サハラ砂漠
サハラ砂漠を半日も走って突如現れるテントホテル。このテントホテルまで遠路はるばる泊まりに来た。点在するドラムと大きな金属製の水がめが目につく。ドラムは夕方からの演奏に使うのだが水がめは雨水を受ける?粗い頑丈なラグが砂の上に置かれている。都会のレストランなどでインテリアに使われるラグは本来こんな使い方をするのだ。
テントホテルのレストラン。ここの白いバターが忘れられないほど旨かった。つくりたてのバターなぜこんなに旨いのだろう。
テントホテルのベッド。といっても砂の上にカーペットを敷きその上にクッションが置いてあるだけだ。布きれ一枚で外部と隔てられ、鍵も何も勿論ない。この季節は夜中もそれほど冷え込まない。
テントホテルの朝。似たような部屋?が並び、番号もついていないので間違えそう。布のデザインで識別するがそれもよく似ていて夜中にトイレに立つときはよく覚えておかないと帰れなくなる。
外はこんな砂漠が広がるのみ。風紋と高低だけが唯一方向性を感じさせる。ラクダに乗る。意外に高いので急な坂を下りるときは少し怖いくらいだがラクダは4足で安定している。
「アラビアのロレンス」最後のクレジットでモロッコで撮影したためにモロッコ王国に対する謝辞がある。数年前に訪れたアイントベンハドウあたりがロケに使われたと言うので興味深く砂漠とカスバの風景を見た。
風でできた鋭い稜線を描く風紋。数千万年前は海底だった。近くでとれるのかアンモン貝の化石を売りに来る。
落語に三題咄がある。人の名、モノ、地名の3つを客にあげてもらい、落語家が即興で話を作る。モロッコ、ヘディ・ラマーという美女、携帯電話の三題咄は既に実在する。この女性ヘディ・ラマーが携帯電話に使われる周波数ホッピング技術の特許保有者なのだ。そして共同開発者の作曲家アンタイルはポール・ボールズとモロッコからチュニジアを旅行する。ポール・ボールズはモロッコのサハラ砂漠を舞台にした「シェルタリングスカイ」を著す。
ヘディ・ラマーはオーストリア・ウィーン出身の女優であり、最初の夫と結婚していた間に得た無線の知識を元に作曲家のジョージ・アンタイルと共に周波数ホッピングスペクトラム拡散に関する特許を取得している。現在、携帯電話・無線LANに応用されている。取得年:1942年 特許番号:2,292,387 名称:"Secret Communications System" 1914年11月9日生まれ - 2000年1月19日没。
この背の高い老人がバンドのリーダーでジャジューカ風の音楽を演奏する。推定70くらいで片目は見えないが一晩中精力的に演奏する。ときどき飛んでみせる。リッサニから砂漠を車でやってきて夜演奏し翌朝帰っていく。この老人は特別背が高く10等身に見える。
サハラ砂漠は三度訪れている。モロッコの南側アトラスを越えた処にリッサニという街がある。そこから車でさらに南に向かうと砂漠にはいる。赤茶けた固い砂地が延々と続く。ときおり刺のある背の低い草がほんの少ししょぼしょぼと生えているがあとは荒涼とした風景だ。
こんななにも道案内のないところをどうやって目的地まで行くのか。どうやら地面にうっすらと残る轍の痕跡を辿っている。慣れた道でも見失うことがあるらしい。ある時は道を見失った。といっても、もともと道はないのだが。車が砂丘をジャンプしたら偶然キャンプ地の明かりが見えてやっとたどり着けたこともある。
5,6時間で砂漠のキャンプ地に到着する。ここは観光客用に作られたテント村で数十人がテントに宿泊できる。満天の星明かりの下で食事をした後はモロッコ人ミュージシャンの民族音楽の演奏が始まる。大型のタンバリンと手打ちの太鼓それに一風変わった音色の笛それにギターとマンドリンの中間の弦楽器これにボーカルが加わっての演奏だ。笛はクラリネットに似ているが澄んだ音ではない。動物の鳴き声のような割れてかすれた音だが砂漠にぴったりの音だ。
時には踊りながら演奏は興に乗れば6、7時間続く。このミュージシャンのリーダが素晴らしい風貌の老人だ。満天の星と、彼に会いたいのでサハラに行く。年齢不詳だが70歳はとうに超えているように見える。80歳に達しているかもしれない。左目が白内障なのか白く濁っている。背が2メートル近い。しかし踊りながら笛を吹き、ジャンプする独特のポーズを決める。
時には砂漠の精悍な戦士を思わせる風貌だが性格はあくまで優しい。何年かぶりであってもよくこちらのことを覚えていてくれる。去年に会った時はさすがにいつものジャンプがなかった。彼も人の子、やはり老いていた。
白い民族衣装にターバンをまき背筋を伸ばして悠然と砂漠を歩く骨格たくましい老ミュージシャンはそのままでアラブの土地と歴史を彷彿とさせる。とにかくかっこいいのだ。
