まさおレポート

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30年前のバリ

2018-03-26 | バリ島 人に歴史あり

いまから30年前のバリ、それもクタのあたりは今と違ってひっそりとしていて、割れ門のあるあたりだけが突然ひらけ、そのあたりだけ店が立ち並ぶ一画があった、だから滞在したホテル・メラスティからこのあたりまでは墓場の横を歩き、暗闇のなかを塀や野原沿いに歩いて少し不安になりかけた頃に突如明かり(それも確かアセチレン灯)がみえだすと、じつに安心感、安堵感が押し寄せてきたものだった。山歩きをしたあとに麓の灯が見えてきたといったら少し言いすぎだが。

それからクタは急激に様変わりして、ホテル・メラスティからはもうホテルやレストラン、ショップの立ち並び、どこも暗闇は無くなって30年前のバリの面影は様変わりした。

墓場と書いたがバリには日本で言うところの墓場は無い、火葬までのあいだ亡骸を一時的に埋めておく場所があり、それが日本の昔の墓場のような感じがする。ホテル・メラスティの真横に草むしてあり、ところどころ埋めたような盛り上がりを見せていた。

夜だけではない、昼間でも海辺伝いにホテルに向かうと墓場がありその横を通ってホテルの中庭の真下にたどり着くが、整った階段があるのでもなく這い上がるようにして中に入った。

あの頃であった二人組マデとクトゥはもう既に50を過ぎたバリでいえば老人の部類に入るかも知れない。クトゥはサヌールのバビグリン屋の息子だが、後年この店を訪ねてもいなかった。マデは当時ユダヤナ大学の学生で親父は富裕層の息子だ。ユダヤナ大学の学生寮は確かジンバランにあり、その狭くて簡素な寮の床に座って市場で買ったドリアンを喰ったことを思い出した。

 

 

 

 


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