まさおレポート

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バリ島ウブドレポート9日目 美術館にあるワルター・シュピースの紹介

2023-06-14 | バリ島 絵画・紋様・アート・クリス・美術館・ワルター シュピース
朝から宿の犬と遊んでいて面白いことを発見した。犬はブドウを食べないと思っていたが宿の主人は食べると云うので一粒あげると隣の部屋のドアの前に持って行きポトリと落とした。
なんだやっぱり食べないのかと思い、迷惑だろうとブドウを拾って捨てようとするとダメとばかりに軽く威嚇する。
 ようやくわかった、このワンちゃんはブドウのプレゼントをこの部屋の住人にもって来て玄関に置いたのだ。人間にプレゼントする犬は初めてお目にかかった。

プリ・ルキサン美術館が今日のお目当て。
ワルター・シュピースの絵を再度みる為だ。これは複製。

これも複製かな。

これも

パトロンとして著名なチョコルダ・スカワティ。

チャンプアンは流れの交わるという意味で、この古い写真はそれがよくわかる。

美術館にあるワルター・シュピースの紹介。
パリ植民地博覧会1931年開催のバリダンス紹介パンフ。
パリ植民地博覧会1931年開催のパビリオン。以下解説文を引用。

この巨大な展覧会は、1931 年5月 6 日にパリ東郊外のヴァンセンヌの森で開幕しました。

世界中から3,300万人もの人々が集まります 。

1931年、当時オランダ統治下にあったバリ島はパリ植民地博覧会に参加した。

この巨大な展覧会は、1931 年 5 月 6 日にパリ東郊外のヴァンセンヌの森で始まりました。 

バリ舞踊の一団は、チョコルダ・グデ・アグン・スカワティの弟であるチョコルダ・グデ・ラカ・スカワティが率いていました。

この一座は海外で公演を行った最初のバリ舞踊団であり、当時世界の注目を集めたバリ舞台芸術の顔となりました。 

半年にわたって開催された展示会には世界中から来場者が集まりました。

バリのダンサー一座は、チョコルダ・グデ・アグン・スカワティの兄弟であるチョコルダ・グデ・ラカ・スカワティが率いていました。

この一団は、外国で公演した最初のバリ舞踊団であり、バリ島の舞台芸術の顔となりました。


珍しい写真があった。チョコルダ・アグン・スカワティがロバートケネディ夫妻を案内する。

ロバートケネディ司法長官からの礼状も。ケネディー大統領に対しても絵を送ったことのお礼が記されている。果たしてどのような絵だったのだろう。

バリのエロス。

バリの森の豊穣な生活を描く。

ヨーロッパ人が描いたバリの市場風景。胸の膨らみに注目している。

箱庭風のパラダイス。

天女の舞うパラダイス。

少し和風を感じるパラダイス。

海辺のパラダイス。

極楽鳥の鳴き声が聞こえてきそう。

村の祭りでサンヒャンを踊る二人の少女。
白鷺の舞うパラダイス。

バリの段々畑風景。

母と子にしてはエロすが。

チャップリンが憧れた胸を露わに出した女性の暮らす風景。欧米の影響を受けた後の絵で胸が強調されている。

レンパッドの作品がたくさんある。これは魔除けの札みたいなものらしい。以下は説明より引用。

レンパッドの絵画は、非常に鮮明で滑らかで、途切れることなく流れるように見える線を備えた非常に強力なディテールを持っています。

彼の絵画の多くは、白い紙に黒のインクのみを使用して浮かび上がる人物の形をしており、白い画面上のワヤン・クリット(影絵)や、お守りに使用される絵(レラジャハン)を少し彷彿とさせます。

当初、レンパッドは画家としてはまだ知られていませんでしたが、バリ人にはウンダギとしてよく知られていました。

レンパッドは、1925 年頃に西洋人の画家や絵画に紹介されて以来、絵画にさらに興味を持ち始めました。

彼の最初の絵は、 ウォルター・シュピース から提供された紙に描かれました。絵画の媒体​​としての紙の使用は、レンパッド絵画の特徴の1つになります。 




堕胎の罪で地獄で責められる女。

不思議なデフォルメ。他にもこのような細長いデフォルメの絵が多い。

何かで責められている女。それにしてもエロスだ。

バロンダンスの一シーンにも見えるが。クリスで自らを刺している自虐の図。
よく理解できない心象風景か。ここまでがレンパッドの作品。
レンパッドの記事。113歳まで生きた!

ある部屋にはゴングなどガムラン楽器がズラリ。



これはいつものレゴンダンスではお目にかからない楽器だ。





ドラム

竹琴。
なかなか立派な建物。

たっぷり見終わって中にあるレストランに行くと昼飯と飲み物がフリーで付いているという。バビ(豚)のBBQを食べたが美味しかった。

ついでコーヒーを。見事な模様!


以下説明文の引用です。

ピタマハの時代は1936年に初まり、特にルドルフ ボネとウォルター・シュピースから受けた様々な西洋美術の影響が現れた時期として特筆に値します。

 そしてその発展のしかたの違いによって、 三種のスタイルに分類されます。 

ウブド・スタイル:このスタイルには複数の興味深い様式が見られ、 ワヤン・スタイルをその現代風の背景に残しながらも自然 で写実的な形態が描写されています。 また、 ペインティングのテーマには、農民の日常生活や宗教的儀式が 取り上げられています。 何人かの画家達はボネからインスピレーションを受け、彼のペインティングに似た 要素を持った作品を創作しました。 

バトゥアンスタイル:このスタイルはバトゥアンに見られるような村落の生活を描いた、 バトゥアンの非常に代表的なスタイルで す。 

サヌール・スタイルは紙と墨を使用して白と黒の色だけで描かれています。 サヌールには今はもうありませんが、ドイツのノイハウス兄弟のトコノイハウスというアートショップが ありました。 サヌールの画家達はこのショップの回りに集まってきて、自分達の作品を売っていました。 そ してノイハウス兄弟の持っていた魚の水槽にインスピレーションを受け、海の生物や動物の姿を描いた作品があります。

プリルキサン美術館はパリの生活の全ての面に関わり、パリ・アートのコレクションを展示してきたすばらしい歴史を有しています。

1920年代からパリには多くの西洋人、特にこの代表的な伝統あるパリ・アートの楽園にインスピレーションを求め たアーティスト達が訪れるようになりました。 その中で、 ミゲル・コバルビアス (メキシコ)、 ウォルター・シュピース (ドイツ)、 ルドルフ ボネ (オランダ) 等の西洋のアーティスト達は、パリに滞在中地元のアーティスト達に刺激を与えたのでした。

1936年 ウブドの王であるジョコルダグデ・アグン・スカワティとその弟ジョコルダグデラカスカワティそして著名な画 家のイグスティ・ニョマン・レンバッドの協力により、パリのアーティスト達に創造的なインスピレーションを与える為に1952年 ラトナ・ワルタ財団が設立される。 この財団は、現在でもプリルキサン美術館を援助している。 

 帰りはいつもと違う道を歩いて見る。


見事な椰子。
ティルタサリを昼間みるとこんな風情。

叩くことで村人に連絡を伝える木鐸。
 
 
 
 
 
 
 
 

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