砂漠もいろいろな顔をもつ。風紋をつくるようなところからこんな石ころだらけのところもある。へばりつくように生えるとげのある植物は南米でもみたがこのような環境では植物もとげが多い。
平らな台地がみえる。何故か南米でも同じ平らな台地をみた。
2006/4/12 ワルザザード
アルトベンハッドウを見学する為にワルザザードの街に向かう途中で食べた羊。これはあばら肉で実に旨そうな匂いが立ち上るようだ。
リッサニ
アトラスを越えて南に位置しておりサハラ砂漠への拠点ともなる街だ。我々一行はサハラ砂漠のテント村(砂漠の中にある簡易なリゾート施設でテントと版築でできた土の建物そして地面にはモロッコ特産の羊毛カーペットが何重にも敷き詰めてある)に向かっているのだが、その途中に彼の実家に立ち寄った。
一体何百年前に立てられた建築物だろう。やはり土を固めて作る版築でできており壁は1メートル近い厚みを持っている。かつての要塞を思わせる、いや要塞そのものだろう。その中に10名は遙かにこえる大家族が暮らしている。
我々がつくと大歓待が待っていた。近所の人々や仲の良い知り合いまでが集まっている。子供達も大勢いる。みな素直そうないい顔をしている。今から大宴会が始まるらしい。
大きな直径50センチはあるとみえる焼き物の鉢にクスクスが山盛りで出てきた。娘婿の姉と妹が料理自慢でこの日のために作ってくれたという。この家のクスクスは実にジューシーで肉と野菜の味がよくでており旨い。まず私たちが手をつけると周りの客人達や両親も食べはじめる。このあたりは昔の日本の大家族と変わらない。家族の女性達はこの場では手をつけない。子供達もおとなしくまっている。各人であるわれわれもあまりだらだらと食べ続けるのはマナー違反のようだ。そうそうに切り上げてこの大鉢を下げてもらわないと、家族の女性や子供達が食べられない。
リッサニ
この日のスペシャル料理はこのうさぎの丸煮だ。モロッコの女性達は鶏やウサギは簡単にさばいてしまう。このウサギ料理は特別なごちそうで滅多には出さないと聞いた。手厚いもてなしをしてくれたものだ。皮をはいで香料を詰めて長く煮込んだ物で脂が上品で旨い。例によってあまり食べてはあとの人の分が無くなると、少しだけ食べて眺めていたら近所のおじさんが皿に盛ってくれて、もっと喰えという。
ウサギはフランス映画でもよく見かけるが、ケージに入って食用にされるのをまっている。30年以上前にもパリの朝市でウサギがぶら下がっているのを見かけた。彼らにはそれが食欲をそそるらしい。
現生人類 最古の化石 30万年前、モロッコで発見
2017/6/8 2:00
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これまでで最古となる30万年前の現生人類の化石を北アフリカのモロッコで発見したと、ドイツなどの国際チームが8日付の英科学誌ネイチャーに発表した。従来の年代を10万年近くさかのぼり、考えられていたより早い時期にアフリカで現生人類が進化したことを示す証拠だとしている。
化石から復元した頭蓋骨は顔立ちが現代人に似ている一方、脳を収める頭部の形状に、ネアンデルタール人に似た原始的な特徴が残っていた。チームは「アフリカ大陸での石器文化の広がりと相まって初期の現生人類が進化した」とみている。
ドイツのマックスプランク進化人類学研究所とモロッコの国立研究所のチームは、2004年からモロッコ西部のジェベル・イルード遺跡を調査し、5人の頭やあごの骨を発掘。石器も含めて分析し、35万~28万年前のものだと結論付けた。
現生人類ではエチオピアで出土した20万年前の化石がこれまで最古。南アフリカでは現生人類の可能性がある26万年前の頭蓋骨片が出ている。
ただどの化石を現生人類に含めるかや、年代測定の信頼性などを巡って専門家に異なる意見もあり、議論を呼びそうだ。
チームはモロッコの化石の立体データから頭蓋骨を復元して分析。脳を収める領域は前後に長く、初期人類の特徴が残っていた。エチオピアや南アフリカの化石も似た特徴があり、同種の石器が一緒に出土していることから、30万~20万年前にはアフリカ各地で現生人類が暮らしていたとみている。
どのようにアフリカ各地に広がったかは不明だ。チームはその後の脳の進化が現代人につながる知性を生み出したとみている。
遺跡ではガゼルなど動物の骨が出土し、狩りをして火を使った痕跡も見つかった。〔共同〕
モロッコ紀行2 2006年 フェズ メクネス ボルビリス マラケシュ エッサビラ アガディール タルーダント