まさおレポート

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ボロブドール紀行

2024-03-26 | バリ島 文化・風習・葬祭・ヒンドゥ・寺院・宮殿

2017-03-22初稿 2024-03-26追記

2006年12月10日~ボロブドール紀行はインドネシアのジャワ島にある仏教遺跡だ。ジャワ島中部のケドゥ盆地にあるチャンディ・ボロブドゥールは、カンボジアのアンコール・ワット、ミャンマーのバガンと並ぶ、世界三大仏教遺跡のひとつで8世紀に栄えたシャイレーンドラ王朝によって2世紀に渡って建造されたとされている。

完成後まもなくジャングルの中に埋もれ、1000年以上も人々の記憶から忘れ去られていたが19世紀にイギリス人により発掘された。火山の噴火によるもの、イスラム教徒の破壊を恐れて埋めたというものなどの説がる。

この地を訪れ、夕刻と夜明け前、そして、日中と3回に亘って回廊を進み、頂上にあるストーパ群まで足を運んだ。回廊の両側には石のレリーフが彫られている。釈迦の誕生から苦行のあと、菩提樹下での悟り、そして、さまざまな出来事のあとの死、つまり涅槃までが長い長い回廊に描かれる。

全体に知っている話なので、筋を追いかけることができるが、余りに長いので集中力が続かず、途中からさっさと足早に頂上を目指すことになる。3回挑戦してやっと全体を一通り眺めた。もともと日本の寺院とは異なるものだとの先入観があるので、特にこの時点では日本との違いを考えたりはしなかったのだが、日本に帰ってからの読書で、その異質感がどこにあるのかを再認識した。

何気なく本棚から梅原猛著の「仏像のこころ」を引っ張り出して小田急線で乃木坂まで行く間、再読してみた。そうすると、東南アジアには釈迦の出生から解脱、涅槃にいたるまでの一生の物語が至るところに見られるが、日本には誕生仏と解脱した釈迦像が多く、さらに多いのは如来像であり、その一生の物語は彫刻やレリーフではほとんど見られないとの記述があった。

ボルブドールだけでなく近辺の仏教遺跡にも釈迦の一生のストーリーがレリーフで描かれており、それをひとつひとつ見ながら進むと最終地点でストーパにいたるようになっている。その中には解脱した釈迦がおわします。その最終地点にいたる回廊の道程が極めて重要なのだろう。

日本の寺院は、そのような道程を経ずに本堂の如来像などに礼拝する。梅原はこの理由を、東南アジアの釈迦は実在した釈迦に焦点をあわせて礼拝の対象としているが、日本の釈迦は久遠成道の釈迦が礼拝の対象だと説く。それはなぜかと、どんどん話が展開していくのだが、それはさておき、以前からなんとなく感じていた異質感が、読書の一節で再認識させられた。

ガルーダインドネシア航空の国内便でジョグジャカルタへ。フライト時間は1時間。バリと時差が1時間ある。






ホテルに到着。雨も止んだ。緑がきれいで、広々してて、第一印象はいい感じ。ガバメントが経営するボロブドゥール公園の中にある唯一のホテル。



世界遺産のボルブドール寺院 自然丘陵が周囲より10m 程度高い位置にある。

方形段の4回廊はレリーフ レリーフは合計 1,460 面の方形パネル ジャータカ説話 





ボルブドール寺院の模型。

ボルブドールは丘の上に盛土を築き、安山岩切石で覆った構造。内部空間を持たない。各辺に張り出し部を持つ正方形が二段で基壇を構成しその上に次第に小さくなる同形の5段の方形段が載る。この方形段各段の間は回廊で、本体壁と欄楯はレリーフパネルで覆われている。欄楯には外向けに432 の龕を設け仏像が安置されている。

第5方形段の上面には3段の低い円形段が載るが、形状は隅丸方形から真円形に変化している。円形段各上には釣り鐘型の小塔 72基が並び、内部には仏像が納められている。小塔には小窓が設けられ、上段ほど窓空間は小さくなる。中央に大塔が据えられるが、これには窓はない。

ボルブドール全体が密教の系統を引く巨大な立体曼荼羅であるとする説が有力。 




ボルブドール見学スタート










本体壁とその上の欄楯。レリーフは合計 1,460 面の方形パネルにジャータカ説話が。欄楯には外向けに432 の龕を設け432体の仏像が安置されている。阿閦如来(東面)宝生如来(南面)阿弥陀如来(西面)不空成就如来(北面)なお、第5層(第四回廊)の64体は東西南北ともに毘盧遮那仏で法身説法印を結んでいる。円形壇の72体の転法輪印の仏像は釈迦如来と考えられている。



