まさおレポート

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ねこのミルバ 死んで12年経った日に

2015-11-20 | 心の旅路・my life・詫間回想

13年飼っていた猫のミルバが死んで既に12年になる。12年前のちょうど今頃に死んだので今朝ふと記憶の泡としてのぼってきた。この猫は猫エイズを患っていたのにもかかわらず13年と驚異的に長生きした。

猫後天性免疫不全症候群とは、FIVにより、ネコに引き起こされる諸症状のこと。俗にネコエイズとも言う。FIVに遺伝的に近縁なウイルスがライオン、ピューマなどでも分離されているが、これらの野生動物がFIV関連ウイルスで発症したという明確な報告はない。猫免疫不全ウイルス感染症の病態の一つである。

可愛がったせいか実によくなついていた。月に一度のお風呂はやはり大嫌いで逃げ回っていて無理にドライヤーを当てると本気でシャーと怒っていたが、それ以外は全面的な信頼で、たいていの猫や犬が嫌がるおなかへの指圧も全く平気でゴロゴロと喉を鳴らしていた。このおなかへの指圧は指を柔らかいお腹のそうとう奥まで押しても仰向け状態の全くの無防備で動物がここまで人にさせるのはよほどの信頼があったのだろう。

会社から帰宅すると廊下をとっとっと歩いてくる音が聞こえ、抱き上げると腕の中で柔らかい体をさらに柔らかくしてゴロゴロと喉を鳴らしている。この猫は特別柔らかい毛質で撫でているだけでストレスが緩和された。

ものごころがついてから多いとは言えないが犬や猫、ニワトリやりす・ウサギなどを飼ってきた。内訳は犬が三匹、猫は二匹、にわとりはめんどりと卵からかえったひよこ数匹、リスは一匹、ウサギは二把となる。この動物たちのなかで格段に印象深いのが猫のミルバだ。

16年前に千葉の稲毛に住んでいたことがある。稲毛から自転車で10分程度かかったから稲毛駅からかなり離れた場所だ。緑色に焼き締められた鈍く輝くタイルを張ったマンションに賃貸で住んでいた。そのマンションの正面前はちょっとした丘の林になっていた。

亡くなったつれあいが7月のある日何かの用事で表に出たところ、登校途中の子供たちが生まれたばかりの子猫にまといつかれて騒いでいた。子供たちが去った後に不憫に思った彼女が近づくと子猫は足の甲の上に乗ってそのまま寝てしまった。相手が初対面でその足の甲で寝るなって捨て身の生き残り作戦だ。猫はこうした能力を生まれながらに持っている。このまま捨て置くわけにもいかずエプロンに入れて部屋に帰ってきた。

私の前に来ていきなり驚かすようにエプロンを広げるとまだら上の白茶けた埃だらけの子猫が眠りこけている。こんな模様と色の猫は見たことがない。しかし腹がすいているらしいしそのうえがりがりにやせている。骨と皮に頭がついているだけに見える。彼女がいうにはミルクでもやったらまた表の林に戻してやるのだという。かつて生まれたてのウサギを湯たんぽで育てるのに成功した経験からこの手の幼い動物の飼育に関しては私は彼女から妙な信頼がある。早速牛乳に生卵の黄身を混ぜてパンに浸して食べさせた。

子猫はおなかが大きくなると再び眠り始めた。そういえば昨夜遅くイタリア人カンツォーネ歌手ミルバのコンサートからかえった晩に子猫の鳴き声が聞こえていた。あれからなにも食べていないらしい。しかも親猫がいないので一晩中うろうろして疲れ果てていると見える。なにか食べさせなかったら数時間の命であったかもしれない。私のハンティング帽の中に入れてやり、手を当ててやると暖かいのかそのまま一時間ほど寝た。

さてこの子猫をどうするか。彼女は「こんな変な色の猫を飼うのは嫌だ。飼うならもっと可愛いのが良い」と言う。私もそのつもりだ。子猫が目を覚ました。自分の尻尾でくるくる回って遊びだしたので元気が出たようだと判断し、とにかく洗ってやることにした。ちょっと毛並みを分けて見ただけでも蚤がものすごい。毛を通して動き回るのが見えるくらいだから相当なものだ。

