4方のバリ訪問
客人たち4方は6月21日に到着し、うち2方(八木さん、大串さん)は25日(正確には25時なので26日)に、残りの2方(藤井さん、土屋さん)は27日(同28日)の深夜便で帰国された。バリの時間感覚からすると極めてあわただしい旅にみえる。同じビラの友人、リカルド(スペイン人)にこの日程を説明すると両手を大袈裟に拡げる外人特有のジェスチャーで驚きと日本人のせっかちさを好意的に揶揄して見せる。
浜銀システムの職場以来丁度40年が経つ。土屋さん以外は40年の間に数えるほどしかあっていない。八木さんとは一回もあっていない。しかしホテルで姿を見たとたん、紛れもなく八木さんを認識できた。八木さんは私に対して、街であってもまず認識できないと言った。ふさふさだった髪は見る影もなく、さもありなんと思う。藤井さんとはNTT京橋会館で偶然お会いし、NTTデータ東京の社長室で一度、NOTIS会で数回お会いしている。大串さんとは外国出張のさいの留意点をお聞きしてできるだけ大きなスーツケースを買うようににアドバイスされた記憶があり、NOTIS会でも数度お目にかかっている。土屋さんとは6年ぶりの再開になる。
歳月を過ぎて旧交を温めるという事はいつものことながら「邯鄲の夢」に似ている。40年前の話を通じて40年間がひとときの夢のように思えてくるから面白い。話は飛ぶが視覚の不思議なメカニズムで緑色を眺めて目を他に転ずると存在しない赤が見える。視覚のメカニズムは補色を勝手に創造してくれるのだがこれと似たことが数十年ぶりの回想にも起きる。40年前と現在をあたかもタイムスリップするかのように感じ、秀吉の辞世の句ではないが40年の間が「夢の又夢」に思えてくるが、またその一方で40年の過去が補色の創造のようにいとおしく蘇ってくる。
4方のバリ滞在中、道中の車内やレストランで40年前の話を盛んにした。過去の記憶のモザイクの欠片を埋める作業に似ている。あいまいな記憶の断片が一つの欠けたモザイクをうめて小さなストーリーに変換する。
モザイクの埋め込みはもちろん歴史の重大事ではなく、ひとさまからみればなんという事のないものが多い。そのなんてこともない話が私的には貴重なのだ。モザイクの欠片発見は多岐にわたったのだがいくつか列挙してみると。
①東北大学の情報処理学会発表で既に別の職場に移っていた大串さんと宿舎で一緒になって麻雀していたのは何故かが長年の謎(笑 おおげさですね)であったのだが解明できた。
②出雲大社への出張で八木さんと自転車でサイクリングに出掛けて河原で昼寝をしたことが、八木さんの口から聞くことで記憶の遠景として蘇った。実は7年前に土屋さんと大山登山のあと出雲神社にいったのだが川の風景が浮かんできた。それが何に由来するのかが自分で思い当らなかったのだが八木さんの話で納得がいった。
③アセンブラーはプログラミングが自身のプログラムを特権命令で改造可能なのか。今年になって興味をもって読んでいるあるウェブサイトに高度な人工知能と言語の話があり、いわば自己改造ができるプログラミング言語は特殊なある言語のみであると書かれていた。
遠い記憶では確かアセンブラーでも可能なのではないかと気になっていたので4方に尋ねてみたところ藤井さんはCCUの開発がらみでそのような研究をしたことがあり、自己改造は可能なのではないかと話してくれた。どなたか詳しい方、補足を頂けると嬉しいのですが。2013年10月10日 宮本正男 記