まさおレポート

当ブログへようこそ。広範囲を記事にしていますので右欄のカテゴリー分類から入ると関連記事へのアクセスに便利です。 

モールス符号はガウス、ヘルツ、エジソンと深い関係が

2018-03-06 | 小説 音楽

高校時代の思い出とともにあるモールス信号は今では絶滅寸前であり、そのうちモールス(1791- 1872)はほとんどの人の記憶から忘れられてしまうかもしれない。それでも思いもかけない人物がモールスに結びつく可能性もある、たとえばドイツの数学者ガウス(1777- 1855)が1833 年にウエーバとゲツチンゲン大学-天文台との間の連緒用に電磁式電信機をつくつて使用した。1 キロメートル離れた場所で針の振れを利用したいわばアナログ通信だ。他には周波数単位になっているヘルツ(1857年- 1894)がモールスに先立って電信実験に携わり、1895年には、ヘルツの実験を知ったイタリアのマルコーニが、自作の装置で約2.4km離れた場所にモールス信号を送信することになる 。こうした歴史上の著名人の事蹟を何かで知ったときに関連でモールスは結びつき、再び脳裏に蘇るかもしれない。

1876年にベルが電話機を発明しているがこの頃は電気通信の勃興期であったことも理解できる。19世紀末はベル・エポック(Belle Époque)の時代だが、少し先立ってBell epochの時代があったのだ。(Belleはフランス語でBellはグラハム・ベル 笑)

モールスがなぜ電信を発明したのかの話はなかなか感動的で、コネチカット州ニューヘブン(コネチカット州)に住んでいたモールスが肖像画を制作するためワシントンへ出かけ、出先で妻の危篤を知り、帰宅した時は既に妻は埋葬された後だった、亡くなった妻にすぐには連絡がとれなかったことを悔いたモールスはモールス符号と電信を開発したとのエピソードが残っている。

妻のために歴史的な発明をした人は知る限りモールスしかいない、そんな男はしかし奴隷制度賛同者だったことも知られている。

奴隷制についての私の見方は短い。奴隷制は本来、罪ではない。それは神の知恵によって世界の始まりから定められた情け深く賢明な社会的状態である。したがって奴隷を所有していることは人格的なものとは無関係であり、親になったり、従業員を雇ったり、支配者になるのと何の違いもない。wiki

同時に慈善活動家でもあった。

モールスは財産の多くを慈善活動に費やした。電信の特許を使って他者や企業が利益を上げても、特許料を徴収することはなかった。亡くなった際の遺産は約50万ドルだった。wiki

なかなか揺れ幅の広い男なのだ。

ついでにモールスの関連メモ。

ヴェイルはモールス符号の発明。初期のモールス電信機は単語と数値の対照表を用いていた。これを共同研究者ヴェイルが文字の使用頻度と符号の組み合わせについて調べた上で文字符号を作成した。AT&Tの初代社長セオドア・ニュートン・ヴェイルの従兄弟にあたる。

 

参考

スタインベックの「チャーリーと旅して」ではかつてアメリカで電報が来るということは誰かが亡くなったことだったそうな。日本でもそうだった。

追記 エジソンもモールス符号に深く関わっていたことを娘の偉人シリーズ本で知った。http://www.inv.co.jp/~ike/edison.pdf

発明王トーマス・エジソンは、優秀なモールス通信のオペレーター
アメリカでは有線モールス通信のオペレーターは当時(1860 年代頃)、サウンダーの「真鍮叩き」といったあだ名で呼ばれたようです。あの有名な発明王であるトーマス・エジソンも 20 歳代の若い頃は、いわゆる国内各地を放浪する渡りの「真鍮叩き」で過ごし、次の職が見つかるまではひどく貧乏な状態にありましたが、モールス通信技能に関しては、作業をやりながらも1 分間に 150 字以上の高速送受信も平気でこなす卓越したモールス通信の名手で、南北戦争にも通信
士として従事。


…以後、白熱電灯、水力発電、二重電信機、四重電信機、電話機、蓄音機、映写機、電気軌道など、数々の発明をし、発明王といわれた…1920 年、73 歳になった記念に、ニュージャージー州オレンジの研究所とニューヨークのブローウエイにあるウエスタン・ユニオン電信会社との間に電信線をひき、自らキーをとって、昔懐かしい通信手に立ち帰り、モールス符号で次のようなメセージを打電しています。
“Edison Laboratory, July 20,1920,to the telegraph fraternity”
Amid the activities of a busy life, full of expectations, hope and fears, my thoughts of
early association with my comrades of the dots and dash have ever been a delight and pleasure to me - I consider it a great privilege to recode in Morse characters on an indestructible disc this tribute to my beginnings in electricity through he telegraph,
and with it a God-spend to the fraternity throughout the world. 73 EDISON.


1920 年 7 月 20 日、エジソン研究所にて
電信の兄弟姉妹たちへ、期待や望みや気遣いに充ちたる忙しき生活にあっても、わが若かりし頃、トンとツーの仲間と共にあった頃の思い出こそは、自分にとって常に一つの喜びと悲しみである、自分はいまモールス符号によって、1 枚のレコードに自分が電信というものによって、電気界への端緒となったことへの感謝とともに、世界中における電信の兄弟姉妹たちへ神の祝福の祈願を記録するものである。73(歳) エジソン。
このメッセージはレコードに録音されて、後日市販されたようです。73 は、南北戦争時、すでに電信で ”Best Wishes””Best Regard”の意味で用いられていたことから、エジソンが 73 歳の記念に併せてこのようなセレモニーを行ったものでした。
JA1GZV 魚留 OM 著、モールス・キーと電信の世界(CQ 出版)より抜粋・転載http://www.inv.co.jp/~ike/edison.pdf


コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。