キッチンで適当な温度の湯を出してとにかく洗ってやった。すると驚くべきことにこの薄汚い茶色に見えた子猫は黒猫であった事が判明した。黒地に足が白いソックスをはいている。おなかも輝くような見事な真白だ。おかしな色と模様は汚れのためだった。すぐにでも表の林に返してやるつもりであったが一晩家においてやることにした。そのうちに娘が高校から帰ってきた。娘も子猫と遊んでいるうちに瞬く間にその魅力にノックアウトされたようだ。絶対に飼うと言い出した。子猫を拾って数時間後にはすでに一家はこの100グラムくらいしかない生後一か月くらいの子猫の魅力にすっかり取りつかれてしまっていた。

子猫がニャーニャーと近くの林で鳴いていた夜にイタリア人カンツォーネ歌手ミルバのコンサートから帰宅したのでミルバと命名した。その日のミルバは黒いドレスで歌っていたのでちょうど子猫の黒い毛皮の連想もあった。

一夜明けて以来猫のミルバ(以下ミルバ)はすっかり我が家になじんでしまった。骨と皮であったのが徐々に肉もつきはじめた。何回も洗い、のみとり首輪をつけた結果あれほどひどかった蚤も皆無になった。秋も深まるころには布団の中で寝るようになった。その頃私は順天堂病院に鼓膜再生手術を受けて一か月ほど入院したが退院後に会ったミルバは見違えるように肉付きが良くなっていた。

ある日のことミルバに首輪をつけて近所に散歩に出かけた。マンションの前の林は丘になっている。その丘の上に散歩に行った折の事、一匹の柴犬が近づいてきた。するとミルバのそれまでの態度が一変した。それまでの子猫らしいしぐさからは想像のつかない猫特有の威嚇の声を発した。毛を逆立ててからだ全体から闘争本能が噴き出している。何気なく近づいてきた柴犬もそのものすごい迫力に圧倒されてどこかに行ってしまった。私も今まで腕の中でごろごろと甘えていた子猫のあまりの変わりようと迫力にしばし感心しそして心を打たれた。そのころミルバは200グラムくらいであろうか。それが10キロほどの犬を圧倒するばかりの迫力だ。なにか別の生き物を見る思いがした。

家の中で飼っていたので運動不足にならないようにゴムボール遊びを毎日日課にしていた。ゴルフボールくらいのゴムボールを廊下の端から投げてやると飽きずに何回も追いかけまわして遊んだ。何回かやると疲れて横たわる。遊びの終了のサインだ。ゴムボールの次は新聞紙を丸めて投げてやると動きが面白いのと紙のかさかさ音がたまらないらしい。又ひとしきり動き回る。健康に育っていると見えた。

そのうちに獣医に連れて行って健診を受けたところ猫エイズ(猫免疫不全ウイルス感染症) に感染していることがわかった。人には感染しないが猫自体は発病すると助からないという。一般的には2,3年位だというので少なからず心配したが、見かけは元気そうだ。そういえばミルバの母猫も片眼がつぶれていて発症していたのかと合点がいった。

ミルバは母親に去られてないていたところを拾われたがその母親が再びマンションの周りに帰ってきていた。この母猫がすこぶるつきの立派な猫で首の回りがライオンのたてがみのように長く尻尾も長毛で膨らんでいる。行きつけの獣医のところにある猫辞典で一番近い種類を探すとノルウェジアンフォレストキャットらしい。この豪華な猫が何かの事情で捨てられて子を生み唯一生き残ったらしいのがミルバだ。ちなみにミルバは雑種であり毛並みの柔らかさと腹毛の輝くような白さが特徴だが普通のどこにでもいる容姿だ。

その母猫はいつもマンションの前の植込みの陰に隠れて休憩していたが、日増しに漆黒の豪華な毛並みが白く変色していった。猫も白髪になることを初めて知ったのだが。片目もすでに失明している風だ。しかし生粋の野良猫にしては立ち居振る舞いがおっとりして気品がある。この母猫も猫エイズを発症していてミルバは胎内感染していたということになる。

この母猫を見るたびに劇団四季の「キャッツ」の落ちぶれて街頭に立つ毛並の立派な猫を思い出していた。そのうちにこの母猫は厳冬を迎える頃マンションの植え込みから姿を消した。ときおりこの母猫の気持ちに人間の思い込みをいれて考えることがある。ある期間この母猫はミルバを捨ててどこかへ姿を消した。そして無事に人間に拾われたころ再び姿を現した。なにやら母猫の直観的な戦略が働いてはいないかと思うのだが。つまり母猫がずっと付いているとミルバに人間に拾われるチャンスはない。母猫が去って子猫が腹をすかして林から道路に出て泣き叫ぶ。となると人間に拾われるチャンスが巡ってくる。それを遠目にみて安心した母猫は再び帰ってくるという筋だ。この話はかなり私には説得性を持つ。

