なぜ人は自虐的な行為をするのだろう。
精神サナトリウムのトウレット症候群患者と出会う
中学生のころだった。近所に住んでいる人ではないがこざっぱりした男が月に一度くらいタバコなどを買いに来る。煙草などを買い求める会話の中に脈絡なく卑猥語を口走る。始めは冗談を言っているのかと思ったが顔色も変えずに口走る、しかも自分の意思で言っているのでもないことに気がついた。これは一体どのような病気なのだろうと中学生の私は面食らった。そのうち男はすこし離れたところにある精神サナトリウムの患者さんからやってくることがわかり、精神の病でこうなったことを理解する。自分の意思ではなく言葉が勝手にでてくるというのは実に恐ろしいことに思えた。60年近く経ってようやくその病名をトウレット症候群(汚言症)ということを知った。
卑猥マークをなぐり書きする企業主
NTTデータ時代に知り合った男性の例で、彼はネットワークシステムを指導するコンサルタントで非常に個性的な仕事をする方であった。しかし奇癖があり、本人もそれを隠そうともしていなかった。あるいは隠すことが治療にならないと考えての開き直ったふるまいだったのかもしれない。彼の事務所を訪問すると驚くべき光景を見ることになる。壁や机あるいは倉庫に積まれた段ボール箱などいたるところに卑猥マークが書きなぐられているのだ。この男も車内を歩きながらあるいは商談しながら卑猥な言葉を合いの手のように発し続ける。
さらに商談の合間合間にうちの専務と昨夜穴兄弟になったなどを喋りまくる。意図せず卑猥な言葉を口走るのがトウレット症候群だが半ば開き直って卑猥マークを書きなぐるあるいは喋りまくるこの奇癖は何だろう。今にして思うとこの男、書きなぐることで自らの病を治療しようとしていたのではないか。
「知の逆転」でオリバーサックスが記している。「トウレット症候群の患者は自己制御できない突然のチック症状、突然の叫びや不用意な動作などを起こすわけですが、同時に彼らは鮮やかな想像力と高い知覚能力を持っているわけです」
この男性も高い知能は持っているようではあった。
アームカッティング
2年以上前の話になるが、あるビラのプールサイドでたまに見かけて話を交わした、ジャカルタからやってきたというその女性は推定年齢30代後半で、両腕の手首から肘にかけて輪切り状の切り傷の跡が一面についている。私はジャクジーにつかりながら、くこの傷痕が気になっている。半年前にバイクに乗っているときに追突されて大けがをおったと話していたのでそのときの擦り傷かとも思ったが、擦り傷ならこんなおびただしい輪切り風傷痕にはならない。
数日たったある日もビラ滞在のドイツ人の知人と一緒にジャクージで歓談していると、その女性が再びやってきて同じジャクージに浸かった。今度は三人で世間話をして、しばらくしてその女性はジャクージから上がり、部屋に帰った。そのドイツ人の知人は「すざましいアームカッティングだね」とつぶやくように言った。私は驚いた。そうかあれはアームカッティングの後なのかと改めて知ってドイツ人の観察眼に驚いた。あるいはこのドイツ人のまわりに、同じような傷痕をもつアームカッティングの知り合いがいるのかもしれないが。
リストカッティングならその意味は知っている。しかしアームカッティングは一体何のためにするのか、よくわからない。そのドイツ人に尋ねると、ドラッグと同じ効果があるらしい。切ると血が出て痛むがそのうち痛みに対してアドレナリンだかドーパミンだかの脳内麻薬物質が分泌され、多幸感に浸れるのだと説明してくれた。薬を買う金の無い連中がやるのだとも付け加えた。
アームカッティングの痕は白くなっている。インドネシア人の褐色の肌に白い傷痕は目立つ。単なるジャンキーと同じなのか、あるいは耐え切れない精神的苦痛から逃げるための行いなのか、あるいは双方が相まっての行為なのか、その背後にある人生までは見えない。ドイツ人は「あんなことをする連中は幼児期に問題があり、精神的に未熟なのだ」と最後に単純明解に断定したのだが。
宗教的マゾ
「カラマゾフの兄弟」で自分に鞭打つ男の話を思い出す。ダンブラウンの「ダビンチ・コード」でも自らの背中に鞭打つ男が描かれている。宗教的マゾだとは理解していたが、その後に深い多幸感があるとまでは考えが及ばなかった。そうするとマゾも特別な人の嗜好ではなく、人類誰でもがそうなりえる可能性を持っていることになる。苦痛が快楽に替わるという、対極にあるものが一挙に転換するという不思議が起きる。トウレット症候群(汚言症)もアームカッティングも宗教的マゾも自虐というくくりができ、それは苦痛が快楽に替わることを期待してのものなのだろうか。
ゴッホ
ゴッホはゴーギャンとの仲が壊れていくのに耐えきれずゴーギャンを襲い、自らの耳を切り落とす。
自らの自虐体験
店の前に止めてある走ってきたばかりのバイクのマフラーはやけどをするほど熱い。これを何を思ったのか一瞬だが舐めてみたことがある。これなど合理的には到底説明がつかない行為でいまだに不可解な行為だ。明らかに自虐行為と呼んでよい。