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まさおレポート

紀野一義の研究4「法華経」を読む 追加

紀野一義の「法華経」を読む のメモです。2021-02-25初稿に追加しました。


物心ついたころから法華経方便品や寿量品をわけもわからず読経してきた紀野一義氏はそれゆえに法華経が大好きだという。氏の体験と法華経が重なっていて特にイメージ的に領解することの大切さを説かれている。


インド哲学や仏教学の理論では決してすんなり入ってこないという。イメージによる領解は右脳によるので日本人には理解できるのではないかとも。このイメージによる経というのが私には感無量の言葉となる。法華経は人々が最高の教えというが、すごいぞ凄いぞというだけで何がどう凄いのかさっぱり書かれていないという批判が根強くあり、これをどう整理したらよいのかわたしの心の中の疑問として残っていた。


道元が正法眼蔵で法華経は凡夫には理解できない世界で唯仏与仏と記しているとも教えられた。それなら確かにすごいぞすごいぞとしか言いようがないな。イメージを、つまり絵や音楽を楽しむように読んでみることにしよう。

法華経には不思議なイメージがある。そのイメージに触発されると、読む者のイメージ脳のなかに顕著な変化が起きる。思いもかけないようなイメージが次々に脳裏に現われたり、自然が素晴らしく美しくなったり、人間がみんなすばらしく見えたりするのだ。p8


氏は人を渡すことの大切さを以下に説明する。

無量義経

諸々の衆生に於いて憐敃の心を生じ

一切の法に於いて勇健の想いを得ん

壮んなる力士の、諸有の重き者を能く担い持つが如く

是の持経の人も亦復是の如し

能く無上菩提の重き宝を荷ない、

衆生を担負して生死の道を出す

未だ自ら度すること能わざれども、すでによく彼を度せん

p60

この「未だ自ら度すること能わざれども、すでによく彼を度せん」を氏は繰り返し述べる。

道元禅師 正法眼蔵 発菩提心の巻を引いてさらに述べる。

発心とは、はじめて自未得度 先度侘の心をおこすなり。これを初発菩提心といふ。この心をおこすよりのち、さらにそこばくの諸仏にあひたてまつり、供養したてまつるに、見仏聞法し、さらに菩提心をおこす、雪上加霜なり。衆生を利益すといふは、衆生をして自未得度先度侘のこころをおこさしむるなり。自未得度先度侘の心をおこせるちからによりて、われほとけにならんとおもふべからず。たとひほとけになるべき功徳熟して、円満すべしといふとも、なほめぐらして衆生の成仏得道に回向するなり。この心われにあらず、侘にあらず、きたるにあらずといへども、この発心よりのち、大地を挙すればみな黄金となり、大海を掻けばたちまち甘露となる。

p62

道元は、人が発心する、菩提心を発す、ということは自未得度先度侘の心をおこすことだと言う。まず人を助けたい、まず人を幸せにしたいと願うことだという。そういう心をおこしたことによって大きな功徳が得られたら、それをさらに他人の幸せを願う方に向けてゆく。回向というのは方向をそちらに向けることなのである。
そういうことができるようになったら、大地は黄金になる、大海は甘露(アムリタ 不死のこと)となるのだという。


氏は法華経を真に理解できたのは世界で日蓮、道元、宮沢賢治の三人のみだという。

その理解の困難さを唯物与仏という言葉で述べている。

白隠でさえ法華経を42歳までわからなかったという。

白隠

師、四十二歳。秋七月……徳源の東芳、差して『法華経』を読ましむ。一夜読んで譬喩品に到り、乍ち蛬の古砌に鳴いて声声相い連なるを聞き、豁然として法華の深理に契当す。初心に起す所の疑惑釈然として消融し、従前多少の悟解了知の大いに錯って会することを覚得す。経王の王たる所以、目前に璨乎たり。覚えず声を放って号泣す。初めて正受老人平生の受用を徹見し、及び大覚世尊の舌根両茎の筋を欠くことを了知す。此れより大自在を得たり p107