1992年に千葉県の稲毛から町田市玉川学園に引っ越しをすることになった。移動用の籠に入れて列車に初めて乗せると最初は神妙におとなしくしていたがそのうちにミャーミャーとなきだし玉川学園の駅に着くまでまでなき続けていた。引っ越し先は庭があり周りも他家の広々とした庭に囲まれていて猫にとってはいこごちのよさそうなところであった。

そのうち庭周辺を散歩するようになり雀やもぐらを獲ったりするようになった。猫の例にもれず獲物を見せにくるので後始末に苦労することになる。隣の庭の池に集まってくる小鳥を待ち伏せしては、小鳥を楽しみにしている隣の奥さんに叱られている。小さな事件を起こしながらも瞬く間に外の世界に慣れていった。それまで一度も外に出たことがないので心配したが杞憂に終わったようだ。

感染症キャリアにも関わらず健康に成長している。そのうちに発情期を迎えたので近所の獣医で去勢手術をしてもらった。手術前は外に出さないでいると本当にうるさく、閉口した。

ある日のこと、庭のさるすべりの木に登り、かなり高いところまで登ってしまい降りられなくなったことがある。家人が梯子を調達してきて木に登り助けたとのことだが、猫のことよりも人間が落ちたらどうするのだと話を聞いて本当に驚いた。

そのうちに現在のマンションに移り住んだ。同じく玉川学園だが線路をはさんで反対側になり専用庭が付いている。庭の前方は広大な大学敷地の林へと続いており猫の環境としてはこれまた申し分がない。しかし庭から出ていくとまずいので庭の周辺にはネットをはったり詰め物をしたりして苦労した。それでも隙をついて出ていくのでとうとう長いリードを首輪をつけて庭に放して置くことにした。それにも関わらず週に一回は脱出してご近所の散歩を楽しんでいたようだ。

会社から帰宅するとほとんどの場合はまっ先に玄関まで迎えに出てくる。その足音が居間から玄関までトントントントンと聞こえてくるのがお決まりで今でも何かの拍子に玄関でその音が聞こえるような気がするときがある。

寒い日は押入れの布団の間に挟まって寝るのが気に入っている。この中に手を突っ込むと暖かい毛並みが触れてすぐにゴロゴロの感触が手に伝わってくる。ひとしきりなでてやるとこちらの気分まで良くなってくるからすごい。

たまに家の中にいるのは確かだがどこに寝ているのかわからないことがある。探し出すためにはミルバにだけ通用する秘密の術がある。海苔が好物なので海苔の包装のパリパリという音をだすとすぐに聞きつけて飛んでくる。これをやると必ず100%飛んでくるので探し出すのに造作はなかった。

ミルバの好物はマグロの切り落としと鰺のたたきだがあまりやりすぎると腎臓によくないと獣医から聞かされている。そのため、人間の食べる一切れ分が一日のお楽しみとなる。スーパーでパックを買うと冷凍しておき一週間で食べきる。主食はキャッツフードだがあまり熱心には食べない。風味づけに鰹節の粉を振りかけてやると食べるがそう喜んでという風ではない。しかし何回にも分けていつの間にかなくなっている。ミルバは小食であったようだ。

猫にとっては最適の環境に越してきたが厄介な問題が起きた。マンションのペット規制が管理組合の議事に上がったのだ。もともとマンションを購入する際に販売会社からペットについて問題がない旨確認をしていたのだが詰めが甘かったようだ。

管理組合の規則が優先するという。しかしすでに飼っているところもあったので一代限りとなった。マンションとはなんともはや窮屈なものだと思い知らされた。

ミルバはこのマンションで6年ほど病気もせず平和に暮らした。ときおり皮膚病になりかきむしるため毛が抜けてしまう事があったが概ね元気で家族の心の平安に貢献した。なにかいやなことがあってもミルバの毛並みを撫ぜてやり、ごろごろ音を聞くとこちらまで気持がよくなってくる。不思議な力をもった猫であった。私は食後のデザートと称して晩飯の後はいつもひとしきり撫ぜてやるのが習慣となっていた。食後のリラックスにはこの柔らかい毛並がうってつけの感触なのだ。

