
日本
日本では明治まで新しい宗教を名乗ることはなかった。どんなに革新的な信仰を唱えても仏教の一派としての域から脱出しようとはしなかった。釈迦の教えを自由すぎるほど自由に広げて、自由に飛躍しそれでも仏教徒だと名乗った。
典型が日蓮宗系 釈迦牟尼仏を脇に置く、しかし、江戸末期から明治にかけて新興宗教と呼ばれるあらたな宗教各派が起こった。天理教、大本教などが思いつく。釈迦からの派生ではなく自ら教祖となった。
天理教は天保年間に中山みきが起こしている、天理教、大本教と日本仏教各派の考え方に一見近縁性を求めるのは困難に見える、しかし日本仏教は神仏混交しているのでこの神の面からは天理教、大本教と近縁性はある。
オームは仏教の一派と名乗っている。
日本仏教の三方向。禅と解脱、浄土と救済、律宗とデカルト的理解、インドと異なり同時的に三方向。
インド
インドでは釈迦はバラモンの修行から出発したにも関わらずバラモン一派であるとは名乗らずあらたに仏教を創始した、バラモンからはヒンドゥ教も興った、このインドの三宗教には明らかな近縁性が多い、インド仏教は解脱から救済へ。
中国
解脱と自己の救済、日本の一向宗のような大衆運動とならなかった。
中東
ユダヤ教からキリスト教が生まれカソリック、プロテスタント、そしてイスラム教も生まれた。いずれも旧約聖書に根をもっているという点で近縁性があるが哲学的解釈を志向しない。
米国
サイエントロジーとモルモン、カソリック、プロテスタントでは近縁性は全くない。
日蓮は法華経を絶対化する。これは世界でも極めてまれな方向を示す。
東南アジアとりわけタイやベトナムでは仏教に対する信仰心は驚くほどである。これらの国に旅をすると必ず寺院を訪れる。ガイドが付き添っているとこれまた必ず熱心に仏教の説明をしてくれる。
釈迦がインド北方の国の王子であり何不自由ない生活を送っていたのだがある日妻と子供をおいて城をでて修行生活にはいる。難行苦行の末35歳で菩提樹の下でスジャータをお飲みになり悟りを開かれる。
そんな話を今までとは打って変わって熱心に説明される。宣教師か布教師あるいは日本でよく見かける訪問布教のような熱心さである。一度や2度なら偶然かとも考えられるが3度4度と重なるとこれらの国の人々が如何に深く仏教を信仰しているかを肌で知ることになる。
ガイドに私も仏教徒で日本もほとんどが仏教徒だと説明を試みることもある。しかし日本人のもつ仏教感と彼らのもつそれは異なるとうすうす感じることになる。何より寺院のたたずまいが異なる。京都や奈良鎌倉の寺院や仏像を見慣れた私の目にはこれらの国の建築は正直いって美しいとは思えない。仏像もやたらと金ぴかであるか巨大な寝釈迦像=リクライニングブッダが多いのでこれまた審美感に訴えない。地獄絵も多いが赤や緑黄色の原色でグロテスクな状況が描かれており眺めて気持ちのよいものではない。
しかしそんな日本とこれらの国の仏教寺院の見た目の違いが何によってもたらされるのか。国が異なれば建築も仏像も変わるのは当然だろうがやはりひとくくりに仏教と呼ぶ宗教そのものが彼我で異なるようだ。イスラム教ユダヤ教キリスト教のカソリック、プロテスタントはたまたモルモン教やエホバの証人などがすべて同じ呼称の宗教で呼ばれたら彼ら信者は腰を抜かすか怒るかいずれにしても心穏やかではいられない。これと同じことが「仏教」の世界では平然と受け入れられている。
東南アジアの仏教は小乗教で日本のそれは大乗教だと教科書などでならって知識だけは一応ある。小乗という言葉は小さな乗り物を意味し、大乗つまり大きな乗り物に対して若干侮蔑的な意味を含んでいるという。南伝仏教というのがそういう意味価値判断を含まず伝承のルートだけを伝えているので適切な表現だろう。一方日本の仏教は大乗教もしくは北伝仏教と呼ばれる。これまた同様の理由で北伝仏教と呼ぶのが適切だろう。
