まさおレポート

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宇宙創成 サイモン・シン メモ2

2013-02-12 | 小説 音楽

以下は宇宙創成 サイモン・シンの下巻からのメモです。pxxは下巻のページを指します。

自然は私たちに、ライオンの尻尾だけしか見せてくれません。・・・私たちは、ライオンにくっついている一匹のシラミのようにしか、ライオンを見ることはできないのです。 p10

ルメートルは、一般相対性理論によれば、宇宙は膨張すると論じた。 p14

フリードマンのビッグバン・モデルによれば、宇宙は原初の原子から始まったのではなく、一点から始まった。言い換えると、そのとき宇宙全体は、無の状態にまで圧縮されていたことになる。 p15

少年は医者に向かって、宇宙は膨張していると本で読んだが、膨れ上がって破裂したらすべてはおしまいだと話す。すると母親が口を挟んでこういった。「宇宙がなんだっていうの?あなたはブルックリンにいるのよ!ブルックリンは膨張していないの!」 p17

(アインシュタインと2度目の妻エルザの)二人は巨大な百インチ・フッカー望遠鏡を見学した。驚いたことにエルザはあまり感心せず、「そうかもしれませんけど、夫は使用済み封筒の裏に走り書きをするような計算だけで、それをやってしまいますのよ」といった。 p18

ルメートルはこう述べている。「科学者が、聖書に書いてあることは科学的に見ておかしいなどと心のなかで考えています。しかしそれは二項定理の中には正真正銘の宗教的教義が含まれているはずだと考えるようなものなのです」 p23

多くの人が、彼(ブルガリア生まれの科学者、フリッツ・ツビッキー)のお気に入りの悪口である「球形のろくでなし」と呼ばれた。球はどこからみても同じに見えることから、球形のろくでなしは「どこからみてもろくでなし」という意味である。 p25

彼(エディントン)はハップルの赤方偏移を「重要な結論を吊り下げるには、あまりにも細い糸である」といった。 p31

1キログラムのラジウムは、30分で1リットルの水を沸騰させるだけのエネルギーを生み出す。・・・何千年もの間30分ごとに新しい水1リットルを沸騰させ続けることができる。 ・・・最終的には同じ重量のダイナマイトよりも100万倍も多くのエネルギーを出すことになる。 p37

ラザフォードにとって、この結果は衝撃的だった。「私の人生にかつてこれほど信じられない出来事が起こったことはなかった。それはちょうど、十五インチの砲弾を一枚のティッシュペーパーに向かって撃ったところ、跳ね返されてこっちに向かってきたというものだった」 p47

原子のサイズは、陽子、中性子、電子の個数によって変わるが、一般には、直径が十億分の一メートルよりもさらに小さい程度である。しかしラザフォードの散乱実験は、原子核の直径はそれよりさらに十万分の一ほど小さいことを示唆していた。・・・仮に一個の水素原子をコンサートホール(たとえばロンドンのロイヤル・アルバート・ホール)を満たすぐらいに拡大したとすると、原子核は、だだっ広いホールのまん中にいる一匹の蚤ぐらいの大きさにまでなる。 p51

1キログラムの水素が何らかのメカニズムで融合すると0.993キロのヘリウムとなり、・・・これは十万トンの石炭を燃やして得られるエネルギーに等しい。 p59

天体物理学者たちは、太陽が1秒間に五億八千四百万トンの水素を五億八千万トンのヘリウムに転換し、失われた質量が太陽を輝かせるエネルギーになる過程を正しくイメージできるようになったのだ。・・・これからまだ何十億年もエネルギーを生み出し続けるだろう。 p66

すでに見たように、この宇宙には、水素原子1万個に対してヘリウム原子はざっと1千個、酸素原子は2個、炭素原子は1個の割合で存在し、これ以外の元素をすべて合わせても炭素原子よりさらに少ない。 p70

宇宙全体としての物質密度を見積もることができ、その結果は地球千個分の体積に1グラムの質量というものだった。 P77

アルファはビッグバンがあったと仮定することにより、ヘリウムの存在比を説明することができたのである。 P85

アルファとハーマンは、再結合の瞬間に放たれた大量の光の波長は、およそ千分の一ミリメートルだったと推定した。この波長は、プラズマの霧が晴れたときの宇宙の温度、摂氏三千度から直接引き出されたものである。・・・今日ではざっと1ミリメートルに伸びているだろうと予測した。・・・光のスペクトルの中ではいわゆるマイクロ波領域にある。 ・・・このいわゆる宇宙マイクロ波背景放射の検出に成功した者は、ビッグバンが実際に起こったことを証明することになるだろう。 P104

