世の中で“大いなる時間の無駄”と思える行為が、
「写真の切り抜き」
だと思ってる。
この作業、手間がかかるくせに金にならない。
たとえば1ページに20点の写真入りの雑誌レイアウトの仕事、
写真5点切り抜いても10点切り抜いても原稿料は一緒。
写真切り抜こうが切り抜かなかろうが同一料金、切り抜きすればするだけタダ働き。
ぶっちゃけ大損なのだ。
レイアウト上、切り抜いたほうが様になるなら進んで切り抜くけど、
できることなら切り抜きなんてしたくない。
やってもやらなくても金は一緒なら、そりゃ誰だってやりたくないわな。
やってもいいけど、その分金くれ。それがホンネ。
写真を切り抜く技術も一朝一夕には習得できるものではないのだから、
それなりの技術料を貰いたいもの。
が、そう言って噛み付いても「お金は出ません!」の一点張り。
金なんて出ねぇ~よと言っておきながら写真はキリヌキばかり。
別に切り抜かんでもいいような写真でも「キリヌキで」。
……お前キリヌキ言いたいだけちゃうんか? と。
そう思っても口に出せないからこうしてブログに八つ当たり。
で、そんな切り抜きをここ二週間ほど毎日3時間ほどしてる。
かれこれ200点は写真を切り抜きしただろうか。
これがビキニのおねーちゃんを切り抜きしてればちょっとは楽しく思えるもんだが、
切り抜いてる写真はラーメン屋のおっさんやプラモデルばっかり。
まったく面白くもなんとない。
しかも金にならんから苦痛以外の何物でもない。
おとといなんて、バイクのプラモのスポークホイール切り抜くのに3時間もかかった。
もーアホらしくてやってらんない。
不毛だ。
限りなく不毛である……。