数年に一回か、何かの拍子に幼児期の記憶をかなり鮮明に思い出す。何歳かは不明だが姉が乳母車を押しており、その上に私が乗っている。十分歩ける年齢なのだが足を怪我しており、そのために乳母車に乗っている。桜の季節で、家から一時間程度歩いてこれる桜並木の丘に来ている。あたりは満開の桜で埋まっている。
この場所がどこかわからなかった。母が15年前に亡くなった時に火葬場に行った。そのあたりがどうも記憶にある。ようやくこの場所が乳母車で連れて行かれた桜並木の場所ではないかと思った。確証はないがおそらくここではないか。
4,5歳くらいの記憶ではないかと思うので実に55年ほど前の記憶になる。そういう時に決まって55年が一瞬の間のように感じる。多くの人も来し方を考えるときに同じ感慨を持つ。
考えてみればこれは当然のことだとわかった。記憶の風景の中では遠近法はない。55年であろうが70年であろうが、その風景以外に他の景色はない。人は記憶の中でも遠近法で年月の距離感を測っているのだが、あまりに年月の離れた記憶はその周りに何もない。つまりきれいさっぱり忘れている。
そのためについ昨日のような錯覚に陥る。行ってみれば記憶の錯視だ。数年前の仕事の事などは、年月の重みを持って振り返ることができるが、遠い過去の記憶は昨日のように思い出すのは遠近法が適用されないための効果だと気がついた。