如何様にも読める道元の名文をじっくり眺めてみる。そして凡夫ゆえの読む楽しみを味わってみる。要は理屈ではなくイメージが描ければ良いのだ。
古佛のいへる事あり。死のなかにいけることあり、いけるなかに死せることあり。死せるがつねに死せるあり、いけるがつねにいけるあり。これ人のしひてしかあらしむるにあらず、法のかくのごとくなるなり。正法眼蔵第三十八 唯佛與佛より
ある人は戦場経験でいけるなかに死せることありを明日死ぬ兵は顔を見てわかると解釈する。生きているのに生気のない相をみるそうだ。いけるがつねにいけるありは殺しても死にそうもない人で死せるがつねに死せるありは輪廻しない人を指すのか。
また視点を変えてみると源氏物語で登場する生き霊はいけるなかに死せることありに関係して読めそうだ。いけるがつねにいけるありは光源氏か。死のなかにいけることありは怨霊のこの世での蠢きか。
あるいは生死はサインカーブの如きで上部は生で下部は死を繰り返すが境目は死のなかにいけることあり、いけるなかに死せることありとも読み取れる。
あるいは量子論でシュレディンガーの猫のように確率的に生きている死んでいるがかなねあわされているとも。