チリのパイネ国立公園にいった帰りのこと、乗り合いの車で数時間乗って大平原の真ん中にある三叉路で下された。ここにホテルからの迎えの車が来るという。ガイドに本当にここかと確認すると親指を立てる。周りには怖いほど何もない。周りの広さのスケールが違う。一方は地平線の彼方まで他方は遠くに小高い山なみが見えるがそれ以外は人家らしきものは一軒だけだ。
バスで大平原を突っ走るときは「本当に広いな」との感慨で済むが、自ら降りて二人きりになると一層その広さに心細さを覚える。「本当にホテルから迎えにきてくれるんだろうな」と企画担当の連れ合いに再度確認する。しかし周りには誰も迎えに来てはいないし、遠くに車影さえ見えない。
そのうちにバンが迎えにきた。近所の羊飼いのおじさんらしい。ホテルに向かうが行けどもいけども羊以外人家は見えない。一体どこに連れられて行くのだろうと考えていると30分ほどで小高い丘が見えてきた。時速100程でぶっ飛ばしての30分だから50kmほどは走っている。東京だと八王子あたりまで行ってしまう距離だ。
それにしても何という感覚の違いだろう。ここでは東京―八王子の距離がお隣さんの感覚に近い。人口密度の違いと言ってしまえばそれまでだが。
小高い丘の上のホテルに着き、周りを歩いてみた。前方180度は地平線の彼方にうっすらと山波がみえる。その間には大平原があるばかりだ。反対側の180度は丘の傾斜が続く。空には雲が流れて行き鷲が舞いそれだけが時間の流れを感じさせる。まったくの無音の世界にしばし浸っていると今まで経験したことのない特別な気持ちになる。聖なる安らぎとでも表現できるか。この特別な気持ちが人を旅に駆り立てるのだろう。