道元の正法眼蔵を引いている。

第十五 光明

いはゆる佛の光明は盡十方界なり、盡佛盡なり、唯佛與佛なり。佛光なり、光佛なり。佛は佛を光明とせり。この光明を修證して、作佛し、坐佛し、證佛す。このゆゑに、此光照東方萬八千佛土の道著あり。これ話頭光なり。此光は佛光なり、照東方は東方照なり。東方は彼此の俗論にあらず、法界の中心なり、拳頭の中央なり。東方を礙すといへども、光明の八兩なり。此土に東方あり、他土に東方あり、東方に東方ある宗旨を參學すべし。萬八千といふは、萬は半拳頭なり、半心なり。かならずしも十千にあらず、萬萬百萬等にあらず。佛土といふは、眼睛裡なり。照東方のことばを見聞して、一條白練去を東方へひきわたせらんがごとくに憶想參學するは學道にあらず。盡十方界は東方のみなり、東方を盡十方界といふ。このゆゑに盡十方界あるなり。盡十方界と開演する話頭すなはち萬八千佛土の聞聲するなり。p86


では凡夫はどうすればよいのか。答えは則能信解だと。

道元の正法眼蔵 則能信解を引いている。

有智若聞 則能信解 無智疑悔 則為永失

智あるは若し聞いては 則ち能く信解し
  智なきは疑悔して 則ち永く失うべしp157


智なきは疑悔して 則ち永く失うべし をさらに深く説明するために道元の正法眼蔵 恁麼を引用している。

六のむかしは新州の樵夫なり。山をもきはめ、水をもきはむ。たとひ松の下に功夫して根源を截斷せりとも、なにとしてか明窓のうちに從容して、照心の古ありとしらん。澡雪たれにかならふ。いちにありて經をきく、これみづからまちしところにあらず、他のすすむるにあらず。いとけなくして父を喪し、長じては母をやしなふ。

しらず、このころもにかかれりける一顆珠の乾坤を照破することを。たちまちに發明せしより、老母をすてて知識をたづぬ、人のまれなる儀なり。恩愛のたれかかろからん。法をおもくして恩愛をかろくするによりて棄恩せしなり。これすなはち有智若聞、能信解(智有るもの若し聞かば、ち能く信解す)の道理なり。

いはゆる智は、人に學せず、みづからおこすにあらず。智よく智につたはれ、智すなはち智をたづぬるなり。五百の蝙蝠は智おのづから身をつくる。さらに身なし、心なし。十千の游魚は智したしく身にてあるゆゑに、にあらず、因にあらずといへども、聞法すれば解するなり。

きたるにあらず、入にあらず。たとへば、東君の春にあふがごとし。智は有念にあらず、智は無念にあらず。智は有心にあらず、智は無心にあらず。いはんや大小にかかはらんや、いはんや迷悟の論ならんや。いふところは、佛法はいかにあることともしらず、さきより聞取するにあらざれば、したふにあらず、ねがふにあらざれども、聞法するに、恩をかろくし身をわするるは、有智の身心すでに自己にあらざるがゆゑにしかあらしむるなり。これを能信解といふ。


「法をおもくして恩愛をかろくするによりて棄恩せしなり。」は難しいところだが、それほどまでに直感に頼れと言うことだと理解した。


法華経は絶対肯定の世界だと。

見宝塔品

善哉善哉、釈迦牟尼世尊、能く平等大慧・教菩薩法・仏所護念の妙法華経を以て大衆の為に説きたまう。是の如し、是の如し。釈迦牟尼世尊所説の如きは皆是れ真実なり。

善哉善哉 氏はこれを「ええなあ」と訳する。法華経の絶対肯定讃歌だ。

宮沢賢治の雲の信号を紹介する。


雲の信号 宮沢賢治
あゝいゝな せいせいするな
風が吹くし
農具はぴかぴか光つてゐるし
山はぼんやり
岩頸(がんけい)だつて岩鐘(がんしよう)だつて
みんな時間のないころのゆめをみてゐるのだ
  そのとき雲の信号は
  もう青白い春の
  禁慾のそら高く掲(かか)げられてゐた
山はぼんやり
きつと四本杉には
今夜は雁もおりてくる


若し我成仏して滅度の後、十方の国土に於て法華経を説く処あらば、我が塔廟是の経を聴かんが為の故に、其の前に涌現して、為に証明と作って、讃めて善哉といわん。

否定で肯定すると言う屈折した思考、論理だけでは、乾涸びたほとけしかとらえられないぞという皮肉である。p170


氏は偏狭な人たちとは一線を画する。

水上勉に言及して徹底した陰の人で氏は徹底した陽の人だという。水上氏は良寛を好きではなく、氏は大好きで意見は全く異なる。しかし水上氏を否定しない。評価している。このあたり、お題目もよし、お念仏もよし、あるいはクリスチャンでもよし、一つを大事にしてシンプルに迷いなく一生をおくれば信仰と祈りはそれでよしとする。


