり、これだと熱は異なる物体の間を移動する元素のような存在だということになり、熱現象はエネルギーの移動だと規定する現代(1850~)とは異なるのだという。
1809年には、男爵となる、科学アカデミー会員 、アカデミー・フランセーズ会員 、医学アカデミー会員などをこなす。
(続く)
☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