<DSL作業班が開催>
いよいよソフトバンクの新サービスである12Mbitサービスをどの分類にするかを総務省も判断しなければならない。情報通信審議会がNTT東西のDSL接続約款の改定認可について答申を行なった際に要望として、総務省においてスペクトル管理の基本的な要件を策定することを求めたことを受けて、情報通信審議会 情報通信技術分科会 事業用電気通信設備等委員会(酒井善則主査 東京工業大学教授)傘下のDSL作業班が開催されることになった。
この研究会も冒頭から孫正義氏の意見で議論は紛糾した。第1回会合では、孫正義氏が参加委員のリストをもとに、構成メンバーは「AnnexCの機器を製造するメーカーからの偏ったもの」と発言、AnnexAを利用するメーカーなどもDSL作業班に参加が必要だとメンバー構成の変更を強く訴えた。
第2回会合では、総務省はメンバーの入れ替えをのみ、第1回の構成員の入れ替えが行なわれアンビット・マイクロシステムズ、STマイクロエレクトロニクス、ユーティースターコムジャパン、日本テキサスインスツルメンツの外資系つまりAnnexAモデムを製造する4社が加わり、沖電気、NEC、松下電送システム、KDDIがメンバーから外れた。
ソフトバンクBBはDSL干渉状況報告では孫正義氏は「シミュレーションは一つの意見。データは事実」という点を強調した。DSLと同一カッドに収容され、上り速度が200kbps以下となっているユーザーは0.07%で干渉が事実上ないことを強調して「これ以上の議論は不要」と結論づけた。また、孫氏は「上り速度が出なくて困っている事例は聞いたことがない」とし、上りは200kbpsもあればサービスとして問題がないという意見も示した。
一方、NTT東日本からはフレッツ・ADSL 8Mタイプにおける距離および伝送損失と上下リンクアップ速度についての実測チャート図、およびケーブルの種類と速度などの関係をシミュレートしたグラフ、各方式間の漏話とリンクアップ速度の関係などのチャート図が提出されたがソフトバンクBB側は遠距離でもリンクアップする例を挙げて反論。AnnexCの速度と距離のチャートでも、実測チャートと結果が異なる点について「資料に矛盾がある」などと指摘した。
スペクトル管理標準のモデル・前提条件・パラメータについては、TTC(情報通信技術委員会)が定めるスペクトル管理標準JJ100.01について、NTT東日本の技術部長の成宮憲一氏およびイー・アクセス取締役CTOの小畑至弘氏から正当性が発表された。ソフトバンクBBからはTTCのJJ100.01の机上計算値と実伝送性能が乖離しているとの資料が提出された。
情報通信審議会 情報通信技術分科会 事業用電気通信設備等委員会 DSL作業班(以下、DSL作業班)の第3回会合が開催された。今回の議題はスペクトル管理についての検討手法・前提条件など。TTC(情報通信技術委員会)のJJ-100.01について盛んな議論が行なわれた。
第三回は、TTCのスペクトル管理標準である「JJ-100.01」の是非について議論。ソフトバンクBBからはNTT東日本のフレッツ・ADSL 8Mタイプと、Yahoo! BBの8Mタイプについて、距離や損失と伝送速度の実測データの比較が出され、同社の孫正義氏は「NTTとうち(Yahoo! BB)では、Yahoo! BBのほうが良く見える印象で、伝送距離で劣っているとは見えない」と意見を述べた。
NTT東日本からは成宮憲一技術部長が、問題が顕在化後の対処では遅いとしてあたかも問題が顕然かしていることが前提であるかのように事前規制の必要性を強調する。ソフトバンクBBなどが問題が顕在化しているとするのであれば全面的な情報開示を行なうべきとの主張には収容回線の事業者との守秘義務や個人情報非公開の問題があり、不可能と述べる。
ソフトバンクBBはJJ-100.01の精度についての見解を激しく問いただした。特に0.4mmの紙絶縁ケーブルを使ってシミュレートしている点については、NTT東日本が「以前に0.4mm紙絶縁のデータと実測とほぼ合致したためJJ-100.01の試験方法に一旦採用した」と説明すると、孫正義氏は「“とりあえず”で作ったものに、事実を曲げられるのは困る。何十万人ものお客が使ってるものを、事前規制されてしまうことが問題だ」と強く反論する。このあたりですでにモデル上のシミュレーションに固執するNTT等と実データでの検証を希望するソフトバンクBBに意見が集約されてきた。