偏狭な人たちとは一線を画する根拠を提婆達多に求めている。

提婆達多の存在は正当に評価されなくてはならない。p175

誰か能く我が為に大乗を説かん者なる。吾当に身を終るまで供給し走使すべし。

時に仙人あり、来って王に白して言さく、
 我大乗を有てり、妙法蓮華経と名けたてまつる、若し我に違わずんば当に為に宣説すべし。

王、仙の言を聞いて歓喜踊躍し、即ち仙人に随って所須を供給し、果を採り、水を汲み、薪を拾い、食を設け、乃至身を以て状座と作せしに、身心倦きことなかりき。時に奉事すること千歳を経て、法の為の故に精勤し給侍して、乏しき所なからしめき。

爾の時の王とは則ち我が身是れなり。時の仙人とは今の提婆達多是れなり。

提婆達多が善知識に由るが故に、

提婆達多却って後無量劫を過ぎて当に成仏することを得べし。号を天王如来・応供・正遍知・明行足・善逝・世間解・無上士・調御丈夫・天人師・仏・世尊といわん。p174


さらに偏狭な人たちとは一線を画する根拠を龍女成仏にも。

名を智積という。多宝仏に啓さく、当に本土に還りたもうべし。

此に菩薩あり、文殊師利と名く。与に相見るべし。妙法を論説して本土に還るべし。

智積菩薩、文殊師利に問わく、仁龍宮に往いて化する所の衆生、其の数幾何ぞ。

文殊師利の言わく、其の数無量にして称計す可からず。口の宣ぶる所に非ず、心の測る所に非ず。且く須臾を待て。自ら当に証あるべし。

 所言未だ竟らざるに、無数の菩薩宝蓮華に坐して海より涌出し、霊鷲山に詣でて虚空に住在せり。

 文殊師利の言わく、我海中に於て唯常に妙法華経を宣説す。

智積菩薩、文殊師利に問うて言わく、此の経は甚深微妙にして諸経の中の宝、世に希有なる所なり。頗し衆生の勤加精進し此の経を修行して、速かに仏を得るありや不や。

文殊師利の言わく、有り。娑竭羅龍王の女年始めて八歳なり。智慧利根にして、善く衆生の諸根の行業を知り、陀羅尼を得、諸仏の所説甚深の秘蔵悉く能く受持し、深く禅定に入って諸法を了達し、刹那の頃に於て菩提心を発して不退転を得たり。

智積菩薩の言わく、我釈迦如来を見たてまつれば、無量劫に於て難行苦行し功を積み徳を累ねて、菩薩の道を求むること未だ曾て止息したまわず。三千大千世界を観るに、乃至芥子の如き許りも、是れ菩薩にして身命を捨てたもう処に非ることあることなし、衆生の為の故なり。然して後に乃ち菩提の道を成ずることを得たまえり。信ぜじ、此の女の須臾の頃に於て便ち正覚を成ずることを。

深く罪福の相を達して 遍く十方を照したもう

爾の時に舎利弗、龍女に語って言わく、
 汝久しからずして無上道を得たりと謂える。是の事信じ難し。所以は何ん、女身は垢穢にして是れ法器に非ず、云何ぞ能く無上菩提を得ん。仏道は懸曠なり。無量劫を経て勤苦して行を積み具さに諸度を修し、然して後に乃ち成ず。

又女人身。猶有五障。一者不得。作梵天王。二者帝釈。三者魔王。四者転輪聖王。五者仏身。云何女身。速得成仏。

 又女人の身には猶お五障あり、一には梵天王となることを得ず、二には帝釈、三には魔王、四には転輪聖王、五には仏身なり。云何ぞ女身速かに成仏することを得ん。

爾の時に龍女一つの宝樹あり、価直三千大千世界なり。持って以て仏に上る。仏即ち之を受けたもう。龍女、智積菩薩・尊者舎利弗に謂って言わく、我宝樹を献る。世尊の納受是の事疾しや不や。答えて言わく、甚だ疾し。女の言わく、汝が神力を以て我が成仏を観よ。復此れよりも速かならん。

変成男子

 当時の衆会、皆龍女の忽然の間に変じて男子となって、菩薩の行を具して、即ち南方無垢世界に往いて宝蓮華に坐して等正覚を成じ、三十二相・八十種好あって、普く十方の一切衆生の為に妙法を演説するを見る。

