注 写真はアンコールワットの塔
バリに向かう機内で読んだ小説からある記憶が浮かんできた。2006年の事になり記憶がおぼろだが、モロッコのメクネスを旅行していたときに訪れた地下牢がときに根源の恐怖を思い出させる。それは17世紀のムーレイ・イスマイルの時代にキリスト教徒を弾圧するための地下牢で平地の地下を穿ってあり、広さは200平米もあっただろうか。高さは優に20メートルはある。この中に4万人も閉じ込められたと書いてあるが果たしてそんな数の人間が収容できるものかは疑問だが。
内部にはいり、入り口を閉めると完全な闇になる。闇は根源的な恐怖であり、その真の闇に閉じこめられたキリスト教徒の恐怖が身にしみた。その闇の印象が強烈で記憶の深いところにとどまり、なにかの折にでてくる。
こんな闇に匹敵する闇を以前も以降も経験していない。バリのニュピと呼ばれる一切の明かりを禁じる日でも月光と星が明かりを提供する。月の出ていない夜に詫間の海岸沿いを歩いたときは目の前に人が立っていたとしても気がつかないほどの闇を経験したがそれでも微かに海面が明かりを提供した。
2007年にカンボジアのアンコールワットでは狭い石の塔に入った。そこでは天井が開いていて空からのみ明かりが入るがその天井を何かでふさぐと真の闇が訪れそうだった。天井をずらすことで強烈な光が差し込むことが推測できる。闇から光が差し込むと人の意識が変わる。ここでは闇で光を体験するのは宗教的体験の根っこにあるのだと理解した。
闇で恐怖に落とすことと同時に闇から光が差し込むと人の意識が変わることでキリスト教徒の精神を根底で揺さぶり改宗させる効果を狙ったものとも考えられる。