東南アジアの南伝仏教が釈迦の時代の説法であり、北伝仏教は釈迦の滅後500年も後に編まれたということが20世紀になってわかった。その事実を基に北伝仏教は釈迦の直接の教えではないとの理由で日本の仏教すなわち大乗仏教は仏教ではないとの説=大乗非仏論も盛んに唱えられたときもあったという。しかし現代では原始仏教の発展形として法華経や華厳経などを立派な仏教の教説として扱い、それを否定するのは少数派だろう。
私の興味を引くのは500年も経た後に「かくの如く我聞き」=「如是我聞」との書き出しで竜樹が法華経や華厳経などの経文が多く書き記されたことだ。華厳経などは竜樹が竜宮で発見してきたことになっている。これらのおとぎ話のような背景も含めて仏教として一くくりに同一名称で呼ばれ、受け入れられている事実にまず驚く。500年といえば日本では徳川家康と現代くらい年代が離れている。家康が書いたことにして現代に発表すれば狂人かとんでも本の扱いを受けることは確実だろう。
これらの経文は原典は当然のことながらサンスクリット語で書かれている。我々が見聞きするのは漢文の経文であるがこれは亀茲国の鳩摩羅什(くまらじゅう)(344-413)が見事な漢文に翻案したものだがここでも驚くほどの意訳と現代感覚では創作と呼んでも差し支えない文章が付け加えられている。これは中村元「法華経」を読んで初めてしった。それまでは法華経の漢文は少なくともサンスクリット語と対訳関係にあるとぼんやりとではあるが考えていた。しかし法華経の有名な十如是は原文のサンスクリットでは驚くほどのシンプルな文章でしかない。(今は手元にその文章がないので後日引用文を付加します)
500年の時を隔てて原始仏教を元に形成され、しかもサンスクリットからきわめて大胆な、創作といっていいほどの漢文への意訳をされたという事実に着目するとき、東南アジアでの旅でタイ・ベトナムでの寺院とそこで説明される仏教が私の仏教感覚と多いに異なるのは当然だといえよう。
インドネシアのバリに滞在していた時のことだ。滞在中のビラのオーナー夫妻と親しくなった。中国系のインドネシア人で奥さんはキリスト教で主人は仏教だという。奥さんは熱心なクリスチャンでビラ業務の合間合間にキリスト教に関する説教のなかでもわかりやすくておもしろそうな話を軽いノリで話してくれる。説教というのは正確ではない。寓話というべきかもしれない。
そのうち記憶している話がある。ある男が崖から落ちそうになった。そのときどこからともなく神の声が聞こえた。
「私を信ずるなら手を離せ。そうすれば助けてやる」しかし男は手を離すと断崖の底に落ちていくのがわかっているため手を離すことができずにいた。そのうち男は餓死してしまい手が離れた。男は下に落ちたが途中の木の枝に引っかかっていた。」
神の言葉を信ずればそのまま手を離し木の枝で助かったのに信じなかったために餓死したという説話になっている。私は彼女にどうして神は下に木があると教えなかったのかと反論したがもとより軽いノリの話であるためそれ以上話は進まなかった。そのあたりに神と仏の違いの本質があるような気がしたのだ。試す神と慈悲の仏の違いかと。
オーナーの主人の方は夫婦仲がすこぶる良いのに仏教だという。この主人の仏教とは輪廻転生を信じることと隠徳を積めば後生の陽報があるという明快な考えかただ。この主人は深刻な持病がありなんどか死線をくぐっている。そういう厳しい人生に直面した上で深まった信仰であるようだ。
このあたり私の仏教観とあまり違わない。この人の仏教は南伝・北伝どちらだろう。おそらく中国南部からきた華僑が祖先だから南伝だろう。だとすると南伝・北伝このあたりつまり輪廻転生は共通である。