第4回会合は事務局側からソフトバンクBBの提案を受け入れた形で各DSLの方式相互で発生する干渉を確認する実験が提案された。
第5回会合は長野県協同電算のフィールドデータが説明され、試験ではHDSLとADSLを同一カッドや隣接カッドに収容する全部で7パターンの測定が行なわれ、干渉源となるHDSLが、ADSLに対して速度低下の影響をほとんど及ぼないことが報告された。
イー・アクセスは、第2回会合時にソフトバンクBBが提出した資料と同様のリストを作成して反論。これは、上りリンクアップ速度が200kbps以下のユーザーのうち、下り速度が2Mbps以上といった上り速度に干渉の影響が出ているユーザーを抽出したもの。
第6回会合ではANSI(American National Standards Institute・アメリカ規格協会 アメリカの各種規格を取り決める団体)DSL標準化会議議長のMassimo Sorbara氏が来日してANSIの決定ルールについて説明した。
ANSIによる標準化はすべて業界の各社が自発的に行なうもので、標準化された規格を使うようFCC(連邦通信委員会)から義務付けられているわけではないとしてこの点で既に総務省のTCC標準に対する立場とは違う事を強調する。
「スペクトル的に不適合なものがあれば、互換性の基準を修正して受け入れようと考え、なんらかの妥協点を探るという可能性がある」などと述べた。つまり多数決原理は極力さけることを説明した。
DSL作業班が実施するフィールド実験は2003年3月13日から25日までの予定で、東京の成城交換センタと、そこに収容されるNTT東日本研修センタとの間で行なわれることが示される。参加事業者はソフトバンクBB(Yahoo! BB)、アッカ・ネットワークス、イー・アクセス、NTT東日本で、実験で使用する方式はAnnexA(FDM)、AnnexA(OL)、ReachDSL V2、AnnexC(FDM)、AnnexC(FBM OL)、ISDNで、相互の干渉度合いなどを測定する。
第8回会合では3月12日から19日まで東京都世田谷区のNTT東日本研修センタ内で行なわれたフィールド実験の結果の一部などが報告された。実験では、東京の成城交換センタに収容される2本の回線で測定が行なわれた。紙絶縁ケーブルとプラスチック絶縁ケーブルの混在した2.7kmの回線と、すべてプラスチック絶縁ケーブルで引かれた3.0kmの線で測定され、一般に公開されたのはNTT東日本とソフトバンクBBだけとなった。
実験結果は、干渉源があった場合に、逆に通信速度が向上する結果も混ざる誤差の大きいもの。NTT東日本は、上り回線について、「ISDNとAnnexA(オーバーラップ)は干渉源として影響が大きい」、下り回線についてはISDNの影響が大きいとした。また、実験結果を指して、TTCが定めるスペクトル管理標準JJ-100.01と「ほぼ合っている」と結論づけた。
これに対してソフトバンクBBは、実験結果について「AnnexAオーバーラップがAnnexA以外の各方式の上り速度に与える速度低下の干渉は0kbps」「ISDNの影響はAnnexAオーバーラップよりも大きい」などと意見を示した。また、ソフトバンクBBは、アッカ・ネットワークスのAnnexC FBMsOL方式、イー・アクセスのAnnexC FBM方式との相互干渉では、AnnexAオーバーラップが干渉源となった場合に両者に96kbpsという同程度の干渉を与えるが、AnnexC FBMsOL方式が干渉源となった場合も、AnnexAオーバーラップが96kbpsの干渉を受けるとして影響は同程度だとした。
実験データでは「AnnexAオーバーラップがAnnexA以外の各方式の上り速度に与える速度低下の干渉は0kbps」「ISDNの影響はAnnexAオーバーラップよりも大きい」の報告がその後の決着におおきな影響を与える。
2003年5月には干渉問題を検討してきたDSL作業班の報告書がようやくまとまり、上位委員会である情報通信審議会・情報通信技術分科会・事業用電気通信設備等委員会に下記の内容で提出された。
<問題のソフトバンク規格は疎外されず>