彼(ゴールド)は、「夢の中の恐怖」の物語と同じように、時間とともに進展はするが、本質的には変化しない宇宙を思い描いたのである。 ・・・ 絶えず変化しているが変わらない例として川を挙げた。そのほかにも、たとえばレンズ条高積雲という雲がある。この雲は、強い風が吹くときでも山の頂に留まっている。・・・我々の肉体もまた、不変性を保ちながら変化するという、この原理の例になっている。 P119

ゴールドはさらに一歩進めて、「完全宇宙原理」を仮定した。この原理は、宇宙の中でわれわれがすんでいる小さな領域は、ほかのどの領域とも違わないだけではなく、宇宙の中でわれわれが生きるこの時代は、ほかのどの時代とも違わないというものだ。 P122

定常宇宙モデルは、赤ん坊銀河は宇宙全体に均一に散らばっていると予測するのに対し、ビッグバンモデルははるかかなたにしか見られないと予測する。 p122

ホイルはその後、複雑な進化など到底起こらないことを示すドラマティックなたとえ話を思いついた。「竜巻が廃品置き場を通り過ぎたら、新品のボーイング747ジャンボジェットができていたというようなものである。」 p125

ボンディーは・・・ホイルを擁護した。「そういう発言は、流体力学について発言する権利があるのは配管工と牛乳屋だけだというのと同じレベルだ」 p126

教皇ピウス12世は、1951年11月22日に開かれた教皇庁科学アカデミーの会合に出席し、「現代自然科学に照らした神の存在証明」と題する演説を行った。教皇は特に、ビッグバン理論を強力に支持した。 p140

彼(ルメートル)はこう述べた。「私に理解できる限りにおいて、この理論はあらゆる形而上学的ないしは神学的な問題の外側にとどまっています」 p143

ソビエトの理論的指導者たちがビッグバンに敵対したのは、このモデルがマルクス=レーニン主義のイデオロギーと相いれないためだった。特に、宇宙創造の瞬間があったとするモデルは何であれ、断じて認めるわけにはいかなかった。 p145

ハップルは1953年9月28日に脳血栓のために死んだ。・・・実際、彼が世を去ったとき、委員会はまさに彼の受賞を発表すべく準備を進めていたのである。 P168

サンディッジの行った観測により、宇宙の年齢は100億年から200億年のあいだであることが明らかになった。 P173

ホイルは、極端な高温と高圧がさまざまな組み合わせになるために、幅広い質量領域の原子核ができるという決定的な事実をあきらかにした。  P179

ホイルは、超新星の極端な環境によってめったにおこらない核反応が起こり、とくに重くて珍しい原子核が作られることをしめした。 P180

ホイルの研究がもたらしたもっとも重要な成果の一つは、星の死が元素構成の終着駅ではないとわかった事である。・・・第二世代の星は、最初から重い元素を含んでいるため、元素構成からは一歩先んじたスタートを切る。・・・われわれの太陽は、おそらく第三世代の星だろうと考えられている。 P181

マーカス・チャウンは、「われわれが生きるために、十億、百億、それどころか千億の星が死んでいる。われわれの血の中の鉄、骨の中のカルシウム、呼吸をするたびに肺にみちる酸素 すべては地球が生まれるずっと前に死んだ星たちの炉で作られたものだ」」 P181
 
ヘリウムを炭素に変える方法はないように思われた。・・・そこでホイルは、炭素12には、ちょうど都合のよい質量をもつ励起状態が存在するはずだと結論した。・・・ホイルは、この宇宙に彼が存在しているという事実を前提に置いた。また彼は、自分は炭素を基礎とする有機体生物だという点に注目した。従って炭素は宇宙に存在しなければならず、それゆえ炭素を生成する方法が存在しなければならない。しかし炭素を生成する唯一の方法は、炭素の特定の励起状態が存在するかどうかにかかっている。結果として、その励起状態は存在するはずだ、と彼は結論した。ホイルは人間原理と呼ばれることになる論理を厳密に適用したのである。 P187
 
10日をかけて炭素12を調べた結果、ファウラーのチームは新しい励起状態を発見した。・・・これは科学者が人間原理を使って具体的な予測をし、正しいことが証明された最初にして唯一のケースである。 P190
 
