まさおレポート

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紀野一義と佐々木閑 変わることへの態度

2025-01-28 | 紀野一義 仏教研究含む

 

 

佐々木閑氏は初期仏教の特に律の専門家なので釈迦が言ったこと以外の言説を認めない。そのため大乗も認めない。(しかし、人がどちらを好もうがそれはお好きにどうぞとの態度なので偏頗な考えの持ち主では決してない)

紀野一義氏は人がどうしてもそうあって欲しいとの願いを認める。禅だけでは収まりのつかない時もあり、そういう時は念仏を唱えるという。そして仏教界の異端児である暁烏敏を愛し、山頭火を愛する。収まりのつかない時もあるというのがいいなと思う。

浄土真宗のある偉い学者が釈迦以前にも仏教があったと講演したことを肯定的に取り上げている。「異安心と言われますかね」と言いながらさらりと仏教界がひっくり返るようなことを言う。

佐々木閑氏は比喩とかメタファは本質的に正しくないという。説明上使う時もあるがあまり良くないという。

紀野一義氏は法華経は壮大なイメージでありビジョンだという。つまりメタファの塊みたいなものだ。だから法華経はいいのだと。

佐々木閑氏は釈迦仏教原理主義に一見見えるが、それでしか救われない人のための駆け込み寺的病院であるといいうことで原理主義を免れている。

紀野一義氏は観音やマリア、念仏、題目、アーメンで救われるのならそれを貫くことが大事だという。

わたしはどちらもいいなと。

 


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