AnnexC(DBMOL、XOL、XDD)、AnnexC(FDM 12M)、AnnexA(OL)の三種は被干渉に対する保護を受ける権利があり、距離制限などを受けないクラスAに分類された。最後のAnnexA(OL)が問題のソフトバンク規格である。これにより、一年に亘る長くてハードな干渉論争はほぼ決着することになり、ソフトバンクは致命的な排除エリアへの移行を避けることができた。その他AnnexC(FBMsOL)とReachDSL V2は被干渉に対する保護のないクラスBに分類された。
総務省 電気通信技術システム課の児玉課長(当時)は「スペクトル管理の計算のモデルそのものがおかしいところから議論が始まっており、それについて合意ができた。今後はそれに従えばスペクトル管理は守られる。事業者間でDSLを前に進めようという点で協力体制ができたと認識している」 と述べた。http://internet.watch.impress.co.jp/www/article/2003/0502/dsl.htm より抜粋・引用
この報告に先立って、ソフトバンクからイーアクセス取締役に対する提訴は自発的に取り下げられていた。この取り下げに対して児玉課長のソフトバンクへの働きかけが有ったものだとか、イー・アクセス取締役氏の家庭に脅迫めいた電話が会ったとかの風聞が聞こえてきたが、その事実は不明である。
<判断の決め手は実証実験>
電気通信技術システム課の児玉課長が当報告書案の発表に当たって述べているように、この論争は「スペクトル管理の計算のモデルそのものがおかしい」点と被害の実態が無いところに、理論式モデルのみで干渉ありとしたところから問題は発生しており、綿密な社内実験で干渉問題に自信をもっていたソフトバンクがそれこそ窮鼠猫を噛むところまで事業的に追い詰められ、必死のなりふり構わぬ抵抗を試みた結果その危機を回避したという流れであった。
作業班ではNTTも含めた参加事業者が総掛かりでNTTの都内世田谷区の電話局(赤堤)の実際回線を利用して測定器を持ち込み干渉測定を行ったところ、速度低下などにほとんど意味のある差異が見いだせなかったことが決定打となった。この実証実験は当作業班の結論を出す前提のデータを採取するという大詰めであり、私もはらはらしながら当電話局に詰めて結果を見守ったが、測定結果に安堵の胸をなで下ろした事を記憶している。
<社内実験で自身>
社内実験で干渉問題に自信をもっていたと上述したが、当時既にソフトバンク社内にかなりの回線品質データが蓄積されており、当該問題回線へ変更した顧客回線の周辺回線の品質変化を網羅的に調査して問題の無いことを把握していた。ソフトバンクADSL加入回線の周辺の回線(同一カッド)にISDN回線が存在するケースを選び出し、ISDN存在前と存在後のADSL回線の速度変化を実査した。これはたまたまADSL回線の速度を継続的にロギングしていたことが幸いした。そのISDNの存在する前後の速度照合結果ではISDNが周辺に存在しても意味のある差異は認められなかった。この事実を把握した時の喜びはひとしおではなかった。自分たちでも半信半疑であった干渉の疑いが確信に変わり、自信を持って「無実」を主張できる流れに持って行けたのだった。
TTC改訂版スペクトル管理基準(TTCのJJ-100.01)ドラフト案モデルの前提となる各種のパラメータが現実と合わなかったのであり、モデルは前提を疑ってかからないと大変なミスを犯すという教訓を得た。特にメタル回線の銅線を包む被覆が古い欧米仕様製品を前提としており、日本の仕様では漏洩が少ないという事実を反映していなかった点が大きな計算誤りを生んだ。
DSL作業班で主任を務めた相田仁・主査代理は 「最終的なスペクトル管理のクラス分けは「DSL事業者間で合意に基づいて行なわれることが望ましい」とコメントした。ちょっと腰の引けた主査の判断であったが干渉の存在を結論づけられるよりはましだ。これを受けてTTCは2003年11月28日の改定に向けてJJ_100.01スペクトル管理標準第2版を議論することになった。
<総務省児玉課長の冷静なリード>
総務省側はこの問題をまとめるのに苦労した。作業班ではソフトバンクの孫社長が議論に参加してかなりの頻度で発言し、総務省の某課長は孫社長の座席側方向へ首が回らなくなるという奇病?も発症した。議論の最中に、かなり聞き苦しい野次や失礼な発言も飛び交ったが、総務省児玉課長は終始冷静に対応していたのが印象的であった。この作業班はマスコミの注目を集めていたので、常に総務省会議室は満席であった。そのために出席人数を制限するとか、傍聴席をなくすことなどが総務省から提案された事があったが、オープンな会議運営が大事であるとして「なんなら会議室を提供する」という参加企業(ソフトバンク)もあり退けられていた。
