8月8日の今日夜閉会する。コロナという史上経験したことのないパンデミックで東京オリンピックの開催をどうするか最後まで揺れた。結果的には開催してよかった。
どうしても1964年開催の東京オリンピックと比較してしまう。そもそも背景となる世界情勢が異なるので比較してなにか次回の有益なことにつながるとも思えないし、次の東京オリンピックでは間違いなくこの世にいない。まあ自分流の整理かなといかに記してみます。
やはりというか案の定というか、特定マスコミの政治問題化の材料にされすぎた。コロナが蔓延して医療崩壊したらどうするのかとか、管首相が天皇の開会宣言で立つのが一拍おくれただとか。
1964年の時はマスコミも含めて日本全体が無邪気に喜び、興奮していた。
わたしの身近な記憶では香川県の詫間電波高校の構内にある散髪屋のおにいさんがわたしの頭にバリカンを当てながら開通したばかりの新幹線(オリンピック開会式9日前の10月1日に開業した)で東京までオリンピックの雰囲気を見に行ったと自慢していた。当時観戦チケットを手に入れるのは大変だったのだろう。どちらかというとできたばかりの新幹線に乗るというのが晴れがましかったのだろう。雰囲気を見に行ったというのがいまだに記憶に残る。
1964年の東京オリンピックはテーマソングで三波春夫の東京オリンピック音頭が街中に溢れたことで国民が乗りに乗ったという印象が残っている。
今回はコロナ・パンデミックが大きく影を落として祝祭が記念と表現されるなど国中で抑えた祭典となった。(天皇の開会式宣言中の言葉)
結果的に金メダル取得数三位と非常に検討して日本の元気を取り戻してくれた感がある。
気になるコロナ感染者の変化だが感染者数は開会日からカーブが上向いているのがわかる。しかし問題は重症化を示す死亡者数で、こちらの方は開会日以前からフラットだ。
これからパラリンピックを迎え油断は禁物だが東京オリンピックはコロナをなんとか乗り切ったというべきではないか。
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1964年東京オリンピックでは東洋の魔女と呼ばれた女子バレーボール日本代表が金メダルを取った。大松監督と共にその活躍と日本の熱狂は凄かった。
今回は残念な結果に終わっている。中田監督がどうとかいろいろと原因が取りざたされているが変わっていくことのほうが自然だとゆったり受け止めたらどうだろう。
代わりといっちゃなんだが女子バスケットボールでは銀メダルの快挙だ。
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1964年東京オリンピック柔道では無差別級でヘーシンクが神永を破り金をとったことで大騒ぎになり日本中がショックを受けた。重量級の猪熊は金メダル。金は3個でメダルは4個だった。
2020東京オリンピックでは9個の金メダルをはじめ12個のメダルを獲得して活躍した。
2020東京オリンピックでは1964では種目になかった野球で金をとった。米国がメジャーの参加を許されていないのでとの思いも少しあるが、これもまた素直にうれしい。
1964年ではマラソンで円谷が銅をとる快挙とエチオピアのアジス・アベベの名前が記憶に刻まれた。翌年「もう走れません」と遺書を残し勤務先の自衛隊体育学校宿舎で自殺した。
1964年当時の高度成長時、日本人にはこうした精神論とプレッシャーが企業やスポーツ界に当たり前の時代で、期待と裏腹に猛烈なプレッシャーがかかっていたことを改めて思い出した。
中国のメダル数の伸びが目に付いた。米国を抜いて一位だ。メダルの数が国際間の力関係を示すわけではないが、それでも気になる共産中国の躍進ぶり。コロナの影響をいち早く脱した中国がそれなりに活躍したということか。