氏は下記のような驚くべき解釈ができる人だ。通常、仏教学者や僧は下記のようなシャーリー・マクレーンのアカシック・レコードを援用したスピリチュアル的な解釈をするとおそらく非難を浴びるだろう。しかし氏はそんなことは頓着していない。思うところをそのまま話している。それがいいのだ。空海も土佐の海岸の洞窟で体験した明星の如くなる大宝珠の入ってくる体験を日蓮に重ねている。
生身の虚空蔵菩薩より大智慧を給わりし事ありき。日本第一の智者となし給えと申せし事を不便とや思し食しけん。明星の如くなる大宝珠を給いて右の袖にうけとり候し故に、一切経を見候しかば八宗並に一切経の勝劣、粗是を知りぬ」 清澄寺大衆中
これまでのように伝説とのみかたづけてはならない大いなる真実だと私は思う。
アーカシャという眼に見えない空間におどろくべき世界があることを「法華経」の作者は知っていた。 p10
シャーリー・マクレーンのアカシック・レコードがどうかかわってくるのかは今後に待たねばならないが、・・・日蓮も「虚空」の中からなにかを読み取ることができたのであろう。p11
キリスト教の世界では奇跡は認定される。しかし仏教の世界では認定など聞いたことがない。氏は下記を奇跡としてそれをそのまま受け入れることを日蓮理解の必須だとする。
日蓮はどうして蒙古の襲来を予見できたのか、どうして松葉谷や龍ノ口で死を免れたのか、どうして佐渡へ渡るときの波濤は静まったのか、どうして佐渡流罪をいきのびられたのか、わからないことがあまりに多すぎるが、人はそれを怪しまず、過去の既定の事実として通過していってしまう。それでは日蓮を理解することはできないのではないか。p12
氏は戦時中輸送船に乗せられて一度死にかけた事件を語る。講演でも聞いたがこれほど詳しく述べているのはこの著のみではないか。
一度死んだ者は二度と死なぬと受け取った。龍ノ口で死んだ日蓮が佐渡でもう一度死ぬはづはない。その教訓を、戦時中輸送船に乗せられて一度死にかけた事件にあてはめてみた。
私は昭和二十年一月早々に、レイテに向かう師団の兵とともに輸送船に乗せられ、暴風雨の東シナ海を渡って上海沖に向かった。激浪のなかで船は十五メートルも上下し、上甲板は滝を横にしたような波に洗われ、毎日のように対潜監視の兵が波にさらわれて行方不明になった。その暴風雨の中でアメリカ潜水艦の魚雷攻撃を受け、船は次々に激浪の中に沈んでいった。私の乗船のサマラン丸は二千7百五十トンの小船ながら外洋船として設計された船で、その暴風雨の中を十五ノットで走り、危地を脱した。・・・九死に一生を得たのだ。この時から私は自分を「決して死なぬ者」と思い定めたのである。p16
氏は歎異抄も道元の正法眼蔵も大好きだと言い、禅の柴山全慶師や朝比奈師を師と仰ぎ、唯仏与仏とまで称える。日蓮一辺倒ではない、それでいて「日蓮は生涯私と共にあると思われる。」と最大限の賛辞を述べる。
偏狭な仏教伝道者ではないのだ。法華宗系と念仏系の双方から非難ごうごうとおこりそうなことをそうした批判は十分に分かったうえで言ってのける。それでいて双方から尊敬されている。その点にこそ氏を尊敬する理由がある。
私は困苦のどん底に陥ると、この時の・・・思い出し、勇気を奮い起こすのである。日蓮は生涯私と共にあると思われる。p17
写真はhttps://www.zensenkyo.com/_bk/kaiho/88kaiho/sensoutaiken/taiken-yamazaki.htm
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