多摩、ときどき山

多摩の暮らしと山のブログ

人と自然が共生-里山の季節/滝山丘陵

2010-11-30 22:20:49 | 自然のこと

本日、八王子市の北端、多摩川と秋川の合流点にほど近い滝山丘陵(たきやまきゅうりょう)へ仕事で行きました。

東京都内に6箇所ある都立自然公園の一つ、滝山自然公園に含まれる標高160m前後の丘陵地。人との距離が近く、人との関わりの歴史を随所に感じさせる里山です。

奥多摩の山々が冷たい冬を迎える時期、都会に近い丘陵地は気候が穏やかで、訪れるのに快適な季節でもあります。

この地の本来の植生は、シラカシ(白樫/ブナ科)やアラカシ(粗樫/同)などの常緑広葉樹林ですが…
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現在は、コナラ、クヌギ、ホオノキ、ヤマザクラ、エゴノキなどの落葉広葉樹にアカマツ、ヒノキなどが混じるいわゆる雑木林。
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この森はかつて、薪を取って燃料にしたり、建築材などを得るために人が手を加えた二次林なのです。

やわらかな陽光が差す、雑木林ならではの秋色に癒されます。

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エゴノキ(エゴノキ科)の黄葉。
その名の由来は、果皮に有毒なサポニンを含んでおり、口に入れると喉や舌を刺激して「えぐい(えごい)」ため


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ヤマザクラ(山桜/バラ科)の見事な株立ちです。
庭木や盆栽はもちろん、建築、家具、彫刻、そして樹皮は細工物など、幅広い用途に使われる日本の野生ザクラの代表選手。人の手が入りながらも、そのたくましい萌芽力(ほうがりょく=切り口から再び芽吹く力)で、ここまで生長したのでしょうね。頭が下がります。

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こちらは、クサギ(臭木/クマツヅラ科)の実。枝や葉に独特の臭いがあるための気の毒な命名ですが、その果実はどうして、なかなかの美人です。

昭和30年代以降の燃料革命により人の手が入らなくなったため、今では、この里山にも
シラカシなどの常緑樹が再び戻り始めています。

これは何でしょう?
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モグラの仲間が、地中に巣を作るために土を押し上げたモグラ塚です。森や畑で見かけること、ありませんか?

そして秋晴れの今日は…
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かわいい一行に出会いました。100人ほどの園児たち。先生の合図で「ヤッホー」と声を揃えて発声練習?静かな森に、元気な声がこだましていました。

平日にも関わらず、その他にも多くのハイカーや地元の人とすれ違いました。現代でも、こうして形を変えて人との関わりを保ち続ける滝山丘陵ですが、実はもう一つ、有名な顔があります。
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戦国時代、北条氏支配の山城・滝山城祉です。国指定史跡。(写真は中の丸祉)
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本丸祉。

戦国時代(1400年代後半~1600年代初頭)の名将、北条氏康、上杉謙信、武田信玄が、関東の覇権を争って激しい攻防を展開した舞台の一つになりました。特に永禄12年(1569)の信玄、勝頼父子によるこの滝山城攻めは熾烈を極めたそうですが、守る北条方は戦国最強とも謳われた武田軍、そして上杉軍
を、ともにこの城から退けたそうです。

多摩川沿いの自然地形を活かした本丸、中の丸、二の丸、空掘などの遺構は規模が大きく、関東屈指といわれた名城の名残を残しています。

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滝山城祉(165.5m)から北へ下る途中、あきる野市方面の眺め。

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多摩川河川敷付近から、滝山城(写真右端)と東へ連なる滝山丘陵を振り返ります。信玄も、謙信も、この風景を見たのでしょうか…。

里山-
時に人間同士の争いに翻弄されながらも、多様な生き物のゆりかごとなり、私たちにも多くの恵みと癒しを与えてくれる場所。人と自然の共生の歴史が、そこにはあります。





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