まさしく男女交会のとき南無妙法蓮華経と唱ふるところを煩悩即菩提・生死即涅槃と云ふなり

p184


さらに偏狭な人たちを憎むことを自らの体験で語っている。

氏が一度だけ人を斬りにいった体験を語っている。これは私にとって初めての話だ。中国で終戦処理にあたっていた22歳の時に司令部参謀が勝手に司令部の命令を変えてしまい、それがもとで将兵が危機に陥った。

それを知った氏は日本刀をかんぬきざしにして血相変えて中国の通りを走っていくと在留日本人のおばあさんがなにかささやいた。その言葉で我に返ってすごすごと引き下がった。結果的には司令部の命令は正されことなきを得たという。そしてそういうぎりぎり、相手を殺したいほど人を憎む体験をしたあとでしか常不軽菩薩(誰に対しても仏心をもつものとして敬い、その敬った人たちから狂った坊主とさげすまされ石を投げられた。)の行動は腑に落ちるものではないと。納得ですね。


フランクルの夜と霧の長い引用を通して菩薩とはこういう人だと紹介している。不思議なもので私もフランクルはつい最近のブログにも紹介している。


氏は法華経を真に理解できたのは世界で日蓮、道元、宮沢賢治の三人のみだという。その日蓮上人について勧持品を引いて説明している。

1 唯願わくは慮いしたもうべからず 仏の滅度の後
  恐怖悪世の中に於て 我等当に広く説くべし

2 諸の無智の人 悪口罵詈等し
  及び刀杖を加うる者あらん 我等皆当に忍ぶべし

3 悪世の中の比丘は 邪智にして心諂曲に

  未だ得ざるを為れ得たりと謂い 我慢の心充満せん

4 或は阿練若に 納衣にして空閑に在って

  自ら真の道を行ずと謂うて 人間を軽賎する者あらん

5 利養に貧著するが故に 白衣のために法を説いて
  世に恭敬せらるること 六通の羅漢の如くならん

6 是の人悪心を懐き 常に世俗の事を念い
  名を阿練若に仮つて 好んで我等が過を出さん

7 而も是の如き言を作さん 此の諸の比丘等は
  利養を貧るを為ての故に 外道の論議を説く

8 自ら此の経典を作って 世間の人を誑惑す
  名聞を求むるを為ての故に 分別して是の経を説くと

9 常に大衆の中に在って 我等を毀らんと欲するが故に
  国王大臣 婆羅門居士及び余の比丘衆に向って 誹謗して我が悪を説いて

10是れ邪見の人 外道の論議を説くと謂わんも我等仏を敬うが故に悉く是の諸悪を忍ばん

11斯れに軽しめて 汝等は皆是れ仏なりと謂われん
  此の如き軽慢の言を 皆当に忍んで之を受くべし

12濁劫悪世の中には 多くの諸の恐怖あらん
  悪鬼其の身に入って我を罵詈毀辱せん

13我等仏を敬信して 当に忍辱の鎧を著るべし
  是の経を説かんが為の故に 此の諸の難事を忍ばん

14我身命を愛せず 但無上道を惜む我等来世に於て 仏の所嘱を護持せん

15世尊自ら当に知しめすべし 濁世の悪比丘は
  仏の方便 随宜所説の法を知らず

16悪口して・蹙し 数数擯出せられ塔寺を遠離せん 是の如き等の衆悪をも

17仏の告勅を念うが故に 皆当に是の事を忍べし

18諸の聚落城邑に 其れ法を求むる者あらば
  我皆其の所に到って 仏の所嘱の法を説かん 

19我は是れ世尊の使なり 衆に処するに畏るる所なし
  我当に善く法を説くべし 願わくは仏安穏に住したまえ

20我世尊の前 諸の来りたまえる十方の仏に於て
  是の如き誓言を発す 仏自ら我が心を知しめせ

p188


日蓮上人が法華経の行者であることを南条兵衛七郎殿御書を引いて説明している。

されば日本国の持経者は・いまだ此の経文にはあ(値)わせ給はず唯日蓮一人こそよ(読)みはべれ・我不愛身命但惜無上道(がふあいしんみょうたんしゃくむじょうどう)是なりされば日蓮は日本第一の法華経の行者なり。p189

日蓮・大高声を放ちて申すあらをもしろや平左衛門尉が・ものにくるうを見よ、とのばら但今日本国の柱を倒す


従地涌出品について、このイメージの世界はベーダのアートマン我とブラフマン梵の考えを取り込んだと氏は推測している。地下はアートマン我、中空はブラフマン梵に対応し、この品はヒンドゥから借りてきたのではと。法華経とヒンドゥの繋がりを示唆している。