重い元素の合成に関しては両モデルは引き分けたが、ヘリウムの合成を説明できるのはビッグバン・モデルだけだった。P192
 
驚くべきは、1983年のノーベル物理学賞がフレッド・ホイルにではなく、ウィリー・ファウラーに与えられたことだ。 P194
 
ベル研究所は、通信技術の応用研究に加えて純然たる基礎研究にもかなりの資金をつぎ込んだ。この研究所の一貫した運営哲学は、第一級の学術的な研究を行うことにより、好奇心と言う文化を育み、大学との懸け橋となればそれがいずれは商業的な利益にもつながっていくというものだ。商業的な利益の方はさておくとしても、ベル研究所はこれまでに成し遂げられた発見は、6個のノーベル物理学賞をさらい、十一人の受賞者をだしている。 P198
 
カールジャンスキーは弱冠二十六歳にして宇宙からの電波をはじめて検出し、その出所を突き止めた。 P202 
(彼は1950年、44歳にして世を去った) P255
 
このとき彼らは(ベンジアスとウィルソンは)偶然にも、宇宙論の歴史上もっとも重要な発見のひとつに出くわしたのである。あらゆる方角からたえまなくやってくるその雑音は、ビッグバンの名残り 宇宙が膨張をはじめてまもない時代のこだまだということに、二人は全く気がつかなかったのだ。やがて明らかになるように、腹だたしいその「雑音」は、ビッグバン・モデルの正しさを示すもっとも説得力のある証拠だったのである。 P235
 
セレンディピティ―という言葉は、1754年に作家のホラス・ウォルポールによってひねり出された造語である。 P205
 
こういう発見を私はセレンディピティ―と呼んでいます。・・・私は「セレンディップの三人の王子」という他愛もないおとぎ話を読んだのです。三人の王子が旅をしていると、偶然と賢慮により、探してもいなかったものがいつもみつかるのです。 P206
 
1948年のこと、ジョルジュ・ド・メストラルがスイスの田舎を歩いていると、トゲだらけの植物の種がズボンにたくさんくっついた。トゲは鉤のようになっていて、それが繊維のループにひっかかっていた。これがヒントになって発明されたのがベルクロ(マジックテープ)である。 P206
 
強力な瞬間接着剤の開発に取り組んでいたアート・フライは、簡単にはがれてしまう弱い接着剤を合成してしまった。・・・こうしてポストイットが生まれた。 P206
 
研究者たちがこの薬の有用な副作用に気づいたのは、臨床試験に参加した患者たちが、心臓病にはとくに効果がなさそうだったにもかかわらず、未使用分の薬を断固返したがらなかったからだ。 P207
 
アレグザンダー・フレミングがペニシリンを発見したのは、窓から飛び込んできた一片の青カビがシャーレに落ちて、培養していた細菌をころしたことに気がついたからだった。 P207
 
ライルは1961年までに五千の電波銀河をカタログにし、それらの分布を調べた。・・・結果は明白だった。ビッグ・バンモデルの予測通り、電波銀河は遠くになるほどありふれた存在になっていったのだ。 P217
 
あらゆる方角から絶え間なくやってくるその雑音は、ビッグバンの名残り 宇宙が膨張をはじめて間もない時代のこだまだということに、二人(ベンジアスとウィルソン)は全く気づかなかったのだ。 P235
 
ビッグバンのこだまは電波に姿を変えて、雑音としてペンジニアスとウィルソンの電波望遠鏡に検出されたのである。・・・宇宙マイクロ波背景放射として知られるようになった。P236
 
ホイルは「ビッグバン宇宙論は、熱狂的な激しさで科学者集団の心をわしずかみにしている。この熱狂が創世記の冒頭への根深い愛着からでているのは明らかであり、宗教的根本主義がもっともよく表れているところだ」 P250
 
初期の宇宙は極度になめらかで均質な物質のスープだった。そのなかのごく微小な密度のゆらぎが引き金となって、数十億年の時間を経て、密度の高い銀河と密度のほとんどゼロのからっぽの空間という、途方もない密度格差をもつ宇宙が出来上がった。 p258
 
統計解析は込み入っていたにせよ、ジョージ・スムートが世界に向けたメッセージはシンプルだった。創造の瞬間からおよそ三十万年後、宇宙のいたるところに十万分の一程度の密度のゆらぎが存在し、それが時間とともに成長して、ついには今日みられる銀河になった。 ・・・ここにパラダイムシフトは完了したのである。 p283
 
観測によれば、銀河の周辺部にある星は非常に大きな速度で運動しており、銀河内部にあるすべての星からの重力を合わせても、周辺部の星が宇宙のかなたに飛び去らないようにつなぎとめておくには足らないことが示されたのだ。p305
 
暗黒物質の性質や量に関しては、はっきりとした手がかりはほとんど得られていない。 p306
 

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