<影響を与える場合は費用もちで回線を切り替える>
NTTとADSL各社の間で実際の運用に向けて覚書の作成作業が始まり、ソフトバンクのAnnexA(OL)が他の回線に影響を与えることが事前事後のデータ比較により証明できればソフトバンクの費用で回線を切り替えるという事がポイントの取り決めがなされた。運用後に他社から干渉が起きたという事例は知る限り一件もなかったのも大きな驚きであった。
<TTC会議模様点描>
TTC標準化会議は浜松町の目立たない小ぶりなビルを狭いエレベータで上がった階のTTC事務局会議室で行われていた。ここでTTCは2003年11月28日の改定に向けてJJ_100.01スペクトル管理標準第2版作成を議論することになった。主査は前任のNTT通信研究所スタッフに変わって新しく東工大教授の池田さんが就任した。池田さんはKDDIの後にアッカ取締役に転職し、後に東工大教授に就任した方でADSLに詳しい専門家であり、温厚な人柄でADSL参加事業者間での信頼が厚い。こういう会合のさばきは過去のKDD時代の経験でお手の物だったのだろう、メリハリのきいた主査の采配で、紛糾しやすいテーマを中立的に旨くまとめていった。
この会議では、従来の運営と決定方法(全員一致か多数決か等の)が曖昧であるとの指摘を踏まえて、提案文書の一文一文をプロジェクターに映し出してはその都度、参加メンバーの訂正を受け、合意をとり第2版をまとめていく非常に根気のいる作業となった。休憩時間にはコーヒーやジュースをとりながら長時間(ほとんど一日)の会合を続けたが一瞬も気の抜けない緊張した発言と応酬が続き、会合が終わるまで非常に濃密な時間を過ごしたことを思い出す。
事業者各社の参加者はNTT東の技術部長を始めとして、内外通信機器メーカー各社の技術部門担当幹部が出席していたが、ソフトバンクだけは孫社長が自らほとんどの会合に出席して、担当者と突っ込んだ議論をしていた。その発言の中でメーカー側社員のなにかが引っかかったのだろう、「社の命運をかけて議論しているので、いい加減な発言は訴えるから覚悟して発言してくれ」との発言も飛び出した。こういう場では言うべきではないとの思いが出席者の脳裏をよぎったと思うが、孫社長のなりふり構っていられない必死さも伝わった。他の事業者に社長の出席は皆無であった。各社の担当者、特にメーカー側の出席者はイー・アクセス取締役を訴えた前例も見聞きしており、不快な気持ちを持ったと思う。さらに今後の商談によっては超大口顧客の立場にもあるいはなり得る会社の社長の発言だけにかなりの心理的プレッシャーを受けたと思うが、出席したメンバーは技術者らしく全員冷静に真摯に議論を進めていたのが印象的だった。
<参考 その後のスペクトル管理標準>
その後のTTCJJ_100.01スペクトル管理標準の経緯は以下の通り。
2003年11月28日 JJ_100.01スペクトル管理標準第2版
2004年7月2日 暫定合意となり、上り帯域の拡張方式の導入
2005年3月17日 JJ-100.01第3版に改の
<余話1>
この干渉問題ではモデルは前提を疑ってかからないと大変なミスを生むという大きな教訓を得た。総務省はこの後、NTTの独占状態を客観的な数値で把握しようとして京大のある教授の指導の下、米国生まれのモデルをもとに分析結果を公開してさかんにその独占状態判定モデルの成果をアピールをしていた。
このモデルのパラメータは限られたアンケートをもとに分析を進めていくもので、当モデルの認知も含めてこれもひとつの意見としては参考になるものの、それで政策決定されてはたまらないという印象を受けたものだ。企業人の理解できない数理モデルを隠れ蓑に使うと言うこともある種の官僚には癖としてありえるので要注意である。ちなみに長期増分費用方式もこの悪癖が米国の圧力のもとで大手を振ってまかり通った例である。
<余話2>
この一連の研究会会合でイー・アクセスも自社の干渉データを提出することになり、その日になりデータが提出されないことがあった。恐らく干渉を示す自社データがなく提出を断念したものと思われる。