かつて運河で街は栄え、今は観光で。
渋沢栄一の倉庫があり、石炭に鰊の出入りではしけ船が行き交った運河も時代の需要が途絶えた。
120キロを担ぎ上げる1000人の仲仕がさり、金持ちの御殿がさり、おりから勃興した札幌に大銀行が移って運河は淀んだ。
一旦は運河を大通りに埋め立てる動きも強い反対運動で半分を残し、観光に供して街の復興を願った地元民の愛を強く感じさせる。歴史の有無を言わせぬ大変動に滅びさるもの、生き延びるもの、大躍進するもののドラマを感じる。
石炭の積み出しで栄えた。これは石炭の巨大な塊。かつての日本のエネルギー源。
小樽の富裕層が通ったお店
さぞ高価だったろう再生装置。
北回り廻船で使用した望遠鏡か。
廻船の写真
小樽大通り
往時の広々とした運河。
観光資源として残る倉庫跡。レンガはいつまでも美しい。
存在感抜群の碇。
アイヌのポール。小樽は勿論アイヌ語から。
これ公衆電話。
観光資源として残る
観光資源として残る
このスパイラルを使って倉庫からおろす
運河運営会社
寂れた倉庫跡
運河。
運搬ようにいち早く蒸気機関車が米国から輸入された。
想像以上に鄙びた小樽駅。