まさおレポート

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大乗はネットワークの外部性と果たして関係があるか

2017-12-13 | 通信事業 NTT・NTTデータ・新電電

原始仏教から大乗に至る経緯にずっと関心がある。この関心におりにふれて引っかかってくるネット情報があり、それをすくい取って自らの理解の一助にしたい。

位田教授(京都大学 経済学)の言葉は経済学のみならず仏教の展開にもヒントを与えてくれる。

 一体経済学は共感なき利己心のみを取り扱う学問であろうか。経済学の父アダム・スミスは1767 年から1773 年にかけて故郷で研究三昧の生活中に著しく健康を害し、死に瀕している。スミスの体験はしばしば利他心の倫理学(『道徳情操論』)から利己心の経済学(『国富論』)までの生みの苦しみになぞらえられる。確かに、スミスは分業や交換が利他心ではなく利己心によって遂行されることを論じた。しかし、スミスの中にあって利己心と利他心は矛盾するものではなかったようである。スミスの自己規制は自己否定ではなく自己肯定の傾向が強いが、その自己規制は他人の共感を通じてこそ形成されるものであったからである。しかるに、現代の経済学では利他心や共感は非合理で経済の法則にそぐわぬ日陰者扱いである。これはいかに「子供達」が「父」の遺志をねじ曲げて解釈して来たかを表す一つの証左ではないか。
経済学を勉強する道程で、私はずっと利他心や共感のような倫理学的問題に興味があった。だから自他の行動が直接的に作用し合う「ネットワーク外部性」のモデルに触れた時、目から鱗が落ちるような思いがしたのだろう。ネットワーク外部性こそ、私にこの業界で飯を食っていく勇気と動機を与えてくれた記念すべき道標ともいえる。『経済セミナー』(1999 年10 月号)ネットワーク・エコノミックス(7)ネットワーク外部性の経済理論(前) 依田高典

通信事業に長らくたずさわり、ネットワークの外部性と言う言葉に頻繁に接してきた。電話事業の新規参入時に、東名阪だけを事業エリアにするのではなく、全国に一気にアクセスポイントを設け、加入者を増やさないと事業が成り立たないという根拠に使われた。通信事業に特に顕著に見られる現象で、これにいち早く気がついたDDIが先行し、ついで日本テレコムと続き、日本高速通信は乗り遅れた。

それはさておき、紀元前500年頃に発生したブッダの説く原始仏教は紀元前後に大きく形を替え大乗仏教を生み出し、原始仏教と共存した。日本人である我々はこの大乗仏教になれ親しんできたのだが東南アジアは今でも原始仏教のままで、彼らから言わせると大乗はブッダの教えではないと言う。日本人にも大乗非仏説を唱える学者もいる。これに対しての反論も多いが歴史文献学的論争になっているように思う。

ブッダはドグマを否定し、個人崇拝を禁止しているので個々の解脱という一点さえブレなければ、対機説法の特質からも時代とともに適応し変化してよいのではないか、変化と適応が大乗を生み出した。

時代とともに適応し変化し特に商業発展の影響が著しい。商業は差別廃止や共感を伴うほど発展するので他者への救済思想を育くみ、救済思想と共感は相まってそのネットワークは広がり、ついには他者への共感と救済思想の広がりが大乗を求め、生み出した。共感はショーペンハウワーの共苦と置き換えてもよい。

共感は広域の商業の広がりにも都合よく、そう考えるとネットワークの外部性という経済学の理論は仏教の広がりの歴史にも適用可能なのではないか。ふとそんなことを考えてみたがもとより素人の思いつきである。

 

「ネットワーク外部性」成立の技術面からみたポイントはプロトコルの共通性であるが、共感と共苦は上手く共通プロトコルとして機能する。他に施しをするということが共苦と共感のプロトコルに乗って如来、菩薩の大慈悲心をもつ救済者として現れてきたということではなかろうか。

「ネットワーク外部性」成立にプロトコルの共通性が重要だがそれは当然言葉の翻訳の発展とも結びつく。「”仏説”と称する伝統的保守的仏教の聖典で、パーリ語で伝えられた聖典は仏陀ゴーサ以前に、またそれに対応する漢訳経典や律蔵に基づいたサンスクリット原本も4世紀には確定していたと考えられるが、大乗仏教は自由な思想表現をゆるしたため、仏説と称する経典のたぐいがインドで次から次へと限りなく作られ、また中国でも新たに作られた。(中国で作られた経典類をしばしば「偽経」と呼ぶが、歴史的人物である釈尊が説いたものであるかどうかということになると、少なくとも大乗経典は全部「偽経」であるということになる。)中村元氏・ 仏教経典散策 

「ネットワーク外部性」機能は言葉の翻訳と商業の発達で一層強力になり、特に言葉の翻訳は、あたかもオープンアーキテクチュアのソースが自律的に発達するように法華経にみられる壮大な物語性をもつ教へと自律的な発展を遂げたと考えたい。AIも機械学習を進め、自律的に知識を獲得していくがネットワーク外部性の機能のもつ機械学習機能が自律的に知識と構造を獲得していくさまを夢想するのは楽しい。

ここではオリジナルかどうかで価値を決める議論は無意味となり大乗非仏説も論拠を失う。 

中国商業の黄金時代は紀元前220年頃の戦国時代といわれて商人の社会的地域は「士農工商」と呼ばれるように、最下位にとどまってきた。
中国の伝統的な価値観では、社会的な地位は財産ではなく、権力の強さによって定められていたので、商人はたとえどれだけ財産があったとしても、社会的な地位が低かったため、常に劣等感をいだいていた。「ネットワーク外部性」機能は商業のなかで力を発揮するが、それらの中に適合するように仏教も自己発展していく。つまり仏教の展開も「ネットワーク外部性」機能に添うように自己発展していくすることになる。

空と救済あるいは憐憫 ランバート・シュミットハウゼンの論文から

「ゲーデルの哲学 不完全性定理と神の存在論」高橋昌一郎 再読メモ

 フェルマーの最終定理と谷山豊それにガロア

「近世数学史談」 高木貞治著 読書メモ

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