まさおレポート

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「カラマーゾフの兄弟」大審問官が最も池田大作氏を理解するのに役立つ

2023-11-22 | 小説 カラマーゾフの兄弟

池田大作氏逝去に対し改めて賛否が報じられているが目新しいものはない。ここで紹介するまでもないだろう。

わたしはドストエフスキーが最晩年に表した「カラマーゾフの兄弟」大審問官が最も池田大作氏を理解するのに役立つと考えている。こういう問題には文学の力を借りるのが最も的確に捉えられる。

つまり自由か崇拝かの人類の大問題にぶち当たることになる。なるほど現代のカルト問題を考えるということは「カラマーゾフの兄弟」の大審問官で提起された人類の大問題にぶち当たるということだったのか。200年前にロシアの文豪によって提起されたビッグテーマはカルト問題の底の深さを考える縁になる。改めてすごいなと思う。

大審問官は降臨した神に反論(説得)する。民は自由に放っておかれるとたちまち不安になりパンを奪い合う惨状になる。民は何かに縋らざるを得ないしそれが大好きなのだ。だから俺(大審問官)が奇跡などを見せて民がひれ伏す対象になり民に安心感を与えるのだ。その代償として俺が君臨して寄付を集めて贅を尽くそうが何をしようが絶対者として君臨してどこが悪い。みんな民のため(功徳)のためなのだ。どうも大審問官はバチカンや共産党のメタファらしい。

「この地上には三つの力がある。ひとえにこの三つの力だけが、こういう非力な反逆者たちの良心を、彼らの幸せのために打ち負かし、虜にすることができるのだ。そしてこれら三つの力とは、奇跡、神秘、権威なのだ。・・・おまえはしらなかった。人間が奇跡を退けるや、ただちに神をも退けてしまう事をな。・・・そもそも人間は奇跡なしには生きることができないから、自分で勝手に新しい奇跡をこしらえ、まじない師の奇跡や、女の魔法にもすぐにひれ伏してしまう。例え、自分がどれほど反逆者であり、異端者であり、無神論者であっても。・・・おまえが降りなかったのは、あらためて人間を奇跡の奴隷にしたくなかったからだし、奇跡による信仰ではなく、自由な信仰を望んでいたからだ。・・・誓ってもいいが、人間というのは、お前が考えているよりもかよわく、卑しく創られているのだ!・・・人間をあれほど敬わなければ、人間にあれほど要求しなかっただろうし、そうすれば人間はもっと愛に近づけたはずだからな」 亀山訳p277

ドストエフスキーはこの大審問官を否定も肯定もしていない。それは神と大審問官のキスでも示される。『カラマーゾフの兄弟』における大審問官伝説の結末はこうなっている。

彼は、無言のままふいに老審問官のほうに近づき、血の気のうせた九十歳の人間の唇 に、静かにキスをするんだ。これが、答えのすべてだった。そこで老審問官は、ぎくりと身じろ ぎをする。彼の唇の端でなにかがうごめいた。彼はドアのほうに歩いて行き、ドアを開けてこう 言う。『さあ、出て行け、もう二度と来るなよ・・・・・・ぜったいに来るな・・・・・・ぜったいにだぞ。

氏の心の奥の奥にしまいこまれた気持ちは大審問官の気持ちとひょっとして重なるのではないか。大審問官は絶対の自信を持っている。大審問官には揺るぎのない正義と信念があるのだ。

 


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