まさおレポート

当ブログへようこそ。広範囲を記事にしていますので右欄のカテゴリー分類から入ると関連記事へのアクセスに便利です。 

紀野一義の研究62 正法眼蔵 1

2022-02-09 | 紀野一義 仏教研究含む

 

紀野一義講演(youtube)メモです。


恁麼(いんも)

「このような」の意味で恁麼 悟り 如 真如 如から来た人で如来

如是より音がよいので如来。

ブッダ 悟るという動詞からきているので悟る人。

日本人は如来がすき。


恁=悟りを得たいとするのは自分の中に悟りがあるから。凡夫のままでほとけ。 恁麼人である。 恁麼をしばらく悟りといおう。

 


六祖は字を一生かけなかった。だれにも教わらなかった無学の自然児だが悟った。

六祖は樵で薪を買おうという宿屋に行く。その場で金剛般若経を聞く。これは実にきれいなお経ですね、六祖はそれを聞いて動けなくなった。金剛般若経を学びたいが老いた母の世話をしておりおいていけない。

居合わせた人がその話を聞いて「おまえこの金を母にわたしておうばいへ行け」

六祖は十字架をしょったんですね。金を母にわたしておうばいへ行く。はたして金を受け取った母はそれで生き延びたでしょうか。おそらくむりでしょうね。いくら金を渡しても年取った親を捨てたことには違いない。

キリスト教の方は十字架のキリストの前でのんきに讃美歌を歌っていますが本当は十字架を背負うのは信徒の方ですね。

六祖は悟った後も石臼を背負い続けた。


時間的経過は誰も止めることは出来ない。紅顔はどこへ行ったのか 。今のあなたは捕まえられない。さまよっているのにすぎないではないか。そんなたよりない人間でも発心することがある。この心がおきるとそれまで持て余していたことを放り出してまだ悟っていないことを悟りたいと思う。これはだれかにさせられるのだ。もうそのとき凡愚からさとりにいたっているので求めるのだ。

もうさとりのひとなのだからあれこれ思い煩うことはない。


台湾で終戦を迎えた。連隊の居場所をもうけるために台湾やくざの親分のところに行った。親分のところに軍刀をぶら下げていった。死ぬときは死ぬし助かるときはたすかる、そう思い定めて覚悟を決めていった。親分はものすごい眼でこちらをみていたが連隊の安全と食料などの確約をしてくれた。5000名ほどの連隊がそれで救われた。

王さんがそこまでついて行ってくれ、親分に氏を紹介してくれた。不発弾がばあさんの家の上に落ちたときにこの人がわたしのばあさんの命を救ってくれた。それまで氏はその話を知らなかったのだがそこで王さんが婆さんの子供だと気が付いた。

当時の過去の経験はすべて氏のなかに生きている。だから過去は過去ではない、現在なのだと。

「OK牧場の決闘」とその後日談「ワイヤット・アープ」の話をして「人生のピークだけを見てその後まで見ないのはだめだ」と

この映画を通してすべての過去をひっくるめて現在なのだと。


大森宗玄師の逝去の報で氏が追悼する。大森宗玄師は日本酒をコップに注いでスイーっと飲まれる。こんな飲み方をされていてはよくありませんよと言いたかったが(大先輩なので)抑えた。

あるときに思い切って申し上げると「紀野さん、酒を飲めんようになったら人間終わりだよ」と言われたことも。

大森宗玄師は剣豪でいらっしゃった。剣豪は殆ど酒で死んでいるんですね。晩年は長く寝たきりになられた。わたしは日本酒はほとんど飲みません。ウィスキーもほとんどのまない。ビールを少し飲むだけです。(72歳のときの講演で)

 


コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。