梵我一如を取り込んだ。p193

従地涌出品

世尊、若し我等仏の滅後に於て此の娑婆世界に在って、勤加精進して是の経典を護持し読誦し書写し供養せんことを聴したまわば、当に此の土に於て広く之を説きたてまつるべし。

爾の時に仏、諸の菩薩摩訶薩衆に告げたまわく、止みね、善男子、汝等が此の経を護持せんことを須いじ。

所以は何ん、我が娑婆世界に自ら六万恒河沙等の眷属あり。是の諸人等能く我が滅後に於て、護持し読誦し広く此の経を説かん。

仏是れを説きたもう時、娑婆世界の三千大千の国土地皆震裂して、其の中より無量千万億の菩薩摩訶薩あって同時に涌出せり。

 是の諸の菩薩は身皆金色にして、三十二相・無量の光明あり。

 先より尽く娑婆世界の下此の界の虚空の中に在って住せり。

 是の諸の菩薩、釈迦牟尼仏の所説の音声を聞いて下より発来せり。

爾の時に四衆、亦仏の神力を以ての故に、諸の菩薩の無量百千万億の国土の虚空に遍満せるを見る。

 是の菩薩衆の中に四導師あり。一を上行と名け、二を無辺行と名け、三を浄行と名け、四を安立行と名く。是の四菩薩其の衆中に於て最も為れ上首唱導の師なり。


最後に如来寿量品の説明に入るが言いたいことを述べるには紙面がつきたようだ。この著すべてを使っても説明しつくせないと。

如来寿量品

譬えば良医の智慧聡達にして、明かに方薬に練じ善く衆病を治す。其の人諸の子息多し、若しは十・二十乃至百数なり。事の縁あるを以て遠く余国に至りぬ。

諸の子後に他の毒薬を飲む。薬発し悶乱して地に宛転す。 是の時に其の父還り来って家に帰りぬ。諸の子毒を飲んで、或は本心を失える或は失わざる者あり。遥かに其の父を見て皆大に歓喜し、拝跪して問訊すらく、善く安穏に帰りたまえり。我等愚痴にして誤って毒薬を服せり。願わくは救療せられて更に寿命を賜えと。

父、子等の苦悩すること是の如くなるを見て、諸の経方に依って好き薬草の色・香・美味皆悉く具足せるを求めて、擣篩和合して子に与えて服せしむ。而して是の言を作さく、此の大良薬は色・香・美味皆悉く具足せり。汝等服すべし。速かに苦悩を除いて復衆の患なけんと。

其の諸の子の中に心を失わざる者は、此の良薬の色・香倶に好きを見て即ち之を服するに、病尽く除こり愈えぬ。

余の心を失える者は其の父の来れるを見て、亦歓喜し問訊して病を治せんことを求索むと雖も、然も其の薬を与うるに而も肯えて服せず。所以は何ん、毒気深く入って本心を失えるが故に、此の好き色・香ある薬に於て美からずと謂えり。父是の念を作さく、此の子愍むべし、毒に中られて心皆顛倒せり。我を見て喜んで救療を求索むと雖も、是の如き好き薬を而も肯て服せず。

我今当に方便を設けて此の薬を服せしむべし。 即ち是の言を作さく、汝等当に知るべし、我今衰老して死の時已に至りぬ。是の好き良薬を今留めて此に在く。汝取って服すべし、差えじと憂うることなかれと。是の教を作し已って復他国に至り、使を遣わして還って告ぐ、汝が父已に死しぬと。



自我偈

我仏を得てより来 経たる所の諸の劫数
  無量百千万 億載阿僧祇なり

  常に法を説いて 無数億の衆生を教化して
  仏道に入らしむ 爾しより来無量劫なり

 為度衆生故 方便現涅槃 而実不滅度 常住此説法
 我常住於此 以諸神通力 令顛倒衆生 雖近而不見

  衆生を度せんが為の故に 方便して涅槃を現ず
  而も実には滅度せず 常に此に住して法を説く
  我常に此に住すれども 諸の神通力を以て
  顛倒の衆生をして 近しと雖も而も見ざらしむ