家人が調子がわるく寝込んでいると必ずミルバも布団にもぐりこみ一緒になって寝ていた。猫はもともと寝るのが大好きな動物だがそういうときにはことさら一緒に寝ている時が多かった。家人の心は大変慰められたに違いないし本人もたびたびそう言っていた。

猫のごろごろ音について面白い話を読んだことがある。ライオンや虎・豹などの猛獣が相手の喉笛にかみついてポイントの急所を鋭い牙で一瞬で刺してしとめる。そのポイントの精度と強度は驚くべき正確さだという。そしてその際もゴロゴロ音を発するらしい。このゴロゴロ音は草食獣に対して催眠効果をもっておりリラックス効果をもたらすという。

相手を効率よく倒すために発達した能力と言ってしまえばそれまでだが、その能力が倒される相手の恐怖心を極力小さくすることに一役買っている。自然界の絶妙のバランスと慈悲を感じる。

ミルバの嫌いなことは入浴だ。ひと月か二月に一回風呂場に連れて行き洗う。そのつもりで抱きかかえると気配を察して腕から逃げようとする。なんとか抑えつけてバケツに入れて洗い出すと観念しておとなしくなるが、すきあらば逃げ出そうとの様子だ。洗い終わるとタオルで拭きそのあとドライヤーで乾かすことになる。これがまた一大事だ。入浴そのものよりもドライヤーの方が嫌いで連想で風呂が嫌いになっているのかとも思う。二人がかりでなんとか乾かすことができれば良いが、たいていは中途半端なままで逃げ出されることになる。性格の優しい猫だがドライヤーの時だけは一度だけだが毛を逆立ててフーと威嚇された事がある。

ミルバは感染症にかかっており、長く生きても数年と書かれていたりして覚悟はある程度していたのだが予想外に健康に生きた。13歳になったときにミルバを最もかわいがっていたつれあいが2003年9月20日に亡くなった。その後2か月ほどしてミルバも後を追うようにして死んだ。

その年の11月の下旬のある日に会社から帰るとミルバはなぜか整理棚の上でじっとしていた。11月になりかなり冷え込む日も多くなってきており、いつもなら布団の上にいるはずなのだがなぜか冷えた棚の上にいる。おかしいなとは思ったが無理に布団に入れてもすぐにその場所に行くのでほおっておいた。

考えてみると棚の上に揚がる以前にも布団の上にしか寝ないのがそもそもおかしいと気がついた。今まではすぐに布団の中に潜り込んで寝ていたのに中に入らないのがおかしい。今はそれすらしなくて棚の上にいる。冷えは体の免疫力を弱める。そのうちに食欲がなくなり何も食べなくなった。獣医に連れて行くと皮下に点滴を売ってくれる。しかし足腰も弱ってきてひょろひょろしている。何も食べないのでこのままでは早晩助からない。強制給餌しか選択肢はないという。スポイトで無理やり押し込むように入れるとじっとしておりこちらの目を見ている。吐かないので少しは期待をもった。しかし相変わらずトイレにさえ行くのがやっとだ。

ミルバに湯たんぽをしいて会社に出かけた。明日からはスイスのジュネーブとチュニジアへ出張にいかねばならない。どうすればよいか心配しながら家に着いた。押入れの中に湯たんぽを敷いた寝床を作ってあるので覗くとミルバと目があった。しかしなにか変だ。ニャーともいわないでじっとしている。よくみると身動きしていない。やはり死んでいた。触ると既に固くなっていた。

後で考えてみると運命的にこの猫に出会った事がわかる。捨てられた豪華な母猫の同胞の唯一の生き残りで後数時間でも会うのが遅れていたら寒さと空腹で恐らく助かっていない。
最初は飼うつもりもなかったが不思議な魅力で家族が虜になった。その強引と言ってもよい虜にする力を今でも不思議に思う。感染症で獣医に2,3年といわれていたのが13年もの長きにわたって生き、その間家族の心を和ませ続けた。最も可愛がってくれた家人が亡くなると自らも去り時を悟って暖かい布団にも潜り込まず、食べもせずさっさとこの世におさらばする。猫ながら縁の深さをしみじみと思う。

 


 

 


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