紀野一義は復員後の恋をさりげなく雑談で語る。戦後の混み合う列車にお婆さんと娘を窓から押し上げて乗せてあげた。アナトール・フランスの本に興味を持った娘にその本をあげる。彼女は佐賀高校始まって以来の秀才だった。好きになって佐賀まで会いにいくと親父にけんもほろろに扱われる。それでも粘ってなんとか親父に近づきになる。
彼女は居候先まで尋ねてきたという。彼女はクリスチャンだったがそこで仏法に得度した。
その後復学後3年して彼女は喀血して亡くなった。わたしの聞く限り、読む限り、この全生庵での話が後にも先にも一度きりではなかろうか。時間にして1分程度。さりげなく、しかも万感を込めて氏は懐古する。小説家ではなく仏法伝道者なのでこの手の話を詳しく書くことを躊躇ったのだろうか。
大マゼラン星雲の話あるいは超新星が1日に10個も爆発しチリとなり新たな星につながってる。その元素の配列は遺伝子そっくりだとか人間は星であり星は生命体、宇宙も生命体あるとの本で読んだ話を紹介する。
一方で東大インド哲学科の仏教学は綺羅星のような先生方がいた(中村元、宮本正尊など) しかしちっとも頭に入らない、それでフランス文学やドイツ文学の講義ばかり聴いていた。アナトール・フランスに系統したり。この本が上述の佐賀の娘さんにつながる。
氏の話にはヘルマンヘッセがよく出てくる。絵や音楽の話も。ガイヤシンフォニーやエンヤなどあるいはヒロ山形、小澤征爾・・・。そして詩人宮沢賢治や小説家山本周五郎などとむしろ仏教関係の著者よりもよりこうしたジャンルでの体験を重要視しているように思える。そしてこうしたものに親しまないお坊さんにもっと親しめとハッパをかけている。彼らの多数にとっては厳しくて煩い存在だったのかもしれないなと思う。もちろん熱烈な賛同者のお坊さんもいたが。
氏は学者をあまり尊敬していなかったようだ、市井にあって仏法を伝道することに一生を捧げた。