まさおレポート

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イワンの惑乱 「カラマーゾフの兄弟」メモ

2012-03-10 | 小説 カラマーゾフの兄弟

5回目の通読中です。4回は亀山訳で、5回目は原訳で現在読み進めている。途中、木下氏のブログ連絡船で大部の亀山批判も読んだ。これは亀山訳を手厳しく批判するものだが、「カラマーゾフの兄弟」解説書としてなかなか面白く読ませていただいた。この方の豊富な読書体験からキルケゴールの「死に至る病」のなどの引用による解説が記憶に残る。なるほど、こうして亀山訳と原訳を並べながら翻訳の優劣を比較されると原訳が適切な訳であり、亀山訳は解釈の自由を逸脱した訳だと理解できる。それにしても木下氏の凄い執念が感じられる。あたかも宗教の法論のような趣である。この執念は村上春樹へとも向かう。村上春樹ともあろうものが何故、亀山訳を「読みやすい」などとコメントするかとの怒りである。(村上春樹はインタビュー集で、他人の批判は一切しないと宣言しているので、まあ、しかたのないことではないかとも思うが。)

木下氏の論難のポイントはいろいろ多岐にわたるが、肝心なところは次の一点である。アリョーシャがイワンに向かって宣言する、父を殺した犯人は「あなたじゃない」と述べるところの読み取りにある。亀山訳が、アリョウシャはイワンが法的な犯人ではないと述べていると解釈していることに対して、とんでもない解釈だと憤る。木下氏の解釈では、アリョ-シャはイワンに対して、イワンあなたは自分の作り出した神の不在ならぬ、神が創った世界を否定するというイワンの思想に筋を通そうとしているあまり、根底では神を信じているあなたの心が葛藤しているだけだと述べていると解釈する。勿論私もその通りだと思う。ゾシマ長老もイワンに対して、神を完全に肯定も否定もできないイワンは不幸だと言っている。キリスト文明に生まれた人の最大の葛藤をイワンは体現している。第二のポイントは、15世紀に現れたキリストの大審問官に対するキスの意味である。大審問官の苦悩に対する共感と救いというのは私にも読み取れたが、亀山の解題ではその点が明快ではない。

「カラマーゾフの兄弟」はキリスト教をめぐる兄弟のドラマである。女の恐ろしさ、冤罪、父母の人格と子育ての如何による生育後の子どもの人生など多面にわたる叙述があり、人それぞれ、興味を魅かれるポイントが多いが、やはりキリスト教をめぐる兄弟のドラマが柱であると思う。私は多くの日本人同様、キリスト教と縁のない人生を送ってきたが多少なりとも仏教や神道などは身近に接してきている。そういう宗教風土で育った私には、「カラマーゾフの兄弟」がどんなふうに感じられるか。

イワンは心の深層ではやはりキリスト、神を信じている。しかし、理性と感情は神の存在は認めるが、神の作ったこの世界はあまりに理不尽で認められない。理想の世界はそのうちに現出するはずだが、それまでの理不尽な世界では暫定的に「賢い人は何ごとも許される」と考える思想をイワンは育てあげる。わたしにはキリスト教に対する教育あるいは刷り込み歴史的なキリスト教の洗脳とそれから脱出しようとする苦悩と読める。結局は脱出に失敗して苦悩の内に恐らく死ぬのだろうと予測させる。まさに「死に至る病」である。イワンも悩むことが人生の目的となってしまって、救済を望んでいるようで実は救済を拒絶する。こんな込み入った信仰感情は日本人の大多数には存在しないと思う。その意味で、日本人にはとっつきにくい小説だが、こんな込み入った悩みが西洋の人間にはおおいにあり得ることを教えてくれる。

長男ドミトリーもやはり、冤罪のシベリア送りを原罪を償うためにという理由で納得する。この男の宗教観はイワンよりも直感的でプリミティブな宗教感情が横溢している。ドミトリーは世界に不幸な子供達が存在する事が自らの罪と考える男で、これなら特にキリスト教でなくても日本にだっておりそうな感がある。アニミズム的宗教感覚といえる。

アリョーシャはどうか。ゾシマ長老に人的に入れ込んでいるだけで、彼の神概念はキリストを指すと言うよりも、もっと抽象化されているように思える。ロシアの土着的信仰心が基本にあり、それが組織としてのキリスト教修道院に「たまたま」つながってキリスト教という形をとっているように感じられる。兄と別れた後に見る天上の星たちに感動するアリョーシャはこれもアニミズム的だといえないか。

ゾシマ長老も予知能力や、彼の説教などキリスト教ではあるが、もっと抽象的な神と置き換えても通用する、どこかロシアの土着的アニミズムだ。これを仏教僧に置き換えても違和感はない。

「カラマーゾフの兄弟」と言えば「神は存在するか」というテーマだということになっているが、実はこの神というのは一応はキリスト教の神であるが、実は汎神論的アニミズムの賞揚という事ではないのだろうかとの思いが芽生え始めている。キリスト教に対して理詰めのイワンとスメルジャコフは悲惨な結末を迎え、どこかアニミズム的なゾシマとアリョーシャは救済される。(未完の小説はおそらくアリョーシャの救済物語なのだと思う)

 

「カラマーゾフの兄弟」イワンの宗教観

「カラマーゾフの兄弟」 その2 アリョーシャの宗教観 - 団塊亭日常 - Gooブ

「カラマーゾフの兄弟」 その3 ドミトリーの宗教観 - 団塊亭日常 - Gooブロ

「カラマーゾフの兄弟」 その4 登場人物の宗教観 - 団塊亭日常 - Goo ブロ

 


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