まさおレポート

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オペラ ギリシャ悲劇 蝶々夫人

2007-12-14 | 小説 音楽

河合隼雄と中川牧三の対談集をぱらぱらと読んでいたらオペラはギリシャ悲劇が源流だと中川牧三氏が述べている。オペラに通じている訳ではなく、たまに見たり聞いたりする程度なので知ったかぶりはできないが何時の頃からか、イタリアオペラはそういえば最後は悲劇で終わる、と気がついていたがなるほど納得だ。椿姫(ヴィオレッタはジェルモン親子に看取られて亡くなる)、ラボエーム(ショナールがふとミミを見ると彼女はすでに息絶えていた)、蝶々夫人(蝶々は子供を抱きしめアリア「さよなら坊や」を歌い、子供に目隠しをし、日米の国旗を持たせ、刀を喉に突き立てる。)などは最後は主人公の女性が死ぬ。もっともモーツアルトオペラのフィガロの結婚はめでたしめでたしで終わるがドイツオペラの伝統はイタリアとは異なるのだろう。

中川牧三氏は日本オペラ界の長老でこの対談時に101歳で今も矍鑠としていると聞く。今でもイタリアのボローニャに別荘を持ち行ったり来たりの生活だというが、100歳を超えて飛行機に乗れるものかと思ってしまうが並外れてお元気なのだろう。河合隼雄氏の方が先に亡くなった。

なるほど色恋ざたで男の手前勝手なやるせない事件もオペラで歌い上げると浄化されカタルシスを得る。蝶々夫人を観て米国士官ピンカートンのやりたい放題の仕打ちと、どこかしら見え隠れするアジア人種蔑視の筋書きにうんざりするのだが喋々夫人の歌い上げるアリアは実に美しい。悲劇の度合いが強ければ強いほど美しさが増すという仕掛けになっている。

私が台本を書くとすると碌でもない無責任男ピンカートンも死ななければ真のカタルシスは得られないのだが、蝶々夫人ではピンカートンは日本で子供まで作りながら米国に帰還命令がでると何事もなかったかのように帰国し米国女性と結婚、子供も取り上げそのまま平和に過ごしましたという結末になっている。日本に米国女性妻を同行して立ち寄ってその自決を知り、嘆くというストーリーにはなっているがこの程度ではふざけるなといいたい人の方が多いのではないか。欧米の視点で見るとあまり違和感はないのかもしれないが。

かつてブロードウェイでミュージカル・ミスサイゴンを見たが舞台はベトナムであるがやはり同じようなストーリーでなにやら後味の悪かったことを思い出した。国辱的な筋立ての悲劇に拍手喝采する日本人、しかしアリアは美しいので聞きたい、ああこの矛盾。


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