 衆見我滅度 広供養舎利 咸皆懐恋慕 而生渇仰心
 衆生既信伏 質直意柔軟 一心欲見仏 不自惜身命
 時我及衆僧 倶出霊鷲山

  衆我が滅度を見て 広く舎利を供養し
  咸く皆恋慕を懐いて 渇仰の心を生ず
  衆生既に信伏し 質直にして意柔軟に
  一心に仏を見たてまつらんと欲して 自ら身命を惜まず
  時に我及び衆僧 倶に霊鷲山に出ず

 我時語衆生 常在此不滅
 以方便力故 現有滅不滅 余国有衆生 恭敬信楽者
 我復於彼中 為説無上法 汝等不聞此 但謂我滅度

  我時に衆生に語る 常に此にあって滅せず
  方便力を以ての故に 滅不滅ありと現ず
  余国に衆生の 恭敬し信楽する者あれば
  我復彼の中に於て 為に無上の法を説く
  汝等此れを聞かずして 但我滅度すと謂えり

 我見諸衆生 没在於苦海 故不為現身 令其生渇仰
 因其心恋慕 乃出為説法

  我諸の衆生を見れば 苦海に没在せり
  故に為に身を現ぜずして 其れをして渇仰を生ぜしむ
  其の心恋慕するに因って 乃ち出でて為に法を説く

 神通力如是 於阿僧祇劫
 常在霊鷲山 及余諸住処 衆生見劫尽 大火所焼時
 我此土安穏 天人常充満 園林諸堂閣 種種宝荘厳
 宝樹多華果 衆生所遊楽 諸天撃天鼓 常作衆伎楽
 雨曼陀羅華 散仏及大衆

  神通力是の如し 阿僧祇劫に於て
  常に霊鷲山 及び余の諸の住処にあり
  衆生劫尽きて 大火に焼かるると見る時も
  我が此の土は安穏にして 天人常に充満せり
  園林諸の堂閣 種々の宝をもって荘厳し
  宝樹華果多くして 衆生の遊楽する所なり
  諸天天鼓を撃って 常に衆の妓楽を作し
  曼陀羅華を雨らして 仏及び大衆に散ず

 我浄土不毀 而衆見焼尽
 憂怖諸苦悩 如是悉充満 是諸罪衆生 以悪業因縁
 過阿僧祇劫 不聞三宝名

  我が浄土は毀れざるに 而も衆は焼け尽きて
  憂怖諸の苦悩 是の如き悉く充満せりと見る
  是の諸の罪の衆生は 悪業の因縁を以て
  阿僧祇劫を過ぐれども 三宝の名を聞かず

 諸有修功徳 柔和質直者
 則皆見我身 在此而説法 或時為此衆 説仏寿無量
 久乃見仏者 為説仏難値 我智力如是 慧光照無量
 寿命無数劫 久修業所得

  諸の有ゆる功徳を修し 柔和質直なる者は
  則ち皆我が身 此にあって法を説くと見る
  或時は此の衆の為に 仏寿無量なりと説く
  久しくあって乃し仏を見たてまつる者には 為に仏には値い難しと説く
  我が智力是の如し 慧光照すこと無量に
  寿命無数劫 久しく業を修して得る所なり

 汝等有智者 勿於此生疑
 当断令永尽 仏語実不虚

  汝等智あらん者 此に於て疑を生ずることなかれ
  当に断じて永く尽きしむべし 仏語は実にして虚しからず

 為治狂子故 実在而言死

  狂子を治せんが為の故に
  実には在れども而も死すというに

 無能説虚妄

  能く虚妄を説くものなきが如く

 我亦為世父 救諸苦患者

  我も亦為れ世の父 諸の苦患を救う者なり

 為凡夫顛倒 実在而言滅 以常見我故 而生恣心
 放逸著五欲 堕於悪道中 我常知衆生 行道不行道
 随応所可度 為説種種法

  凡夫の顛倒せるを為て 実には在れども而も滅すと言う
  常に我を見るを以ての故に 而も・恣の心を生じ
  放逸にして五欲に著し 悪道の中に堕ちなん
  我常に衆生の 道を行じ道を行ぜざるを知って
  度すべき所に随って 為に種々の法を説く

 毎自作是念 以何令衆生
 得入無上道 速成就仏身

  毎に自ら是の念を作す 何を以てか衆生をして
  無上道に入り 速かに仏身を成就することを得せしめんと


氏は32歳で出会い、50歳で奥様と結婚している。長男次男は52歳55歳の子供ということになる。幸せな家庭生活も過ごされたようだ。それでこそと思う。

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