レリーフの顔。レリーフは合計 1,460 面の方形パネルにジャータカ説話が。



心に平和がやってくる顔をした大仏。欄楯には仏像が安置されている。方形段欄楯と円形段に計509体の仏像が安置され仏像はいずれもグプタ朝のサルナート様式とされる坐像。

仏像は、方形壇の各面で、面ごとに異なった印相を結んでいる。各面第4層(第三回廊)までの368体(各面92体)については、それぞれ以下のようになっている。
東側:阿閦如来で指地の印
南側:宝生如来で満願の印
西側:阿弥陀如来で弥陀定印
北側:不空成就如来で無畏の印



ボロブドゥール2日目 午後

公園の入り口あたりで何やら騒がしい音が聞こえてきた。



踊っている。



バスの運転手風が歌う。



化粧した男性。



駄菓子売り。



新たなダンサーズ登場。



この踊り笑える。

ボルブドール2日目 午後


仏教遺跡ボルブドールはインド洋を渡ってインドネシアまで伝来された仏教の世界最大級の遺跡。

遺跡には古代ジャワ文字が刻まれていて字体の特徴760 年~847 年の間とされる。建造は824年と考えられており、約1000年の間、密林の中で火山灰に隠されていた。1814年、当時ジャワを占領していたイギリスの総督ラッフルズにより掘り起こされ、10世紀に及ぶ長い眠りから覚めた。


カンボジアのアンコールワットもそうだったが実はジャワの人はそこにあるのを知っていたとか。また、ボルブドールの土台に使われている土と寺院を覆っていた土砂の土質が同じことから、完成と同時に埋められたとの推測も可能らしい。なぜ埋めるかは謎だが。

1973年、ユネスコ主導で大規模な保存、修復が施され、新しい土木技術で排水路なども付け加えられた。解体時にはコンピューターで石の一つ一つに番号をつけ、再度組み直されたという。



いまだその場に置かれている石もたくさんある。



これが組み直しの時につけた記号。



仏教説話のレリーフが4層の回廊に施されている。回廊の幅は約2メートル。左右の壁には 1,460 面のレリーフが続く。


左に釈迦 中央は?

登場人物は1万人を超える。インド、グプタ朝の流れをくむジャワ様式の柔らかく優美な線が特徴。



だれかに似た顔があった。



山々の景色も絶品。 

夜明け

釈迦如来

登る

盲亀の浮木、優曇華の花待ちたること久し

広場

夜明けのシルエット

釣鐘状のストーパには窓があり中には仏像が。

夜明け前に懐中電灯持参で。

 

東門から

釈迦の背中

 

広い公園を歩きながら考えた。インドでもジャワでも仏教は滅び、ヒンズーが残った。こちらの仏教は南伝仏教と呼ばれており、日本のそれは北伝仏教で、受ける印象は異なる。登場する神々も共通しておりヒンズーの一派とも理解されたこの地の仏教は、差別化に失敗したのであろうか。あるいは悉皆成仏を説く平等思想が階級社会には受け入れられなかったのであろうか。

バリの玄武岩は色調のベース
海岸舗道を自転車で走ると、砂浜でバリ特有の黒い石を積み上げていた。この黒い石はバリではおなじみの玄武岩でお寺やプールの周り、それに割れ門や住居にと至る所に使われている。バリだけではない、ジャワ島でもボルブドール寺院遺跡(仏教)やブランバナン寺院遺跡(ヒンドゥ)もこの玄武岩を積み上げて建てられている。そういえばバリの北部にあるシンガラジャの海岸の黒砂もこの玄武岩が砕かれた砂でできているに違いない。バリはアグンやバトール山など火山が多いのでいきおいその溶岩でできる玄武岩が豊富だ。

バリの風景はこの玄武岩石の色調である黒もしくは灰色をベースに成り立っているのではと思ってみた。つまり仮定してみた。この黒い地味な石はバリ全体の色調を規定しているに違いない。この黒や灰色に華やかな原色やパステルカラーは合わない。白の大理石がベースになっているパリやローマでは原色やパステルカラーが映える。一方、こちらの玄武岩には草木絞り染めのようなどことなく抑えたくすんだ色調がよくマッチする。バリの人々の服装を観察するとそんな色調を好むように見える。


追記 2024-03-26

出家前の釈迦 城を出て街に

誕生した釈迦を抱く 左はアシタ仙人 未来のブッダが誕生したことを神々から聞き、王宮を訪れた。

右は釈迦の母マーヤー夫人

横たわるマーヤー夫人

左は釈迦 右は弥勒菩薩 56億年後の仏

同上 一枚のレリーフ全体

転法輪印を結ぶ釈迦

印を結ぶ釈迦

 

 


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