まさおレポート

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「自省録」 中曽根康弘著 読書メモ

2018-05-30 | 小説 音楽

電電民営化と中曽根内閣の当時の様子を知りたくて購入した。田中角栄と中曽根康弘、北原安定と真藤恒4者の関係、さらに山岸委員長との応酬がリアルに描かれている。電電民営化以外にも興味のある記述が多い。

特に「本体以外の関連業務や下部機構の工事関連部門は別に専門の工事会社をつくって分割してしまえ。」「実は日本の核武装の可能性について研究させたことがあります。・・・当時の金で2000億円、5年以内で出来るというものでした。」は実に先見性のある見方と思う。

今でも「データ通信や電話工事部門などは分離して、情報通信の中枢の把握と研究をやれ」は生きていますね。

 

1941年11月26日のハル・ノートを見ても、あれでは日本ならずとも、どの国でも戦争に至らざるを得なかったと思います。・・・

通告が遅れたことは、日本の名誉を傷つけました。日米交渉の最終局面で、ワシントンの日本大使館で暗号を解読し一刻も早く届けるべきところを怠った官僚の罪は、万死に値します。p30 

電電公社のほうは国鉄とは異なり、黒字経営でした。そのため、あえて、民有化することはないという議論も起きましたが、全国一本化のこのようなものは民営化しなければならないという考え方がまず第一にありました。しかしながら、分割する必要性は感じられませんでした。p179 

この日、閣議前に20分ほど鈴木首相に会い、行革推進において9月末までに出そろった各省庁改革案を説明したのです。続けて、電電・専売の打開策を両公社の首脳人事を含む断行方法として進言して、最後に鈴木総理再選に対する私の考えは変わらないと申し上げました。p147

彼らの反対の根拠は、組合の意向と電電首脳部の姿勢でした。特に副総裁の北原安定君が抵抗の姿勢を示していました。だからこそ、族議員も一緒になって反対したわけです。最終的には議会で議論して、5年後には見直すとか、法案を若干修正して妥協したのです。・・・参議院段階で、一部修正して付帯決議で妥協し、山岸君の顔を立てました。それで、山岸君も賛成に回ってくれたのです。p180  

民営化する新しいNTTのトップに誰を据えるかという段になって、郵政族と田中角栄君は、北原安定副総裁を強く推してきました。北原君と言う人物は、優秀な技術者のうえ、そういうことも実に如才なくやっていたのです。

私は、今里広記さんと永野重雄さんに相談して、真藤さんを立てました。・・・真藤さんの話しぶり、創造性、積極性を見て、これはいいと思っていたわけです。p181 

しかし、田中角栄君を口説かなくてはいけないわけで、中山素平さんと今里さんが角栄氏のもとへ行きました。ところが、角さんは、「いや、北原がいい」といって聞かなかったのです。

中山さんが困っていると、しばらくして、角さんが素平さんを興銀に訪ねてきて、「あれは承知する」といったらしいのです。どうした心境の変化だったかは知りませんが、妙なことがあるもんだと思いました。財界を的に回すのはまずいと思ったのかもしれません。それで、真藤さんに決まったのです。

私が真藤さんに期待したのは民有分割論でした。山岸君にもいったことがありますが、「全国の電電の幹線は全国規模でそのまま維持する。それから、研究所もその優秀さは世界トップレベルなのだから、これもそのまま維持する。あの力を落としてはいけない。

しかし、本体以外の関連業務や下部機構の工事関連部門は別に専門の工事会社をつくって分割してしまえ。データ通信や電話工事部門などは分離して、情報通信の中枢の把握と研究をやれ」と、そういったのです。しかし、山岸君は「分割反対」を譲らなかったので、今でも、その課題があるわけです。  p182

私が防衛庁長官をやっていた1970年、・・・実は日本の核武装の可能性について研究させたことがあります。・・・当時の金で2000億円、5年以内で出来るというものでした。p225

 

初稿2013-07-23 

追記2018/5/30 100歳報道に接して

 

 

 

 

 

 

 


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